式部の噂
「ふわぁっ…!」
うっ…海!
これが…噂の…!!
映像で何度も見たことあるし、ちっちゃい頃に来たことはあったけど…
こんなでっかいとは!
(うちの近くの川とは比べ物にならないなぁ!)
私は嬉しくて裸足でそこらを駆け回った。
父さんも楽しそうにそこらを駆け回っている。
透き通る青い海。
少しべたったとした塩の匂いがする風。
払ってもつく細かな白い砂。
時折ちくりと足の裏を刺す小さくて綺麗な石や貝殻たち。
なにもかもが新鮮でわくわくする。
「式部ー!!」
父さんが幸せそうにぶんぶんと手を振った。
私も手を振りかえそうとする。
その時、砂に少し足をとられた。
「わっ!」
今まさに転ぼうとしている私の前で、救いに走ろうとした父さんがおもいっきり転んだ。
何故か私は空中で体を止めた。
…理由は簡単。
猛さんが私の腕を掴んだからだ。
「…式部ちゃん、大丈夫?」
…
「うわぁっ!すいすいすいませんっ」
なんてことだ!
人様に助けさせてしまうなんて!
しっ
しかも男の人に…。
ちらりと様子をうかがうと、猛さんは優しく微笑んでいた。
黒髪が風に舞う。
何でだか、海より何より猛さんが綺麗に見えた。
「はっ父さん!」
バッと慌てて振りかえると父さんはおでこに砂をつけて両隣にビキニのお姉さんをつれてふくれっつらで立っていた。
「もうっ!僕が式部を救おうとしたのに!」
「きゃーっそっちのお兄さんもかっこいいーっ」
茶髪で少し化粧のこい右側のお姉さんが叫ぶ。
左側のやっぱり茶髪をおだんごにしたお姉さんはキャハハと笑った。
私は完全に無視されている。
いや、そんなことはいい…。
…誰?父さん、
…それは、誰なの?
何故だか震えが止まらない。
また涙がでそうになる。
(…あ)
掌が急にじんわり温かくなった。
猛さんが、ぎゅっと私の手を握ったのだ。
「岬さん誰ですかそれ。」
「へ?あ、今僕を助け起こしてくれたこたちだよ。」
父さんがきょとんと答えた。
私は拍子抜けして深い溜め息をつく。
…猛さんがすっと手をはなした。
「なにやってんですか…。」
猛さんが呆れた感じで溜め息をつく。
父さんはぶーぶー文句をいっている。
「何だよ何だよ僕ばっかし除け者にして!猛のばか!」
「ガキですか?!ほら、式部ちゃん引いちゃいますよ!!」
そこで今までつまらなそうに二人のやりとりを見ていたお姉さんたちが割り込んできた。
私はきがきじゃない。
「ちょー、お兄さんたちぃ、二人とも超かっこいいね。マジタイプ〜!ねっ今から一緒に遊ばない?」
(な…!)
こっこれが噂のナンパ!
なんてこった。
父さん、36歳妻子持ちなのに!
…確かに20代でも通る顔立ちだけど。
何だかムカムカする。
私の父さんなのに。
…それに、猛さんだって…
…猛さんだって…?
私は軽く頭をふる。
(…変なの…)
昨日会ったばかりなのに。…二人とも。
「いや、すみません俺ら今からもう帰るんで。連れのこも待ってるし。」
猛さんは慣れた様子で断った。
…ちょっとホッとする。
なぜか、父さんはじっと私を見つめていた。
ひどく、真面目な顔付きで。
(…?)
お姉さんたちはあからさまに不満そうな声を上げた。
そしてギッと私をにらんできた。
ひっ
「あんなちんちくりんどこがいいわけ?…じゃあ天然なお兄さんだけでいいや。行こっ」
…
うん、知ってる。
ごめんね、父さん、母さん。
全然かっこよくない娘で。
…私はまた泣きそうになってしまった。
馬鹿にされて悔しくてじゃない。
…母さんたちに申し訳なくてだ。
猛さんが眉をしかめ、何か言おうと口を開いた時だった。
…お姉さんがしなやかに空中に飛んだ。
「…え?」
と、
「父さん?!」
…父さんが殴ったのだ。
…笑顔で。
「ったぁ!…おいてめぇざっけんな!死ね!」
お姉さんが真っ赤になって怒った。
私はあわあわとパニックになるしか出来ない。
父さんは笑顔のまま口を開く。
「ごめんね、手加減したとはいえ生まれて初めて女の人に手あげちゃった。…怪我はない?」
「いや、別に…。」
父さんの爽やかすぎる笑顔にほだされたのかお姉さんは今度は違う赤色になった。
私はまだ動揺が収まらない。
「本当にごめんね、…でも式部は宝物なんだ、僕の。」
…っ
「あれ、式部?!なんで泣いてるの??!」
「へ?あれ?」
すごい勢いで涙が出てくる。
…なぜ父さんは、こんなちっほけな私を無条件で愛してくれるのだろう?
「…岬さんが泣かせたんですよ。」
猛さんが優しく笑った。
お姉さんたちは決まり悪そうに帰っていく。
真っ青な顔した父さんが駆けて来た。
「ごめん式部!こんな暴力男嫌いになった?!」
「…いやっ…ちがくて…」
でも涙か止まらないの。
猛さんは呟いた。
「本当に、気を付けて下さいね。腐っても有段者なんだから。」
…私はこの一言で二重に驚いた。
ひとつは、どうやらこのにこにこ父さんは実はとても強いらしいということ。
…もうひとつは、猛さんのニュアンスでなんとなく。
憶測だけど、父さんは猛さんのためにも誰かを殴ったことがあるみたいだ。