式部の噂
父さんたちの家は木造だった。
正確に言えば一部コンクリの一部木造。
コンクリの部分はやわらかいなんともいえないクリーム色だ。
一見普通の一軒家なのに、どこかが違った。
例えば同じような家が10軒あってそこに10組の新しい家が欲しい家族があったとする。そして誰かに「この中で好きな家をあげよう」と言われたとしよう。…そしたら多分10組中10組が「じゃあここにしようかな」と父さんの家を選ぶだろう。
…他の9軒とどこが違うのかわからないけど、そんな雰囲気が漂っているのだった。
「さぁいらっしゃい」
父さんはにこにことドアを開ける。
なんともレトロなドアノブだ。
「おっお邪魔します…」
父さんはぴたっと私の目の前で人指し指をたてた。わざとらしい真面目な顔付きで。
「お邪魔ではないよ。我が家では客人にお邪魔しますと言わせないルールがあるんだ。まして式部は家族。ぜひともただいまと言ってもらおう。」
後ろでは猛さんが笑っていた。また始まった、と言いながら。
「あ…じゃっじゃあ…ただい…ま?」
父さんはまたにっこりとした。
単純な子供みたいな人だ…と少し驚く。
家は二階立てだった。
二階の大部分は仕事部屋なんだ、と父さんは軽く説明する。
「残りは図書室になってるんだよ。あとで式部も見てごらん。」
(うわぁ…)
なんて羨ましい。
自分の家に図書室があるなんて!
猛さんは茶色のエプロンを体に縛りながら付け足した。
「でも岬さんハードカバー派だから埃積もりやすいんだよ。古い本もいっぱいあるからアレルギーとかあったら気を付けてね。」
「はっはいっ…」
しかも文庫じゃないなんて!
貧乏高校生には夢のまた夢。
私はなにやら料理を作り出した猛さんを盗みみた。
手際よく海老の皮をむいている。
「式部おいでー!廊下以外も我が家は素敵だよ。見所満天」
大真面目な父さんに猛さんはすばやく突っ込む。
「なに馬鹿なこと言ってるんですか。」
きっと二人きりのときもこんな風にやりとりが交されるんだろう。
想像すると幸せになった。
私はそろそろとキッチンを通りすぎリビングに向かった。
この家にはほとんどドアがない。
だからリビングからもキッチンが見えた。
広い家だ。
「あっちが猛の部屋でね、その隣が風呂とトイレ。向かいが式部と法さんの部屋で上に僕の部屋と客人の部屋があるんだ。」
私は思わずえっとのけぞった。
てっきり私も客人の部屋で寝るもんだと思っていたのだ。
「私たちの部屋もあるんですか!」
父さんは嬉しそうに答える。
「法さんとね、二人で話し合ってデザインしたんだ。まぁ主に僕が考え法さんが文句をつけるという段取りをふんだんだけど…。だからあそこは法さんの城。の、わりに泊まるのは式部が初めて。」
(全然知らなかった…。)
じゃあなぜ、二人は一緒に暮らさないのだろうか。
意味がわからない。
けどまぁ私の部屋があるってだけで妙に嬉しかったので深く考えないことにした。
この家の家具は主にレトロな木製のものが多い。
ラジオはあるけどテレビはなかった。
「たーけるー」
「なんですか」
猛さんは振り返らずに答える。
どうやら今夜はイタリアンのようだ。
父さんはリビングに私を残しトタトタとキッチンに向かった。
「手伝うよ」
…と、言いながらビンから直接ワインをのんでいる。
「あっそれ料理用なんですけどっ」
「まぁまぁ」
我が父ながら申し訳ない…。
私は二人の様子を見ながら苦笑いをしていた。
夕飯は海老と小松菜のスパゲッティーに、シーザーサラダとオニオンスープだった。
父さんは「これぞアルデンテ」と笑い、猛さんは「当たり前です」僕のうでなら、とかえしていた。
私は料理が上手い男の人に初めて出会ったのでなんだかドキドキしていた。
「そういえば」
猛さんがワインを口に運びながら私を見つめる。
男友達のいない私は心臓がひっくりかえった。
「式部ちゃんはどうして急に遊びにきたの?」
「…あ…」
私はすっかり忘れかけていた。
そもそもの目的を…。
…黙りこんだ私を見た父さんは猛さんをこづいた。
「娘が素敵な父親に会いにくるのに理由がいる?否、いらない。」
猛さんは少し紅く染まった頬で噛みつくように返す。
「俺は親父にわざわざあいたくない」
父さんはふふっと笑って、
「男と女は違うんだよ。そして僕のような父親も多分あんましいない。」
と曖昧な応戦をした。
「なにそれ」
私も思わずふふっと笑いながら声をかけたらなぜか二人は停止してしまった。
がーん。
(ごごごめんなさい軽口叩いて)
どうして私はいつもこうも楽しいところに水をさしてしまうんだろう。
…まず猛さんが口を開いた。
「式部ちゃんがやっと突っ込みを入れましたよ岬さん!さすが岬さんの手腕は確かですね」
(あれ…?)
なんだそりゃ。
「うん、さすが僕だね!てゆうかそんなことより今のちゃんと見た?!めちゃくちゃ可愛かったよ!!さすが法さんと僕の子!!!」
父さんが興奮して叫んでいる。猛さんまで叫び返す。
「可愛いですけどさっきのは岬さんへの嫌味なんで気付いて下さい!!」
本当になに言ってるんだこの二人は…。
「…お父さんたち酔ってるんですか?」
さすがに肝臓とか腎臓とか急性アルコール中毒とか心配になってきた。
(あれ)
「わーい式部が父さんだって二回目だ人生で二回目だはははははは」
「なに言ってるんですかこんなこんな親はあれですよあれははは」
酒に完全にのまれている二人は笑いころげていた。
ぺろりと一升瓶を飲み干す母さんに比べ二人はかなり弱いらしい。
ワイングラスに3杯でべろんべろんになっていた。
(あれれ…)
かくいう私も空気に酔ったのかもしれない。
やけに顔が熱かった。
(「可愛い」…)
初めて言われた。