式部の噂
「あれ…」
私は無意識に今までで一番大きな声をだしていた。
父さんも嬉しそうに答える。
「海だよ。朝は眩しいぞー。家からもすぐ近いからここにいる間に遊びに行きなよ。」
海…。
小さい頃記憶にない海に行ったっきりだ。
「…さて、じゃあまず猛からいきますか。」
なぜか父さんが取り仕切る。
猛さんは気にせずつらつらと話始めた。
「七瀬猛。獰猛の猛でタケルです。近所の国立大の3年で、建築科入ってます。まぁ色々あって今は岬さんとこに弟子入り兼住み込みさせてもらってます。…だから2週間の間何度か顔あわせるかもしれないけどごめんね。」
「すっ…で…」
すんでいるのか!という驚きと弟子なのか!という驚きで奇声を発してしまった。
(父さんてそんなに有名な建築家なのかな…。)
まだまだ謎だらけだ。
そんな父さんは横であーあとため息をついていた。
「つまらないよ猛!!もっと面白おかしい紹介にしてよ。」
「自己紹介に面白さはいりませんよ。それに岬さんはそんな面白いこと言ったんですか?」
猛さんはまた怖い顔になっていた。
「いう前に迷子になったんだよ。…よしじゃあ次は式部だ。」
父さんはわざわざハードルをあげてくれたようだった。
緊張で涙腺がまたゆるむ。気付かれないように海を見た。
「…清水式部、高校2年生です。泣き虫で運動が苦手で方向音痴です。」
…どうにも情けない紹介になってしまった。
あぁ涙が…。
「法さんと俺両方に似たんだねぇ。」
父さんが嬉しそうに言った。
なにを言ってるの?
…法さんとはつまり清水法、母さんのことである。
「…にてませんよ全然。…両方。」
少し感じ悪い言い方になってしまった。でも本当なんだからしょうがない。
二人とも思う存分かっこよかったし、父さんは少し抜けているけど少なくとも母さんと似ている要素は皆無だ。
…それでも父さんは気をわるくするでもなく、明るく答えた。
「え?そっくりだよ。俺方向音痴だし。…それに法さんすんごい泣き虫だしね。」
(なっ…)
泣き虫…?
(…そんな馬鹿な)
有り得ない。
それはまず有り得ない。
生まれてこのかた母が泣いてるのなんて一度もみたことがない。
(多分これは…嘘かな。)
私はだんだん父がすごく優しい人だということに気付き始めていた。
…すごく大人だということにも。
だから多分、今回も私が傷付かないようにしてくれたんだろう。
そのあとは緩やかに車が進んで行った。
父さんの迷子と私の迷子とでかなり道を外れていたらしく随分時間はかかったけれど。
猛さん談によると、父さんの道の外れかたには特性があるからなんとか出会えたらしい。
多分猛さんも結構優しいんだと思う。
三時に待ち合わせて時刻は七時半過ぎ。
本当ならばバス停から徒歩30分で着くはずの目的地に、ついに私たちは到着した。
「さぁ、着いたよ」