式部の噂
父さんは雑誌に顔を戻す。
照れもせずに、いつも通りの顔のまま。
それなのに私の心の中は全く逆だった。
ずっとずっと堪えてきた小さな想いが自分の重みに耐えきれなくなって、ついにはもうすっかり溢れだしてしまいそうな状況になっていた。
(…)
…あぁ、私は。
そろそろ認めなくてはならない。
いろんなことを。
父さんがいとも簡単に私を楽にしてくれるから。
聞かずにはいられなくなってしまうんだ。
…私は覚悟を決めて小さく息を吸った。
ぽつりと漏れでた呼び掛けは、いとも簡単に父さんを振り向かせた。
「…父さん」
「…ん?」
(あ…)
海の匂い。
…匂いに押されるようにして、私は口を開く。
言わなくては、言わなくてはと少し焦りながら。
「猛さんはどうして一緒に住んでるの?」
「…」
父さんは頭をかく。
でも、困った顔はしていない。
私は思いが止まらなくなる。
―そうだ。
許せなかったのだ、私は。
びっくりして悲しかったのだ。
父さんが猛さんと暮らしていて。
たまらなく悔しかったのだ。
「…それから?」
父さんは軽く私に促した。
私はびくりと一瞬動きを止める。
…やっぱりバレバレだったみたい。
肝心なことを聞いてないって。
(…泣きそう…)
チクタクと時計が響く。
父さんと私は座ったまま見つめあう。
「…どうして」
息を吸う。
私はもう聞けてしまえる。
「…どうして…どうして家族なのに一緒に住まないの?」
「…」
―あーあ…。
結局泣いてしまった…。
ぽたぽたと生暖かい塩水が私の握った手の甲に落ちる。
父さんは相変わらず表情を変えない。
それで私は余計に泣きたくなるのだ。
「…うん。そうだね。」
「え?」
父さんは微笑んで手を伸ばし、私の頬の涙を指でふいた。
私はもう言葉が上手くでなくなった。
そこで、父さんは初めてちょっと困った顔をした。
「…話すとね、とても長くなる。まず法さんと僕の出会いから始めなきゃいけない。…それでもいい?」
声の出ない私は首をぐっと曲げ頷いた。
父さんはハミングするように話だす。
長い、長い恋物語りを。