式部の噂
「…あれ、猛さんは?」
リビングに入っていくとそこにいたのはカバーをかけられた一人分の朝御飯がいるだけだった。
なんだか、すごくがっかりしてしまう。
「ん?猛なら大学のレポートの調べものしに図書館に行ったよ。あ、それ式部の朝ご飯だから食べてね。って言っても猛が作ったんだけど」
父さんはバタバタと手際悪く?私のご飯を温めてくれる。
慌てて自分でやりますと言ったら、父さんはにこっと笑って
「いいから座ってて!」
と言うのだ。
私は悪いと思いながらもなんだか父さんがとても楽しそうなので素直に座っていることにした。
父さんはまたバタバタと走り、湯気のたつ朝御飯たちを運んできた。
今日はお味噌汁と玄米ご飯と小ぶりの魚の開きだ。
「わぁ、美味しそう!ありがとうございます。…あれ、この魚なんですか?見たことないです。アジの開き…ではないですよね?」
干物の魚はアジより色が薄く、上品な感じがした。
「それはねー、エボダイだよ。食べてごらん美味しいから」
私はいただきますと手を合わせ、はむはむと魚をかじる。
「あっ美味しい。でもちょっとアジに似てますね」
「うん。ここら辺でよくとれるみたいだよ。」
父さんはお茶をすすりながらにこにこと私が食べる様子を見つめている。
…なんだか照れくさい。
それから父さんは心底幸せそうに暖かな溜め息をつく。
私はますます恥ずかしくなる。
(…父さんて…本当に童顔…。でもかっこいいから全然問題ないよなぁ)
「あ、そうそう式部」
父さんが思い出した様に声をあげた。
「法さんがね、五日ほどドイツに行くって。式部によろしくって言ってたよ。」
「…。」
私は台詞と共にご飯を噛み砕く。
また泣きそうになる。
…本当に嫌になる。
父さんは私を見ない。
それどころかどこからか引っ張り出してきた雑誌なんかを読みだしてしまった。
手から覗いている表紙には家の写真。
そういえば、父さんは建築家だったのだ。
「…そういうとこあるよね。」
「え?」
父さんは雑誌から視線をそらさずに、唐突に呟いた。
それで、やっと気付く。
わざとだと。
「法さんてさ、そうなんだよね。人間に縛られるのは好きじゃないとか言いながら、結局は気になっちゃうんだよ。」
(…そうだ。)
母さんは、『そういう人』だ。
私は、認めざるをえない。
母さんは絶対に、私を一人ぼっちにして遠くに行ったりしない。
だから今回も、私が父さんの家にいる時を選んで旅立ったのだ。
そうじゃない時は必ず私も連れていく。
例え時差ボケでホテルにいるばっかりの私でも、必ず。
私はでも、その事実を見たくはなかった。母の矛盾を。
彼女は何処までも強いから。…だから、私とちっとも似ていないのだと。
私は信じている。
…いつのまにか父さんは雑誌から目を離し、私を見ていた。
くるりとした瞳でじっと私を見つめる。
「式部」
「…はい」
真面目な、瞳。
「今日のオヤツ、何にしようか?」
「…」
父さんは聞かないのか。
母さんは絶対聞くのに。
「何かあったの?」って。
私は仕方なしに適当に答えた。
父さんはもういつもの気楽そうな笑顔に戻っている。
「…ホットケーキ…とか…」
「よしきた!まかせとけ」
父さんはにかっと笑った。
私はますますわからなくなる。
父さんはあえて聞かないのだろうか。
それとも、本当に何も気付いてないだけなんだろうか。
その後はしばらく無言でご飯をかきこんだ。
私は急いで立ちあがり、食べ終えた皿を運ぶ。
「…ごちそうさま…」
「…でもさ」
父さんはいつでも唐突なのだ。
「僕はそんな法さんが、大好きなんだよ。」