画家ならざれば狂人となりて
その三 画家先生の絵の具箱
叔父は小さな頃から、ひとりで絵を描いているのが好きだったと母から聞いた。
その頃に住んでいたところは、九州の人知れない村ではあったが、叔父はその村ではみんなに天才だとか神童だとか言われ、ともてはやされていたという。
似顔絵を描いてあげたり、土手に座って景色を描いていた叔父。
いつかは絵描さんになりたいのだと、キラキラした眼差しで、姉である母によく言ったそうだ。
そんなある日、叔父がこんなになってしまった原因となるような、思いがけない出来事が起きたのだ。
叔父が小学校の半ばになった時のこと。
著名な画家先生がこの地にスケッチ旅行で訪れていたのだ。
そんな画家先生が、たまたま叔父が風景を描いているところを見たらしい。
そしてその才能を惜しんだ画家先生が、祖父のところに弟子にくれないかとやって来たというのだ。
叔父はその話しを聞いて、大変に喜んだらしいのだが時代が時代である。
昔ながらに炭坑で目一杯身体を張って来た祖父には、平生から絵を描いていること自体、女の腐ったようなヤツと思っていたところへ、いきなりの弟子入りの話しだったのだ。
そして絵描きなど一銭にもならないと、頭ごなしに断ってしまったのだった。
それでもその画家先生は、気が変ったらいつでも来るようにと、名刺を置いて帰ったのだという。
そしてその時に、その画家先生が持っていた油彩道具一式を、「たくさん勉強しなさい」と言って、叔父にくれたのだと言う。
それからの叔父は、これまで以上に絵を描くことにのめり込んでいった。
ある日のこと。
勇んで叔父が家に戻って来ると、みんなが止めるのも聞かず、野原で祖父が画家先生にもらった道具を焼いていたのだ。
叔父はあまり勉強が出来きるほうではなかったようで、その日もいつものようにひとり学校に残されていたらしい。
そのことで祖父も堪忍袋の緒が切れたのだと母は語った。
そしてその後で叔父はとても泣き暴れて、祖母の大切なお大師さんの頭に斧を降り降ろしたのだ。
しかしその時、なぜか陶器で出来ているはずのお大師さんは壊れることなく、頭に斧が刺さっただけで終ったらしい。
そのお大師さんというのは、私も小さな頃から祖父や母、信者さんたちと一緒に拝んでいて、頭に割れた傷があることも知っていたが、こうして出来た傷だったとは。
その後叔父は、学校でも手の付けられないほどの暴れん坊になった。
それで中学校の半ばくらいからはもう学校に行くこともなく、祖父と同じ炭坑で働きはじめるようになったのだ。
そしてあれだけ好きだった絵も、描いている姿などもう見なくなってしまったのだと母はいった。
作品名:画家ならざれば狂人となりて 作家名:天野久遠