画家ならざれば狂人となりて
その四 飯場にて
それから叔父は、飯場で寝泊まりするようになった。
仕事こそ祖父と一緒だったが、ある意味、家出のような状態になっていたのだ。
祖母や母、伯母さんたちは躍起ではなかったという。
そんな心配が当ってしまった。
しかしそれは叔父の身にではなく、祖父の身に起きたのだった。
落盤事故である。
そこかなり古くなった炭坑で、以前から危険だといわれていた。
そこで作業をするとお給金が多くもらえるということで、祖父は叔父を連れて一緒に作業に加わっていたのだ。
その落盤事故では、多くの人が亡くなったが、祖父は何とか足や他の骨を折る程度ですんだのだという。
私はこれを聞いて、祖父がびっこを引いている理由が分かった。
この後、叔父はひとりで炭坑の作業を続けたのだが、やはり家には帰らず仕送りだけを続けたらしい。
それからの叔父は、こうしてお給金が多くもらえる作業場を探しては、飯場を転々と渡り歩いた。
仕送りこそ欠かさないものの、家族のものにはハッキリとした居場所がつかめなくなったそうだ。
それは叔父、15歳のときのこと。
この頃には祖父も元気になっていたが、相も変わらず叔父の所在が掴めぬまま。
しかし事情があって一家は、九州からこの地へと、引っ越さなくてはならなくなっていた。
ある時、警察から連絡が来た。
何でも叔父が飯場でケンカをして、大怪我で入院しているとのことだった。
母や家族たちは引っ越しの準備も残したままで、急いで叔父が入院しているという、長野県へと向かったのだ。
多くの炭坑が廃棄となって、叔父は仕事仲間たちと一緒にダム建築の出稼ぎの中に混ざっていたらしいのだ。
それまでの仕送り先がいつも九州になっていたのは、叔父が飯場で知り合って、親友と呼べるようになった人から、毎回送られていたからで、それほどまでに叔父と祖父の間には、確執が残っていたのだろうと母は語った。
母は話しを続けた。
家族が病院へ着き叔父の容態を聞いて、その時みんなは一斉に愕然となったという。
何と叔父が怪我をした場所というのは、叔父があの時、お大師さんに斧を落とした場所だったのだ。
それだけではない。
怪我をした時の凶器というのが同じく斧だったのである。
入院していた叔父は手術は受けたものの、未だ生死の境目にあったらしい。
そのとき祖母は、一心にお大師さんにお祈りをしながら、叔父の怪我をした頭を撫でていたという。
結局みんながいてもどうにもなるものではないからと、その日の夜行を乗り継いで、祖父が伯母さんたちを連れて帰ったのだそうだ。
数日が経ち、叔父がやっと目を開けた。
病院からは“このまま目を覚すことはないかも知れない”そう言われていた叔父だったのだ。
叔父は引っ越し先にある病院へと転院し、回復はすこぶる早かった。
あれだけの怪我なのに1年半くらいで退院、しかし脳には異常が残ったままになったのである。
退院後の叔父はやはり家には帰ることはなかった。
家族の止めるのも聞かないで、九州の親友の人を頼ってひとり行ってしまったのだと母が言った。
それから二十数年。
ひょっこりと叔父は戻って来たというわけだが、その間にも何度か入院を繰り返したらしい。
そしてまた…叔父は母たちに連れられて病院へ行ってしまった。
今度は普通の病院ではない。
言ったように“精神病院”というところだったのである。
作品名:画家ならざれば狂人となりて 作家名:天野久遠