画家ならざれば狂人となりて
その二 病院へ連れていかれた
私はみんなからよく、そんな叔父に似ていると言われ、私はとても嬉しく思っていた。
しかし似ているというのは、別に私が暴れん坊ということではなく、絵を描くことがとても好きだったからだ。
学校から帰っても、外へ遊びに出ないときは、いつも絵を描いていた。
そんなことも手伝ってか小学校の6年間は、毎年、校内の図画コンクールで金賞を貰ったほど絵が大好きだったのだ。
ただ、これほど慕っていた叔父との生活は、そう長いものではなかった。
あれは私が小学生の2年の時だった。
私がいつものように学校から戻ると、その日は何やら家の方が物々しくて、外にはパトカーまでが止まっていた。
どうやら母が仕事で出掛けてる時に、叔父がまた、お酒を飲んで暴れたらしく、祖母や叔母たちでは手に終えず、心配した近所の人が警察に通報したらしいのだ。
これまでに私も、何度も叔父が暴れた姿を見ていたが、今回の暴れようは尋常ではなかったようだ。
それを物語るように、叔父が暮らしていた祖母の家の中はそれはもうぐちゃぐちゃになっていて、家の外に止めてあったパトカーの側にも、茶わんや茶箪笥の戸などが散乱していた。
いつも叔父が絵を描くのに気に入って使っていた私のクレヨンも、そこら中で折れてバラバラになって飛び散っていた。
その日は結局、叔父はパトカーに乗せられて行った。
夕方6時になって、いつものように母が帰って来きた。
母はこのことを聞いて、すぐに祖母と一緒に出掛け、しばらくすると叔父を連れて帰って来た。
帰って来た叔父はもうお酒も覚めていたようで、母と祖父に叱られて、いつまでも泣いていた。
その日以来、叔父はすべての元気を無くしてしまったようだった。
絵も描かなくなり、たまにお酒を飲んで訳の分からないことを叫んび、怯えるようになった。
いつま間にか、私たちの前にひょっこりと現れた厳ついおじさん。
そのままじいちゃんの家に住み着き、よく仏壇に備えられたお供物をこっそりと盗んでは、私たち兄弟に持って来てくれて、大笑いしながら一緒に食べていたおじさん。
チラシの裏に私や弟、外に見える花壇の花などを、楽しそうに描いてくれたおじさん。
お酒を飲んで暴れては、いつも母に怒られて小さくなっていたおじさん。
私の名前、茂一という文字に一文字をもらっていたおじさん。
そんなおじさんが暫くして、母と祖母に付き添われ、タクシーで病院へと連れて行かれた。
少し遠い山の中にある病院、それは精神病院というところだった。
作品名:画家ならざれば狂人となりて 作家名:天野久遠