カラの店
まるで少年が虫を捕まえるようなやさしい手つき。且つ素早い動きで空瓶の口に叩きつける。
逆の手で口に封をし、針金をぐるぐると巻きつける。
「はい。確かに―――終わったよ」
「な」
何をする、と抗議しかけたところで。
何か、言葉では説明のし難いナニか重苦しいものが取り去られた気がした。
「え、あ」
身を起こしていられずにソファーに沈む。
自分の体が急に重さを無くしてしまったかのようで、座っているのにバランスが取れない。
「代金はそうだね…千円くらいが妥当かな」
こっちの異常を気にした様子もなく、男は立ち上がる。
私の『何か』が入った瓶のラベルに何か書き込んでいる…のだろうか。
それにしても、一応私は客なんだからもうちょっと気を使ってくれてもいいと思う。
「さて代金の方を・・・おや、気分でも悪いのかな」
と、声をかけてくるけれど。
コレ、ぜったい心配とかしてる感じじゃねー。
……あれ
店主に声をかけられた瞬間に体に重さが戻ってきた。
や、それだけでなく。
なんだか体が―――いや、何かが軽くなったような
「いえ・・・もう大丈夫です」
さっきのは一体・・・?
「そう。じゃあ代金の方、千円になります」
言われるままに財布から千円札を取り出す。
はい、ゴリヨウアリガトウゴザイマス。と機械的に対応する店主。
それからの店主との雑談は、記すに及ばずといったもので、本当にどうでもいいことばかりを話した。
たいていの質問は答える店主だったが、ただひとつ。
私から何を預かったのかという質問には答えてくれなかった。
曰く、「知らない方がいいこともある。あとお客様のプライバシーは大切にする性質でね」との事。
じゃあさっき説明されたヤツは何なんだ。
胡散臭い事この上ないが、こんな怪しげなところに来て無事に帰れるだけでも僥倖だろう。
下手をしたら、ここに来るまでに浮浪者にでも絡まれていたかもしれない。
浮浪者相手に犯されるかもしれない、と考えただけで虫唾が走る。
この年で純潔を失いたくはないものだ。
「じゃあ僕は仕事に戻るけれど、興味があれば見学でもしていくといい」
と、言って作業に戻る店主。
いや、ソレは願ってもないことなんだけど…
「あの、それだとラベル見て中身とか分かっちゃいますよ」
プライバシーがどうとか言ってなかったっけ。さっき。
「ああ、問題ないよ。こっち来てみて」
「・・・・・?」
訳が分からない。
…と思っていたが、なるほど。こういうことか。
「読めるかい?」
「いえ。まったく分かりません」
だろうね、と笑う店主。
そう。ラベルに書かれている文字らしきものは、日本語ではない。
というか、見たこともない文字で書かれている。
いや、描かれている…というべきなのか。
「これは僕が考えた文字でね、プライバシーを守るにはコレが一番だよ」
「なるほど。それなら私が勝手に歩き回っても大丈夫というわけですね」
「そういうこと。ああ、でも一応、物には触らないように」
ほとんど空のものばかりだけど、繊細な容れ物もあるからね、それと―――
「ふぅん…ホント、図書館みたいね…」
店主からの注意事項を聞き終えた後、私は早速見学に乗り出した。
店主は作業台でラベルに例のオリジナル文字(命名、私)を書き込んでいる。
まあ、帰る時になったら一言声をかければいいだろう。
棚と棚の間を進む。
棚で作られた通路は結構幅があるのだが、足元には物が無秩序に散らばっているために歩きにくい事この上ない。
それらを踏まないように、あるいは蹴飛ばしたりしないように。
ゆっくりと、ゆっくりと進む。
ふと気付くと、ちょっと棚の影になって見えないところに扉があった。
店主も「別の部屋がある」と言っていたし。そう不思議なことじゃあない、か。
「でもなんだか隠されてるみたいな扉…中には何があるのかしら」
興味がある――――まあ、店主も勝手に歩き回る事を承知している事だし。
そして、私はその扉を開いた。
「階段……降ってるてことは地下室…?」
扉を開いて現れたのは、地下に降る階段だった。
雰囲気―――あるなぁ
ごく、と固唾を飲んで、傍らにあったスイッチを入れる。
じじ・・・と。
頼りない明かりが点いた。
天井からぶら下がる裸電球はオレンジ色の弱い輝きを漏らす。
かつん、かつん、と階段を下りる。
二度、三度と曲がる階段。ずいぶん降った筈だけど…おかしいなー…地方都市とはいえ、こんな深い地下室があるはずが―――
なんて思っていると、明かりが途切れていた。
階段は続いているし、電球自体もある。
でも、とっくに電球の寿命が切れているようだ。
戻ろうか、という考えは浮かばなかった。
何故なら、一つ前の明かりが届く範囲に、地下室の入り口とおぼしき扉が見えたからだ。
「…入り口から覗くだけなら、問題ないよね…」
勇気を振り絞って扉に手をかけ―――開いた。
「んー…」
暗くて何も見えない。光量が足りないのは明白なんだけど…
「ん」
ようやく目が暗さに慣れてきたのか、部屋の中がおぼろげに見え出した。
よく分からない…もっと近づいて見なくては。
そうして私は、その部屋に足を踏み入れてしまった。
暗闇から飛び出す何か。私はいきなりの暴力に思考が停止してしまっている。
組み敷かれて部屋の中にずるずると引き込まれる私。
私が入りきったところで扉が閉まる。
―――これじゃあ、安物のホラーだ
私の頭は現実逃避に全力で没頭中。
そうでもしないと正気を保っていられない。
だって何かが、私を足先からヴァリヴァリと噛み砕いている。
唐突に店主の言葉を思い出す。
知らなくていい事があるように、近づかない方がいい場所もある
中身にとって最良のカタチを持った容れ物があるように、容れ物にとっても最良のカタチを持った中身もある。
といっても。別にどっちも最良じゃなくてもいいんだ。
この千円札にしたって、入るのは何も財布だけじゃない。
僕みたいにポケットに入れてるヒトもいれば、封筒にだって、なんだったら本の間に挟まる事だってある。
中身は入れるものがあれば何でもいいし、容れ物の方だって、入るならなんだったいいと思うよ。
まあ、入る条件を満たしていればの話だけどね―――
それは容量、という意味だったのかと。
私は噛み砕かれる最後の脳髄でそう思考した。
「ふう、もうこんな時間か」
夕暮れの赤光が瓶に反射するのを見て、男―――店主は作業の手を止めた。
あの少女はもう帰ったのだろうか。そういえばだいぶ前から物音がしない。
蝋燭に火を灯して、店内を捜索する。
そして、開けっ放しの地下室への扉を発見した。
「だから言ったのに」
扉を閉じて施錠する。
そして作業台に戻ると、電話に手を伸ばす。
受話器に手が触れる寸前、
じりりりりん
けたたましい音を立てる電話。
「もしもし…ええ、どうも。はい。今しがた終わりましたよ。では代金の方は指定の口座に振り込んでください…
え?いやいや。前にもお話したとおりプライバシーは大切にしますよ。生きているうちはね。
はい、では」
短い会話を終えて、受話器を戻す。
あの「客」から預かったモノの処分には手を焼いていたが…まあ、これで少しは減った事だろう。