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城塞都市/翅都 fragments

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A little prayer for you




 背の高いひとだな、とは思ってた。鼻をくっつけたら埃っぽいにおいがしそうだな、とも。実際預かったコートに顔を埋めてみたら、ほんとうに埃っぽいにおいがした。あと風のにおい。夜のにおいも。こう言うにおいをしているひとはとてもいい。きっとよく街を歩いている人なのだろう。

 いつまでもコートに顔を埋めているわたしを、彼は怪訝な表情で見ていた。その唇が動いて何かを言う。首を傾げるとイラついたみたいにコートを指差された。それから腕でバッテン。においをかぐな、と言っているのだろう。犬じゃねえんだ、と唇が言った。犬は酷い。例えにしても。

 彼は落ちついた見かけとは裏腹な、乱暴な言葉遣いで話すひとのようだった。それだけは少し当てが外れた。黙っていればいいひとそうなのにと見上げた私をやっぱり怪訝に見下ろして、彼は面倒くさそうにぼりぼりと頭をかいた。大人の見かけに似合わず、態度も子供みたいな人だった。

 やがて諦めたみたいに肩を落とした彼が、わたしを見て何かを言った。自分を指差してからわたしを指差して首を傾げる。わたしも首を傾げると、彼はがくんと頭を抱え、次に顔を上げて何もないテーブルの上を見て、棚を見て、天井を仰いだ。ジーザス、と呟いたのが、今度はよく見えた。

 そうして次の瞬間、はっとしたように顔を上げた彼は、やおらわたしの手を取って掌を上に向けると、そこに指先で文字を書き始めた。最初に「な」。次に「ま」。最後に「え」。名前。顔を上げると、彼の顔が間近にあった。薄い唇が「名前は?」という音を作るのを、今度こそ見た。

 今わたしに名前を尋ねたこのひとの声はどんなだろうか。彼のにおいと同じように埃っぽいだろうか。風のようだろうか。それとも夜のようだろうか。失くしたものを、この時だけ取り戻したくなる。わたしは自分の声も、言葉もずいぶん昔に置いて来てしまった。わたしの世界に音はない。


20100611