完全犯罪
なんて初歩的なことをしてしまったのだろう。自分自身を罵りながら道を歩いていった。もしかしたら、あの店員はおぼえてしまっているかもしれない。それに最近のコンビニはカメラがついている、それに私の顔がばっちりと撮られているはずだ。そう思うだけで血の気がひいた。今日は日が悪いんだ。しないほうがいい。そうやって言い訳を自分自身について道を歩いていく。彼の家を見て私は、あっと息を呑んだ。女性が家の中にはいっていくのだ。妹、姉?いや、そんなはずない。彼は一人っ子で、今は一人で暮らしていると手紙でいっていた。つまり、あれは彼女だ。私の頭の中で熱くなっていた芯が爆発した。
私は、袋からカッターを取り出して右手にしっかりと握り締めて彼の家へと歩いていった。誰かがみているというのも気にせず、私は無用心にも開いている玄関から家の中に土足ではいり、真っ直ぐに廊下を歩いてドアをあけた。女が私を見た。私は手に持つカッターをちりりっと音をさせて刃を出すと、思いっきり女にふりあげた。かすった。女は私の攻撃をあっさりと避けてしまった。苛立ちに舌打ちする。女が驚いたように私を見ている。叫ばれたらやっかいだと思いながら私は女に猪のように真っ直ぐにむかい、刺した。確かな刺した感覚に私は息を深く吐き出す。やってしまった。私は、ゆっくりと後ろへと下がると、女が泣き笑いの顔をして私を睨みつけてぐらりと体を横にさせる。そのまま床に倒れた。倒れた彼女を見つめて、私は、ゆるゆると首を振った。こんなこと、したかったわけじゃない。不自然に瞳から涙が溢れ出しそうになった。私は、彼を殺したいと思っていた。だのに、結局は殺すことはできなかった。かわりに彼の恋人を殺してしまった。
不意に背後から音がして私は、ゆっくりとふりかえった。
彼が、いた。
本のカバーについている小さな写真でみるよりも、またサイン会で遠目でみるのとも違う。若々しいのは、三十代とは思えない。それほどに凛々しい。ようやくあえた。だけど、私は、それにたいして喜びをかんじることはできなかった。どうよう、彼はきっとおびえるにちがいない、または私をののしるにきまってる。
「なんてバカなことを」
彼は優しくいって、私の肉体を抱きしめた。太く、しっかりとした腕に抱きしめられて、私は混乱した。
こんなの嘘だ。夢だ。
でなければ、何故、彼は私を抱きしめるのだろう。こんなご都合的なことあるはずがないではないか。私は泣き出したくなかった。彼の胸の中で、えんえんと子供みたいに。
「私、ころしちゃった」
「心配することない」
彼はそういって自分のきていた上着を私にかぶせてくれた。
「どうするの」
私は、震えて尋ねた。
彼は私から離れて私の殺した死体を見た。手で触って、生きているのか、死んでいるのかということを確認する。テレビでよくある刑事みたいな仕草だ。それがまるで現実とかけはなれているようで、私はなき笑った。
「しんでるんでしょ、ねぇ、私を警察に突き出す?」
「何故? 君を警察につきだすんだい?」
彼は私が買ったカッターを拾い上げて、ちゃんと刃をしまいこんで私に差し出した。私は、カッターを手にとってぎゅっと握り締めた。
「私は、殺したのよ」
「けど、君のことを知ってるよ」
「……えっ」
そんなはずがない。
私は、震えた。彼がいおうとしていることはなんだろう。
「手紙の子だね」
彼の言葉に私は、なきそうになった。
「なんで」
「サイン会、こなかったね?」
私は、ますます混乱した。彼には、私の浅はかな行動が全てお見通しされてしまっているかのようだ。
私は震えて、じっと彼を見ていた。
「知ってるか?君のことはだいだいわかってる。手紙をやりとりしていんだよ」
彼は私のぽろぽろとこぼれる涙を指でぬぐった。
「謎は、全てあとではなすよ。それよりもこれを運ぼう」
彼が一瞥して、「これ」といったのは、死体だった。私は、頷いた。まず彼はがシーツをもってきたのに死体をつつんで、彼が外で車を用意する。車まで彼は死体を持って運ぶ。危険ではないかと思ったのに私は外で見張りをする。彼はその間に運んでしまう。そうして運び終わって車のエンジンがかかるのに私は彼の車の助手席に座り込んだ。
車が走り出してしばらく沈黙が続いた。こういう沈黙は痛い。そして重い。私は、はやくこの雰囲気から開放されたい、叱られることをまっている子供のようにうつむいて拳を握り締めていた。
「学校は?」
「仮病」
「悪い子だ」
あっさりという彼がいうのに私はますます困惑とした。
「なんで私のことがわかったの」
「手だよ」
信号が赤で車がとまると、彼は私に魅力的な笑顔をむけて手をひらひらとさせてみせた。
「文字を書く場合、シャーペンでもペンでも持つ方法は同じだ。そうすると、中指のところがね、ちょっとだけはれてしまうんだよ。これは、ペン類を使う人間にありがちなことだけど、君の場合も同じだ。今はメールでやりとりをしているけど、前までは手紙だったからね、中指が妙にふくれてた」
「あっ」
「あとは、カンかな?」
彼が笑うのに私はなんともいえないままに下唇を噛んだ。
「どうして、メールも手紙もやめてしまったんだい」
「怖くて」
「何故? 君は魅力的でチャーミングだ」
きっと誰かがきいたら、笑ってしまうセリフに私は真っ赤になってしまう。
「私、人を殺したわ。あなたは、そんな私を助けるの?」
「ああ。そうだ。殺してくれて助かった……彼女は私のタチの悪いストーカーで最近は合鍵を作って家にまで侵入してきた」
「そんな」
けど、それは私も同じようなものだ。ただたまたまストーカー同士が家で鉢合わせてしまって、殺してしまったということだろうか。
私は、彼女が彼の恋人とおもって、殺してしまった。だが本当は、ストーカーだったなんて。
「私を警察に?」
「まさか! だったら、こんなことはしない。いいかい? 二人で完全犯罪をしよう」
「えっ」
思わぬ申し出に私は、びっくりしてしまった。彼は、なにを今、提案したのだろうか。
「あのまま家で死体が発見されれば、僕だって疑われる。ストーカーで悩まされていたのは僕なのだから、いいかい?このまま死体を処理するから、君は家に戻るんだ」
「けど」
「僕はミステリ作家だよ。大丈夫。問題は、君の度胸だ。君が僕を決して裏切らないというのであれば、この犯罪は成功する。いいね?二人で成功させるんだ」
「犯罪を」
「そう」
彼は実に楽しげいってのけるのは、なんともすごい。これがミステリ作家というものなのか。はたまた、彼は自分が殺していないということにたいして強気なのだろうか。どちらにしても殺してしまった私には選択権はない。
「捕まらない?」
「二人が互いに裏切らなければ」
「……」
「もう二度と僕に嘘はつかない。いいね?駅でおろしてあげるから、家に戻るんだ。そのあとのことはメールする。いいかい?」
「ええ」