完全犯罪
メールでは、サイン会の翌日も別の場所でサイン会をしたそうだ。それでメールを送ることができなかったというお詫びがかかれていた。そのあと、サイン会では、誰だったのかわからなかったけれど、きてくれたのかという言葉がかかれていた。
私は、それにたいして、ちゃんといきましたというお返事をかいた。いったことはいったのだから、嘘はついていない。
できるだけうそぽくならないように、見てきたことをしっかりとかいた。われながらなんてバカなことをしているんだろうかと思う反面、ばれたくなかった。
そうしてメールを送信したあと、これ以上、この関係を続けることはできない。
思うと胸がぎゅっと締め付けられるように痛くなったけれど、私は平気。私は大丈夫。そう言い聞かせる。
そうこうしていると、すぐにメールが届いた。風紋さんだ。
『せっかくあえたから、自己紹介ぐらいしかった』
その言葉をみて私はますます胸が苦しくなった。
そして、すぐにメールに『もう、メールはしません』とかいて送った。送ったあと、あ、だめだ。と思って止めようとしたけれど、メールは風よりも早く、ぱっと光のように送られてしまう。そうして送信してしまったメールに私は、なんてあっけないのだろうと心の中で愚痴ぽくおもい、パソコンを消した。
きっと、なんて非常識な子だろうと思われたに違いない。
非常識ははじめてのファンレターからそうだ。きっとすごく呆れられてしまったに違いない。こんな子にもうメールはかえってこないだろう。
私は、そう思うと胸が痛くて、たまらなくなった。
すぐにベッドに横になって、その日はしっかりと瞼を閉じて寝ることにした。
メールは来なくなった。
まるで私の生活の中に存在した中心と呼べるものがぽっきりと音をたてて折れてしまったかのようだ。それは、実にたやすく、それでいてあっけないことだった。
だからこそ、私はますます困り果ててしまうしかなくなった。
もう、なにもないのだ。
そんな風にすら私は思うようになった。
そう、私みたいな平凡な女の子には――下手したら、以下かもしれない。
私はいい夢を見て、その夢から覚めてしまった。
そう思えばいいのだ。
そう思えば、何も悲しくなどない。
だが、私の心にはぽっかりと穴があいた。
彼は、とっても素敵な人で、人にもてる。誰もが、彼を好きになってしまう。私には、わかる。触るな、見るな、それは私のものだ。
私は苛立ちに叫びだしそうになっていた。
私の心の中でどす黒く渦をまいている、汚い感情。
これは、なんだろう。
私は、そんなことを考えながら、その日、頭が痛くて、おなかもすごくいたくてたまりませんと先生に嘘をつかって、保健室では保健の先生にかえりたいと気分の悪いふりをして学校を出た。学校を出て私はすぐに電車に飛び乗った。
風紋さんの家の住所。
手紙を書いていて、私は、もう既にしっかりと覚えていた。
不幸か幸いか、風紋さんの家は私の知っているところで、電車をのりついでいける距離だった。制服姿の私は電車の中でとってもういていた。
といっても昼間なので、それほどに人がいるわけではなくて、空いた電車の中で私は椅子に腰掛けて、走っていく風景をただじっと見ていた。
そして、そういえば、風紋さんを知るきっかけとなったのも電車だった気がする。
こうすると、すごい確立で私は、風紋さんを知ったことになる。いや、あれほどに人気だし、面白い人だもの、そのうちに私の耳にだってはいっていずれは知ることになったはずだ。けれど、私は電車に残ってしまった本を見つめて、それを手にとってもってかえった。
すごい出会いをしたのかもしれないと思うと同時に、これは私が盗んだ出会いなのかもしれない。
ふと、そんなことを考えで胸がもやもやとしてきた。
盗んだ本。
それが今更、私の胸を罪悪感とは違う黒い感情で支配されていく。
ちがう。
私は心の中で呟いた。
そして、駅のアナウンサーにはっとしてみると私が降りるべき駅にさしかかっていた。
駅に降りると、私ははじめどこをどういけばいいのか困り果てた。紙に書かれた住所と、本来の場所というものはまったく違う。
財布を取り出してお金を確認してから、タクシーの人を捕まえて風紋さんの住所をいえばなんとかなるかもしれない。
ばれてしまうかもしれない。
私は、そんな気持ちで仕方なく一人で迷いに迷って歩くしかなかった。自転車があれば、もう少しましなのに。
だが、困ったことに私は方向音痴で場所がわからない。
交番がみえたのに私は一瞬、足をとめた。
どうしよう。
そんな気持ちになったが、この際、仕方ない。
私は、交番にはいるとおまわりさんが一人いた。三十代くらいのいかつい顔をした男性は、私があげた住所に見た目のいかつさとは異なって親切にも地図を取り出して、ここがこれで、あれがこれでといいながら丁重に教えてくれ、紙に場所をかいてくれた。
「知り合いのところにいくの?」
聞かれて私は内心、びくりとした。
「はい、従兄弟なんです」
私は、礼儀正しく、怪しまれないように頭をさげていった。
「そう、近くだから、迷わないと思うよ」
そういって書いてもらった地図を受け取って私は頭をさげて交番を出た。
出て、心臓が音をたてているのが自分でもわかった。ああ、怖かった。いや、怖がる必要なんてないんだ。たとえ、私が今からしようとしていることがばれたとしても、まだしていないのだから。それに私は捕まるつもりなんてない。
私は、書いてもらった地図をみて三回ほど違う道にはいって迷ってしまい、苛立ちながら歩いてようやく風紋さんの家の住所を見つけることができた。
住宅街でも実に静かなところだ。
こういうところに住んでいたら、ああも素敵な作品ができるのかもしれない。いいや、もしかしなくても、風紋さんの実力なんだろう。
私は、一度風紋さんの家を確認して――本名をそのまま使っている。ただし名前は「恵一」となっている。風紋恵一。それが本当の名前。私は、その表札を見たあと来る前にコンビニが近くにあったので、そこに立ち寄った。
店員は一人しかいない。二十歳ほどの女性だ。青いエプロンをきて、実にめんどくさそうだ。これだったら、きっと大丈夫だ。私はすぐにシャーペンなんかがある棚にいって一番丈夫そうなカッターを探して、並べられている二番目をとってレジで会計をすませると、袋をとって私はすぐに店をどうしようとした。
「まってください」
店員の声に私はぎくりとしてふりかえった。すると、店員が手を差し伸べていた。ばれてしまっただろうか。
「おつり」
「えっ」
「おつり」
店員はむすっとした言い方をして突き出した手をさらに突き出す。そこで私は、自分がカッターのおつりをもらっていないことに気がついた。
「どうも」
私は、うつむいて店員からおつりを受け取った。そして、すぐに店から出た。
失敗した。
私は、顔から血の気がひいて頭の芯が熱くなるのを感じた。