完全犯罪
物覚えのよくない私に時々「お前は、バカだな。これは母さん似だな」とかいいながら椅子に座って真剣にきいている私にむかっていいながら、マウスを動かして「ここをクリックして、ここにアドレスかいたら、送れる」と教えてくれ、はじめは、父の個人でもっているパソコンのメールアドレスに送ることにした。四苦八苦して送ったのに、無事におくれているのか心配になって父のパソコンのメールにおくられているのをみてやったーと両手をあげて嬉しさに叫びそうになった。そうして、私はまず彼になにを書こうかと迷いながら、まず、あれをかこうか、あれをかくべきか。いろいろと迷った。メールは、すぐに届く。魔法の手紙だ。だから、内容はいろいろと考えなくちゃいけない。
考えて、私は、まずメールをはじめて送りますということをかいて、メールを送ることでの格闘をかくことにした。
そうしてメールを書き終わって、送信をクリック。そのあと、ああーやっぱり、もっと手の込んだものにしておけばよかったと後悔。だが、送ってしまったものは、もう取り返しがつかない。仕方ない。腹をくくろう。
私は、その日から毎日がメールのチェックになるだろうことを考えた。実際、はやく返事がこないかなっとどきどきしていた。そうして、メールの返事がきたのは翌日の夜だった。私は、悲鳴をあげそうになった。かえってきた。
メールをあけると、私の苦労の労いとついつい笑ってしまったとかいてあった。手紙のように実感のないメールというものは手軽なだけはある。手紙にもメールにも欠点というものはあって、手紙はくるまでに時間がかかる。けれど、メールは、すぐにくる。ただし、手紙のようなぬくもりはない。それでもメールにある文章を読むと、私の胸はいっぱいになっいくのが自分でわかった。
最高!
私は、進化した文明に本当に拍手を送ってしまいたくなった。
そうして、私と風紋さんとのメールのやりとりははじまった。手紙とは違う手軽な上に早い、そうその日のうちにつくいうのは魅力的で、毎日真っ先に家に戻っては、メールをチェックする。そうして、手紙では、一週間に一度程度でもメールであれば、毎日できる。けれど、こんな風に私に時間を割いて大丈夫だろうか。そんな心配をして、私はメールをだすのは土曜日にすると風紋さんととりきめた。
風紋さんは、大人でいろいろなことをしっていた。それこそ、私としては憧れの人とメールをできるというだけでも舞い上がって、本当に天に昇りだしそうなのに。
メールでは、いつ新刊が出るとかいう話をきかせてもらえる。本は、贈ろうかといわれたけれど、私は断った。本を買うぐらいしか貢献できないからだ。あと、本を買いに行くのは楽しい。貧乏学生のささやかな楽しみ。
そうこうしている間に風紋さんから突然メールがきた。それは、ちょうどお風呂あがりであったので私は、なんだろうとメールをクリックして中身を読んで、驚いた。
『サイン会がありますので、よろしければ、きていただけませんか? 土曜日ですので、学生さんでもきやすいでしょう?』
そうかいて、下に精細がのっていた。
見ただけで、私は眩暈を催しそうになった。サイン会。幸いにも私の住んでいる近くだ。電車でのっていった先だから、方向音痴な私でも迷わずにいくことができる。
問題はお金だ。
幸いにもおこづかいをもらってばかりだから、大丈夫。
私は、早速、サイン会にはぜひともいくというメールを送り返して、嬉々としてカレンダーに○をしっかりと赤ペンでいれた。
サイン会が土曜日にあってよかった。
そうこうしている間にあっという間に土曜日だ。私は、自分では最低限の身だしなみをととのえて、家族には「友達と遊びに行ってくる」という嘘の証言をしてサイン会にいくことにした。たかだかサイン会にいくに、なんで家族に内緒になんかしてるんだろう。
自分でもそこにわらえてしまった。
それでもこれは私の大切な秘密なのだ。
電車をのりついで、向かったのはメールに記されていた本屋だ。サイン会なんてはじめてだ。それだけで緊張する。
こういうとき、なにかもってきたほうがいいのかしら。
ふと、そんなことを思いながら迷いにまよって、自分の中にあるありったけの勇気をふりしぼって、通行人に場所をきいて、さらに数名の通行人にもきいてようやく目的地の本屋まできた。
それだけでくたくたになった。けれど、もっと疲れるのはこれからだと悟った。
目の前に並んでいる人。
それも圧倒的に女性が多い。
その女性たちというのも、ほとんどが二十代後半から、それくらい。それもすらりとした背丈に可愛らしい、またこぎれいな服をきているのに私は唖然とした。
私は、自分ではそれなりに可愛らしい格好をしてきたつもりだ。
だが、その格好が、ここでは一番ださい。
本屋の店員とおぼしき、エプロンをつけた人がドアをあけて並んでいる女性たちを促す。サイン会がはじまったのだ。
どうしよう。
サインを求める中にはなにかしら手ににもっている人もいる。花だったり、あ、これはたぶん、ケーキだろうな、とか、そういうものとかお酒みたいなものある。
私は、なにももってきていない。
そうして私はただ立ち尽くしているのも変なので、そっと様子を伺うようにしてサイン会の主役を見た。
本の裏についていた若々しい三十代前半の――もっと若い男性といってもいいかもしれない。彼が風紋さんだと私は一目でわかった。写真を何度も見たことがあったからだ。
彼は離れしたように、本にサインをして、そして握手を求めてくる人には握手をして、差し入れをもってきてくれた人には丁重にお礼をいっているのか頭をさげて受け取っている。
私は、どうしようかと心の中で呟いた。
いって、いいのだろうか。
いってはいけない。
そんな風に心の声がした。
私は、ただ風紋さんをじっと見てその場から逃げ出すようにかえることしかできなかった。
もしあったら、私がメールの相手ですよと名乗ろうかとわくわくしていた自分がなんてバカなんだろうと思った。
一人で舞い上がったバカみたい。
私は、悔しい気持ちに情けない気持ちをいっぱにいして一人でかえることにした。
その日は、メールだって見ずに寝てしまおうとおもっていた。だが、毎日の習慣というものは恐ろしい。お風呂にはいって一日の疲れを洗い流して、そのままベッドに横になって寝てしまおうかと思えば、そうはいかない。
パソコンのほうへと足がかっていにいくのだ。
そして、パソコンの前で立ち止まると、手は勝手に起動ボタンをおす。
習慣とは恐ろしい。
ため息をつきつつ椅子にこしかけて起動するまでの数分をまって、すぐに出てきた画面のメールを選ぶ。
そして、一通もきていないのをみて悲しいような、それと同じほどに安堵としている自分がいた。
その日は、そのまま寝ることにした。きっとすぐに寝付けるはずだと思っていたが、なぜか、そういう日に限って全然眠くなくて、寝付くことができずに私は深夜まで唸るような声を小さくあげてあふれてくる涙で視界をゆがめながら必死に寝てしまおうと努力した。
風紋さんからのメールは、月曜日に届いた。