close your eyes-瞳を閉じて-
瑠璃をベンチに寝かせ、公衆電話から救急車を呼んだ。
戻ったときには瑠璃は目をあけていた。
「ぁ……あ……ぁ」
「無理に喋らなくていい。体に障るからゆっくりしてろ、な」
瑠璃は虚ろな目で俺を見上げた。その口の端は切れていた。よく見ると、顔や首筋に沢山の痣があった。想像できるのは一つの状況。
「虐、待……」
「ぁぁ……ぅ……ゎ……ああ」
何も、云えなかった。
二の腕には、紫色の痣のようなものがあった。
まるで細い針を突き刺したかのように小さな穴が開いている。
「……ッ!瑠璃に薬物を投与しやがったのかッ!」
瑠璃は完全にキマっていた。口の端からは唾液が滴っている。
「外道がァ……!」
救急車が来たのはそれから一分後だった。幸いそれほど病院が離れていなかった様だ。病院内で今回の話をすると、医者は俺の話に声を渋らせた。
「何故です…?虐待して、それで薬物投与なんて重罪でしょう!それも血縁の女の子に…!!」
「久遠さん、この手の犯罪は立証しづらいんですよ……。特に薬物投与は証拠が証言くらいしかない。警察なんて本人から申請があるか、証拠品があるかしないと動かない。虐待に関しても、被害者が自分から助けを求めないと保護ができない。強制捜査に乗り出すにも時間がかかる。それよりその伯父に警戒されて、証拠が引き出せなくなるほうが不味いでしょう。それに……。」
「それに、なんですか」
できる限りの威圧をかけて声を発した。ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「相手が、相手ですしね……。」
俺はもう襟首をつかんでいた。
「あんたあの男と癒着でもあるのか……? あぁッ?」
医者は不意におびえたような表情を浮かべたが、俺の言葉を聞いた瞬間陰湿な顔にもどり、毒々しい声を発する。
「あなた、誰を相手にしているかわかっていますかぁ?彼女の叔父ね、調べるまでもなく完全にヤクザもんですよ?神楽 俊和、ここいらじゃちょっとした有名人でしてね。」
彼は語った。神楽一家の借金を取り立てていたのはほかでもないその叔父だったと。俺は、いやぁ、身内をマトにかけるたぁ救いようのないクズですねぇ、といやらしい笑いを浮かべる彼を責めることはなかった。もう哀れでさえあった。
「あんたも似たり寄ったりだろ」
もう敬語なんて使う気にもならなかった。
「なんです?」
明らかに青筋立てているようにしか見えない。
「マトにかけるなんて表現、一般人は使わねえよ。どうせアンタも同類なんだろ?」
怒鳴りつけられそうな気がしていたが杞憂に終わった。彼はふと何か腑に落ちたような顔をしていた。それどころか含み笑いさえ見せた。
「まぁ、否定はしませんよ。私も所詮汚れ者ですから。話を戻しますが、俊和は簡単に捕まえたりできませんよ。どうせ彼の腰巾着がスケープゴートにされるのが落ちです。」
それにもうどっかに高飛びしたのでは、と医者はそれだけ話して去っていった。医者はとにもかくにも面倒事だけは避けたいようだった。俺はその後、目を開かない瑠璃を置いて家に帰った。
「ただいま」
誰もいないけれど。
電話機の留守電ボタンを押すと、録音された音声が受信数を告げた。
『用件は89件です。……ツーッツーッツーッ。6月8日、午後、五時、八分。』
そこまでいって電話がかかった。
「はい、もしもし。」
「悠、お母さんよ。元気にしてる?」
耳障りな声が聞こえる。父親と再婚した女だった。
「……何回目だよ。いい加減にしろ。」
「だってね、お母さん、悠が心配だから……。」
俺の中で何かが切れた。
「よくもまあシャアシャアとそんな心にもないことを言えたものだな。だいたい、以前別居する際に告げたはずだ。お前は俺の母じゃないと。」
「血はつながってなくても、私はあなたが……「黙れッ!!」
「俺の母は……!母さんはもうこの世にはいない……!どんなに願っても、どんなに寂しくても帰ってこない!それにアンタは金が目的だったんだろうがッ…!そんな女の息子になんか死んでもなるわけにいかねぇんだよ!!」
ガチャンッッ
「なって……たまるかよ……。」
しっかりと受話器が握れず、床に電話機が落ちる。
「っはぁ……っはぁ……。」
そのまま俺は崩れこみ、意識はそこで途絶えた。
病院へ行った。瑠璃は一週間後、また自宅療養に戻ることになっていた。瑠璃は気丈に振舞っていたが、目は常にうつろだった。
「夜以外なら会いに来ていいよ。夜は伯父さんがお友達と遊ぶから……。」
もう聞きたくなかった。学校はどうするの、なんて聞ける余裕はなかった。
「?」
不思議そうに首を傾げる。どうしてそんな風に笑っていられるのか。
もうそんな風に笑ってほしくなかった。
「必ず、お前を助けるから」
瑠璃は困ったように笑った。
ガラッ。
まだ時間はそんなに遅くないのに、夕日は綺麗を超えて、不気味とすら言える。
「……瑠璃」
問いかけても、返ってくる声はない。以前ガスが広がっていたリビングに入る。テーブルには書類があふれている。その中のひとつを手に取った。
「臓器、提供……?」
署名されていた。受取人、斉藤康弘。
提供者、神楽瑠璃。
「……!!」
こんな会社、聞いたことない。背筋が凍りついた。脳が必死に理解しないように回路を組み替えるが、俺はそこにたどり着いてしまう。
「人身……売買ッ!!」
場所は港近く。時間指定は午後七時。現在の時間は五時三十分。港にはバスを使って二時間かかる。俺は急いで駅に走り、タクシーを捕まえた。運転手には事情を告げ、急いでもらった。正式な取引でないという証拠が見つからないため、警察は動いてくれなかった。今の俺に頼れるのは公共機関ではなく人のよさそうな初老のタクシー運転手だけだった。
「(嘘だッ、嘘だッ、嘘だッ、嘘だッ、嘘だッ、嘘だッ、嘘だッ、嘘だッ、嘘だッ、……!)」
不安と焦燥が俺の心を急かす。タクシーの運転手は代金をおまけしてくれた。自分のほうでも警察に連絡してみる、と一言言い残して彼はタクシーを走らせた。全速力で走り、たどり着いた場所は建物ですらない。倉庫だった。
ガシャァァッ!
けたたましい音を立てて、扉は開いた。そこには、歯科医などで使われる治療用ベッドに灰色のベルトで縛られている瑠璃と、複数の男。
瑠璃は、生きているように見えない。瑠璃の目はうつろに、尋常じゃない量の涙を流している。
男たちが囲んでいる台。そこにはおびただしい量の血。何をやったかは、あるべきものがないからすぐにわかった。金属のトレイに並ぶメスや傷口の縫合に使う道具。薬なんて一切見当たらなかった。
「……お前ら、麻酔って物があるの、知っているか」
男たちは腐った笑いをする。
「さあね。ところで、ここは子供(ガキ)の来るところじゃないぜ」
カウントダウンが始まる。
「じゃあ、そいつも連れて帰らせてもらう」
「そいつはできねぇ相談だな。ウチの大事な商品だ。臓器はとりあえず取り出したし、本当だったら消しといてもいいんだが、なかなかにマブい嬢ちゃんだ。ウチで輪姦すことにしたわ」
男は滑稽そうに笑っている。
カウント3、
作品名:close your eyes-瞳を閉じて- 作家名:紅蓮