星の花 <初恋>
サチにもわからなかった。まだ人生たったの十二年でわかるはずもなかった。でも、ナオミチが彼の両親のことを言っていることだけは、子供の自分でもわかった。だから、自分の気持ちを正直に言うことにした。「わたし、わかんない。でも人を好きになるって、大事だと思う」
「だったら、なんでこんなことになるんだよ!」ナオミチは叫んで、おもむろにサチの腕を掴んだ。「好きになったって、仕方ないだろ?」
サチは、思わず身が固くなってしまった。掴まれた腕が痛かった。
「あ、ごめん」ナオミチは、あわてて手を離した。「痛かっただろ? ごめんな」ばつが悪そうに謝った。
「ううん、だいじょうぶ」サチは、ナオミチの意外な力強さにびっくりした。身長だってサチと変わらないぐらいだったのに、いつのまにか自分よりずっと高くなっている。
(ナオ、変わった……)
いつまでも子供じゃいられないことを、うすうす感じた。なんだか自分だけが取り残されたような感じがして、嫌だった。
ふたりはきまりがわるくなって、しばらく口をつぐんだ。
「ねえ、ナオ。前よく行ってた公園に行ってみない?」サチは重苦しい雰囲気を振り払うように、明るく言った。
「今から?」ナオは、目を丸くした。それもそのはず。今は子供が公園に遊びに行くような時間ではなかった。「もう八時すぎてるよ。公園に行ってなにするのさ。雨だって降るし」
「ここにいたって、クヨクヨするだけでしょ。昔みたいに遊ぼうよ!」サチはナオミチの手を引っ張って、彼を立ち上がらせた。「ねえ、いいでしょ?」
ナオミチは困った顔をしたが、すぐにあきらめた。サチが言い出したら引かない性格であることを思い出したからだ。ふたりは親に知られないように、そっと家をでることにした。
「サチ、寒くない?」
ナオミチに聞かれるまで、彼女は自分のからだが震えていたことに、気づかなかった。いくら暖かい四月とはいえ、それは日中だけのこと。日が沈んで夜が更けると、途端に冷たい空気に包まれてしまう。
「ううん、だいじょうぶ」サチは首を横に振った。本当は寒くて凍えそうだったけど、彼に心配かけたくなかった。「ナオ、ごめんね。わたしが誘ったから」サチはうつむいた。
ナオミチは彼女の頭を軽くこづいた。「いいんだよ、べつに。これもいい思い出さ!」彼は元気にそう言うと、自分が着ていたブルゾンを脱いで、彼女の頭が隠れるようにすっぽりと被せた。サチは、心地よい彼の匂いとぬくもりに包まれて、すっかり安心した。
「星、やっぱり見えないね」サチは、つぶやいた。
「うん」ナオミチは、短く返事した。
ふたりは公園の中心にある小高い山の上にすわって、星を探していた。サチが突然「星が見たい」と言いだしたからだ。こんな曇り空では到底、無理なことはわかっていた。でも、サチはナオミチのために、どうしてもやってみたいことがあったのだ。
しかし、そうしてるうちに、とうとう雨が降り出した。
「サチ、帰ろうか? 風邪ひくといけないし」ナオミチに促されて、サチはがっかりした。もうあきらめて帰らないといけない。
「わたし、願いをかけたかったの。星に」サチは夜空を見上げた。「ほら、小さいときに見た映画の歌にあったでしょ? 星にお願いすればかなうやつ。」
「お願いって、なに?」ナオミチは、サチが突然とった行動の理由を知りたかった。でも、サチは「内緒」と言って、舌をぺろっと出した。
「なんだよ、それ。ここまでついてきてやったのに」彼は文句を言った。「でも、ありがとな。ここに来てよかったよ」と、うれしそうに笑った。彼の笑顔を見られて、サチはしあわせになった。「ほんと?」
「うん、ほんとだよ」彼はそう言うと、彼女の手をにぎった。
「北海道に行っても、元気でね」サチは、ナオミチの手をにぎり返した。
「うん」
「おばさんのこと、大事にしなよ」
「うん」
ふたりは手をにぎったまま、もういちど空を見上げた。冷たい雨が火照った頬にあたって、気持ちよかった。
「家に着くまで、にぎってていい?」ナオミチはささやいた。
「わたしも、そう思ってたの」サチは笑顔を浮かべて、彼を見た。
このまま時間が止まればいいのに。ふたりは願った。
雨よ、降らないで。
どうか、わたしたちの願いを星にかけさせてください。
ナオミチは、北海道行きの飛行機内に乗り込んで席に落ち着くと、手荷物のスポーツバッグから、かわいい絵柄がついた手紙を取り出した。
「へえ~、ラブレター?」彼の隣に座っていた、ナオミチのママがからかった。
「うるさいなあ!」ナオミチは真っ赤になって、彼女に背を向けた。その手紙は、今朝別れのときにサチから手渡されたものだった。彼は誰にも見られないように、封筒を開いた。
見ると、手紙のほかになにか栞のようなものが入っていた。黒い長方形の台紙に、五枚の花びらの青い花。まるで青い星が夜空に輝いてるように見えた。
「あら、ブルースターの押し花ね」ナオミチのママが言った。
「ブルースター?」
「そう。星型の形してるから、星の花って言う人もいるわ。青いからサムシングブルーとして、ブライダルにもつかわれてるのよ」
「ふーん、さすが花屋の娘だね」
「まあね」彼女は得意げだった。
ナオへ
あのとき星が見られなくて残念だったね。
だから、雨が降っても見える星をプレゼントします。すごいでしょ?
願い事があるときは、これを見てね。
この花の名前は、ブルースターです。
花言葉は、「幸福な愛」と「信じあう心」だって。
北海道に行っても、ナオが幸せをつかめますように。
信じてるよ。
サチより
読み終わったとたん、ナオミチは涙が出た。人目を気にせず泣きつづけた。サチは自分のことをこんなに思ってくれてたのに、あの夜サチにひどいことを言ってしまった。サチに向かって「好きになったって、仕方ないだろ?」と叫んだ自分をなぐってやりたかった。
「ナオミチ、どうしたの?」息子の突然の変化に、彼のママは驚いた。「やっぱり、北海道行くの嫌だった?」おそるおそる聞いた。
「ううん、ちがうよ」ナオミチは、きっぱり答えた。「オレ、北海道に行ってもちゃんとやる。だいじょうぶだよ。だいじょうぶだけど……」
「だけど?」
「オレ、やり残したことあるんだ」ナオミチは、まっすぐ母親の顔を見据えた。
「もしかして、サチちゃんのこと?」彼女は、ナオミチとサチが黙って家をぬけだした夜を思いだした。
ナオミチはうなずいた。
(やれやれ。子供だと思ってたら、いつのまにか一人前の男の顔になっちゃって)
ナオミチのママは、もう彼が子供でないことを知った。「いまどき遠恋なんて、めずらしくないわよ。しっかりやりなさい」彼の背中をばしんと叩いた。「パパみたいに、泣かせるんじゃないわよ!」
「いってーな! わかってるよ!」ナオミチは、ふくれっ面の顔をして言った。その様子を見て、彼のママはやさしくほほ笑んだ。
どこまでも晴れ渡った空に、白い雲がぽっかり浮かんでいた。春の風が花嫁の白いベールをそよそよと揺らす。まぶしい緑に囲まれたこの庭で、結婚式が執り行われようとしていた。