破顔のワロス
(3)
僕の本名は、沖田と言う。残念ながら総司という名前ではなく、平凡に和生という名前だ。
彼女と別れて半年。それでも生活は続く。何も喉を通らない。そんなのは3日持てばいい方で、体の方が直ぐに日常へ戻ろうとする。量は減っても食べる事を止められないし、空気を吸う事だって、鼓動を止める事だって、自らそれを止めようとしない限りは、いつまでも続いていく。
そんな変わらぬ日常を繰り返しながら、段々と彼女がいなかった日々へと戻っていく。
一昨日の話。
新しい筆名を考えた。
沖田和生の名前は一切出てこない。一新した名前だ。
石垣時雨。いしがきしぐれ、と読む。
崩れて正式な売り物にはならない、そんな煎餅の寄せ集めに『石垣くずれ』という商品があって、文士くずれの自分にはお似合いだと思って、そこからのインスピレーションで名付けた。くずれのままだとあんまりなので、時雨にしたのは精一杯の格好つけだ。
語呂がいいので直ぐに馴染んだ。
口に出してみても、なかなかに調子が良い。
例のエロ本のバイト先を斡旋してくれた友人に電話をかけた。心機一転、その名前でできる仕事を紹介してもらう腹積もりだった。
「じゃあ時雨先生って訳だ」
大学時代からの友人、時任はそう笑った。
「君に興味があるかは知らないけれど」
そう前置きして、仕事を見つけてきてくれる、僕は彼に頭が上がらない。
興味があってもなくても構わない。ようやく取り戻しつつある日常を、仕事で埋め尽くして完璧に彼女との事を忘れてしまうのだ。
「今僕が紹介できるのは一つだけ。オカルト系の雑誌なんだけど『センス・オブ・ワンダー』っていう月刊誌なんだ。そこで取材してくれる人を探していてね」
忘れるつもりだったのは間違いない。だからこそ、いかがわしい匂いのするそんな仕事でも、僕は首を縦に振ったのだ。しかし、その取材にまさか、彼女と関わりのある家族になるはずだった人間とタッグを組んで挑む事になろうとは、その時の僕は知る由もなかったのである。