破顔のワロス
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あの頃、僕はカクマガジン社という小さな、主にエロ本を出版する会社に友人の伝(つて)で潜り込んで、アルバイトをしていた。
『月間セルゲイ』という雑誌の、レイプ・監禁・陵辱物のアダルトビデオをレビューする1コーナー『慰裸馬千代之富士の、性欲の限界ッ!』を担当していて、インディーズ系のAVメーカーから送られてくるアダルトビデオを毎月十数本見ては、その感想を書き続けた。
「あの、これって本当に観て書くんですね」
僕が意外そうに担当者に伝えると、彼は大真面目で切り替えした。
「この枠はさ、たくさんのマニアが見るんだよ。だから手を抜いておざなりにしちゃったり、メーカーから送られて来たプレスそのまんまだったりしたら、結構反響煩いんだよね。かと言って時間割けないしさ、だからまぁ、頼むよ。しっかりやってよね」
毎日毎日、酷い内容のAVを見続けていると、思うのは、この世界はどこかおかしいのではないか? という事だった。女の子に酷い事をしては喜んでいる映像群に囲まれて、僕は本気で日本の行く末が心配だった。
根底にそういうところがあったから、そうしたレビューとしては、本当に不自然な物になってしまっていたと思う。
いつの頃からかレビューの後半、ほとんど総ての作品に『しかしこういう事を実際に行うのは犯罪だから、ビデオで我慢しよう』とか『これが映像作品でよかった。本当にしたい場合はお店か理解のある彼女と打ち合わせの上にやろう』と、説教とも言えない様な良心が見え隠れするようになってしまったのだ。
そんなある日、一通の手紙が読者からそのコーナー宛てに届いた。内容は、こうだ。
『性欲の限界、ご担当者様。あなたの良心的なレビューに私は救われました。小さい頃からレイプや監禁に憧れていましたが、このコーナーの数々の言葉に、それはいけない事なのだと気が付いたのです。ありがとう。あなたのおかげで自分は犯罪者にならずに済みました。本当にありがとう』
それを読んで僕は「狂ってる」と呟いて、そのバイトを辞める事にした。