破顔のワロス
(4)
新宿御苑の程近くに、月刊『センス・オブ・ワンダー(通称、SOW)』編集部のある蕪木出版社は位置していた。
僕は約束の時間に早く着いてしまい、だから、一人御苑に入ってベンチで野良犬のように日向ぼっこをして時間を潰していた。遠くにベビーカーを持ったお母さんと、小学生くらいの子供が見える。お母さんはしきりに赤ちゃんか、或いはその子供に話しかけている風だが、子供は手に持ったNitendoDSをプレイしながら歩いていて、聞き流しているようだった。
そう言えば鞄の中に、最近発売されたRPGの、すれ違い通信機能をONにして来た事を思い出した。NitendoDSの機能の一つでソフトによっては、同じ状態にしている人とすれ違う事でデータのやり取りができるのである。子供の頃には予想もできなかった遊び方で、技術進化の凄まじさは目を見張るものがあるが、中には改造したデータ等を送りつける輩もいるらしく、そういうのは始末に負えない。そもそも、あんな風な親子連れを見る限り、『すれ違う』だけというのにも一抹の淋しさを感じてしまう。
枯葉がふわり舞い降りて、ベンチの角をするりと落ちた。
おそらく、自分がそんな風に感じるのは彼女との『すれ違い』を真正面から受け止める事で解決できなかった事に対しての後悔があるからだろう。
虫食いで三日月のようになっている落ち葉を拾い上げて、指先でくるりと回す。枯れ葉は自ら付け根に離層と呼ばれる部分を作り、本体である樹木から身投げするのだと言う。僕と彼女の別れも、そうした自己防衛ではなかったか。
指先を離すと、風にすら舞わず、枯れ葉は自由落下した。
鞄からDSを取り出すと、目いっぱいである3人とすれ違いの履歴が残っている。
自分から離れる事は、自己防衛であると同時に、本体を立派に育て上げるという大事な役割があるのだ。別れてしまった二人は多分、もう戻ることはないけれど、それは養分になり、人生に新しい枝葉をつけてくれるのだろう。
誰かとすれ違えるだけでも、それは可能性だ。そしてどうやら僕には未だその可能性が残っている。
再びSAZABYの鞄にDSを仕舞い、立ち上がった。約束の時間が近づいている。