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そこにあいつはいた。

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「でも結局、あなたの方からは何のアクセスもなくて、あたしも待ってるのが馬鹿馬鹿しくなってきて、最終期限がこんなに近づいても、それでも何も言ってこないのなら、多分もう心決めてるんだろうって、そう思ってこの間荷物取りに来てみたら、帰り際にヘンなこと言って、何だか知らないけど勝手に怒って、何でだかタイムリーなプレゼントまでくれて……はっきりいって、訳分かんないよ。これ以上引っかき回さないで欲しいって思って、でも……」
「何も言ってこなかったのはそっちだって同じだろ!」
 ダメだ。限界。こめかみ破裂。
 あーあ、香坂さんが壁に耳つけて聞き耳たててるってのに。
「俺だって、お前から何か言ってくるかも知れないってずっと待ってたんだからな。だからこそこんな期限ギリギリまで書類出さずにいて、この間来るって言ったからてっきりその話だろうと思って、手みやげまで用意して待ってたってのに、お前はさっさと用事だけ済ませて、帰り際『書類の方よろしくね』なんてぬかしやがって……ふざけんじゃねえって思ったよ。あれで、もう終わりだって覚悟が決まったんだからな」
 その言葉を聞いた瞬間、葉月は息を呑んだようだった。
 あれ? 俺、そんなこと言うつもりだったっけか?
「……そう、じゃ、終わりでいいのよね」
「い、いいんじゃねえの? お前がそうしたいんなら」
「人のせいみたいに言わないでよ! あなた自身がそうしたいんでしょ」
「は? ……ああ、そう。なら、俺のせいでいいよ。いいですよ、別に何でも構わねえや」
 売り言葉に買い言葉。止まりたいのに止まれない。
 こんなこと言うつもりだったっけか? 俺……。
「分かった」
 頬を震わせながら葉月はガタリと席を立った。
「仏壇にある、あの子のお位牌。あたしが持ってっていいよね」
 あの子?
 ……ああ、あれか。
「勝手にしろよ」
 目線を落としたまま吐き捨てると、葉月は無言のまま階段を上っていった。
 薄暗く湿った台所の静けさが急に背中にズシリとのしかかってきて、堪らず両手で顔を覆う。

 どうしてこうなっちまうんだ?
 あんなに嬉しかったはずなのに。
 やり直そうと思っていたのに。
 一人はもう沢山なのに。

 俺みたいな人間に、結婚して赤の他人と暮らしていく度量なんてないのかもしれない。
 俺みたいな人間は、たった一人でいきられるところまで生きて、死にたくなったら死んで、誰にも気にされず、気づかれず消えていくのが相応しいのかも知れない。
 あいつの母親が言うとおり、俺みたいな人間と一緒にいない方が、葉月のためになるのかもしれない。
 引きつった頬に歪んだ笑みが浮かべながら、せめてやるべきことくらいはやろうと、テーブルの端にあった封筒に意気地無く震える手を伸ばし、送られて以来初めてその書類とやらを開いてみる。
 すると、履歴書めいた書類を開くと同時に、間に挟まっていた小さな紙片がひらりとテーブル下に舞い落ちた。

――何だろう?

 かがみ込んで、紙片を手に取ってみる。
 それは、上品な花模様があしらわれた一筆箋だった。
 見覚えのある字でしたためられた、その短い手紙に目を通した瞬間、俺の心臓は凍りついた。

『前略 母からの手紙に書いてあったことは、半分本当で、半分嘘です。
 私は、あなたが自分のしたことをどう考えているか、その答えによってはやり直しもあり得ると思っているからです。
 あなたの、本当の気持ちが知りたいです。
 私とやり直したい気持ちがあるのなら、迎えに来て下さい。
 あなたの気持ちを教えて下さい。
 そして、母を説得して下さい。
 待っています。  葉月』

 紙片を持つ右手がワナワナと震え始める。

 マジかよ。
 あいつは、俺をずっと待っていたんだ。
 俺が迎えに来るのを。
 八月末に実家に帰ってから、母親に愚痴を言われ続けながら、ずっと。
 その間中、俺は現実から目を逸らして、
 自暴自棄になって、
 物の怪に逃げて、
 そして今、やっと手にしたチャンスをみすみす自分の手で潰そうとしている。
 
 やおら椅子をはねとばして立ち上がると、一筆箋を掴んだまま階段を一気に駆け上がる。
「葉月!」
 仏壇前に正座して手を合わせていた葉月は、驚いたように目を丸くして俺を見上げた。
「葉月、これ……」
 俺の手に握られている紙片を見て、葉月は怪訝そうに表情を曇らせた。
「それが……どうかしたの」
「今、初めて見た」
 葉月は半分口を開けたまま、呆気にとられたような表情で凍りついた。
「こんな手紙、俺、全然知らなくて……」
「……ふざけないで」
 膝の上で握りしめられた葉月の拳が、ワナワナと震えている。
 言いかけた言葉を飲み込んで、俺は葉月の震える茶色い頭頂部を見下ろした。
「何が、知らなかったよ。そんな無責任な答えって、ある?」
 確かにその通りだ。返す言葉もない。
「あたしがその手紙を、どんな思いで書いたのか知ってる? だって、普通こういう状態になったら、旦那の方から何らかアクションがあって然るべきでしょ。でも、多分あなたはそういうことをしない人だから、あたしがしなきゃ、本当に終わっちゃうから……」
 語尾が震えて、口の中で不明瞭に消えていく。
「その手紙を見てもいなかったなんて、言い訳にもなりゃしない。分かったわよ。あなたの私に対する思いなんて、所詮その程度ってことなのよね。よく分かった。これで決心がついたわ。一瞬こんなとこまできて何やってんだろうって思ったけど、無駄じゃなかったってことでよかったわ」
「葉月……」
 言いかけて、口を噤む。
 何を言ったらいいんだ。
 どうしたらいいんだ。
 分からない。分からない。分からない。
 為す術もなく立ち尽くす俺を一顧だにせず、葉月は仏壇に置かれていた小さな位牌をティッシュにくるみ、ハンカチで包んで、大事そうにカバンにしまうと立ち上がった。
「荷物は、後日改めて取りに伺います」
「葉月……」
「家の鍵は、荷物を全部引き取ってからお返ししますから。それまで、貸しておいて下さいね」
 言い捨てると、くるりと踵を返し、階段の方にすたすたと歩き出す。
「待ってくれ、葉月!」
 何を言うべきなのかまるっきり見えないまま、咄嗟に葉月の左腕を掴んだ。
「何? 離してよ!」
「まだ話は……」
「もう話すことなんて何もないわ!」
 俺の手を鬱陶しそうに振り払い、襖が開きっぱなしの押し入れ前に佇んで、斜め下からキッと俺を睨み上げる葉月。
 その姿を目にした瞬間、つま先から頭頂まで一気に駆け上がった戦慄に総毛立ち、瞬きも呼吸も忘れて凍りつく。
 
 そうか。
 そうだったのか。
 だから俺は、あんなにも神無に惹かれたんだ。
 無意識のうちに、俺は……。

「葉月、……」
「聞きたくないわ!」
 荒々しく言い捨てて部屋を出て行く葉月の後を、慌てて踵を返して追いかける。
 早足で廊下を抜け、憤然と階段を下りかけた葉月の足が、三段ほど下りた辺りでふと止まった。
「……何? このにおい」
「え?」
 つられて足を止め、首を巡らせながら鼻をひくつかせる。
「何か、一階が焦げ臭いんだけど」 

――焦げ臭い?