小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

そこにあいつはいた。

INDEX|39ページ/59ページ|

次のページ前のページ
 

其の二十一.余計なことすんなよ!


「神無……神無!」
 頭を抱えて狂ったように叫び続ける神無を何とか部屋の中に入れ、敷きっぱなしだった俺の布団に横たえるも、神無は頭を抱えて身も世もないようにその身をよじるばかりだ。
 余程の激痛なのだろうか、目や鼻や口、顔中の穴という穴から水分を垂れ流し、我を忘れて叫び続ける神無の様子に、おろおろとその枕元にかがみ込んだまま、もう胸が潰れそうで、ただその超音波のような叫びを止めてやりたくて、でも何をどうしていいのか分からずパニックに陥りかけたとき、先ほど聞こえたあの声が、神無の叫びの間から微かに俺の耳朶を掠めた。

――あれは。

 弾かれたように立ち上がり、布団の上を転げ回る神無をその場に残したまま、急な階段を全速力で駆け下りる。
 次第にあの声が近づいてくる。
 台所を抜け、廊下を過ぎ、たどり着いたのは、玄関。
「阿毘羅吽欠裟婆呵(あびらうんけんそわか)……」
 玄関扉のすぐ向こうから、先ほどの声が響いてくる。
 裸足のままタタキに飛び降りて鍵を開け、勢いよく玄関扉を開け放ち、そこに立っている男の名を叫ぶ。
「飯田!」
 飯田は答えなかった。
 目を閉じ、胸の前に数珠を巻き付けた右手を二本指を突き立てて構え、円を描くように動かしてから、その中心を突くように前方に突き出す動作を、先ほどの言葉を唱えながらただひたすら繰り返している。心持ち俯き加減で佇む飯田は、荒行に挑む修験僧のような、ある種近寄りがたい、神々しいとでも言うべきオーラを纏っているように感じられた。
「やめろ、飯田!」
 その動作が一体何を意味しているのか俺は何となく理解できたから、それを止めるべく再度大声を張り上げる。
 だが、飯田は俺の声などまるで聞こえていないかのように、ひたすら先ほどの動作と言葉を繰り返しつつ一歩前に踏み出すと、立ちはだかる俺の脇をすり抜け、扉の開いた玄関に入った。
「待て、飯田!」
 慌てて踵を返し、何の断りもなく家に上がり込んだ無礼者の後を追う。
「阿毘羅吽欠裟婆呵(あびらうんけんそわか)、阿毘羅吽欠裟婆呵(あびらうんけんそわか)……」
 飯田は俺の存在を完璧に無視したまま、先ほどの呪文を張りのある低い声で繰り返しながら、薄暗い廊下を早足で進んでいく。
「待てって言ってるだろ!」
 業を煮やした俺は、前を進む飯田の肩を掴んで力任せに引き、自分の方に無理矢理顔を向けさせた。
「聞けよ!」  
 飯田は、バランスを崩したようによろけて足を止めた。
「どういうことだよ、除霊なんかしてくれって頼んだ覚えはないぞ!」
 飯田は暗い台所の真ん中に立ち、落ちくぼんだ眼窩の陰影をさらに際だたせながら、斜からギロリと俺を見下ろした。
 だが、その恐ろしさに怯んでいる場合ではない。更に激しい語調で畳みかける。
「だいたい、今仕事中だろ! 仕事ほったらかして、こんなとこに来ていいと思ってるのか? 室長に気づかれないうちに、早く仕事に戻れよ!」
「室長のお墨付きだよ」
 静かに返された一言に、俺は次に続けるべき言葉を見失った。
「事情を全部打ち明けたんだ。草薙さんが妖怪に取り憑かれてるって。信用されないかも知れないと思ったから、自分のことも話したよ。そういうものに憑かれやすい体質だってことも、ある程度祓うことができるってことも」
 斜から俺を見下ろしながら、飯田は少しだけ笑ったようだった。
「信じてもらえるかどうか自信はなかったけど、室長、話を聞いた途端なんて言ったと思う?『室長命令だ、行ってこい!』だってさ。即答だったから、驚いたよ」
 そりゃ、お前が言ったらまず誰でも信用するだろうとは思ったが、余計なことは言わずに俺は飯田をにらみ据えた。
「……だから、大手を振って除霊しに来た訳か」
「そう。悪いけどもう草薙さんの意向は聞かないよ。僕は、僕の判断で、草薙さんに取り憑いている妖怪を退治する」
 飯田は俺を真っ直ぐに見据えながらそう言い切ると、再び胸の前に手をかざそうとした。
「余計なことすんなよ!」
 その手を、力任せに振り払う。
「あいつは俺に危害を加えようなんてこれっぽちも思っちゃいねえ。ただ、俺と一緒にいたいだけなんだ。だから、俺は今のままで構わない。頼むから、俺のことは放って置いてくれ!」
「今のままで、本当にいいの?」
 飯田は俺に向き直ると、必然的に高い目線から俺を見下ろした。
「そのせいで体がおかしくなって、まともに仕事もできないような状況なのに」
「別にあんな仕事、俺じゃなくたって誰でもできるだろ」
 鼻で笑ってみせてから、何となく足下に目線を落とす。
「機械の進化に必死で追いついてるだけの俺なんかより、パソコン扱える奴はごまんといるし」
 溜まってきた胸苦しさを、ため息とともに吐き出してみる。
「俺じゃなきゃダメなことなんて何一つ無い。」
 飯田は黙ったまま、陰影の濃いホラー顔で俺を見下ろしていた。
「俺がいなくなっても困る奴なんて誰一人としていない。一時何か足りないような気がしても、一週間もすれば俺のいない日常が当たり前になる。俺の存在なんかあってもなくても同じだ。だったら、俺を必要としてくれる存在と一緒にいる方がいい。たとえそれで仕事を失おうが、最悪命を失おうが、そんなこと、俺にとってはもうどうだっていいんだよ!」
 胸の内に蟠る澱を一気に吐き捨てると、ゆるゆると目線を上げて飯田を見る。
「……だから、頼むから、放っておいてくれ。俺の好きなようにさせてくれ。お願いだ」
 このところすっかり見慣れた飯田のホラー顔。理科室の片隅に置かれている骨格標本のように黒々と落ちくぼんだその眼窩が、僅かに、ほんの僅かに悲しげな色を滲ませているような気がした。  
「確かに、僕らのしてる仕事なんて誇りが持てるほどのものじゃないかも知れない」
 数刻の間の後、飯田は目線を落としてポツリと呟いた。
「華々しさもなければ、達成感も薄い。直接人と関わって感謝されるようなものでもないし、特殊技能や秀でた才能が必要とされる訳でもない。勿論やりがいと達成感に日々裏打ちされて仕事してる人もいるかもしれないけど、少なくとも僕が一番達成感を感じたのは、公務員試験受かった時だったからね」
 自嘲気味にそう言ってから、飯田は再び顔を上げて俺を強い目線で見据える。
「でも、僕の隣に座るのは、草薙さんじゃなきゃダメだ」
「……え?」
 思ってもみなかったその言葉に、俺は口を半開きにして飯田のホラー顔を見つめ直した。
 飯田は照れたように笑って目線を逸らし、独り言のように言葉を継ぐ。
「自分が他人から必要とされてるかどうかなんて、本人は分からないもんなんだよ。僕だって、まさか奥さんが自分を必要としてくれてるなんて思ってもいなかったし」
 それからもう一度俺に視線を戻し、確信に満ちた口調で言い切った。
「でも、人は必ず誰かから必要とされてるんだ。自分の知らない、思いもかけないところで」
 俺はその黒々とした隈で縁取られた目から、視線を外すことができずにいた。
「草薙さんは一人じゃない」
 ホラー顔のはずの飯田が、今までになく普通の人間に見えるのは何故だろう。