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そこにあいつはいた。

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「ああいうものに、あんまり感情移入しちゃまずいよ。いい気になって、したい放題始めるよ。大体ああいう奴らは寂しいから、優しくしてもらえればもっともっとって要求はどんどん高くなる。満足することは決してないから。まあ、あの姿だから夢中になるのは分からないでもないけど……」
 どうやらこいつは、あれから神無がずっと子どもの姿のままだとは思っていないらしい。
 あんな幼児に縋っていると思われるよりは幾分マシなような気がしたので、俺は敢えてその件について言明することは避けた。
 飯田は言葉を切り、数刻天井を見上げて何か考えているようだったが、やがて意を決したように視線を戻した。
「僕、やってみようか」
「? やってみるって……」
「除霊」
 俺は寸刻瞬きを忘れて飯田の落ちくぼんだ眼窩を見つめた。
「……え、でも、お前できないって」
「確かに素人が手を出すべきことじゃない。本来なら然るべきプロに任せるのだ妥当だし、僕自身危険がない訳じゃない。ただ、今の草薙さんはほっとけないよ。そういう目に散々遭ってきた人間としては、見過ごせない。僕ならお金はいらないし、多少なりとも役に立てば……」
「いいよ、いいって。そんなことしなくていい!」
 自分の口から出た言葉が思いの外激しい調子だったので、飯田は勿論、俺自身も目を丸くして言葉を止めた。
 慌てて我ながら不自然な笑顔を作ってみせる。
「……いや、つまりさ、そんな危険なことにお前を巻き込む訳にはいかねえってこと。心配してくれてほんと有り難いけど、俺は大丈夫だからさ」
 飯田は胡乱な目つきでそんな俺を見下ろした。
「草薙さん、あの妖怪に肩入れするのも大概にした方がいいよ。所詮は妖怪なんだから、自分のことしか考えてない」
「肩入れしてる訳じゃねえよ。ほんとに、大丈夫なんだって」
「でも……」
 タイミング良く飯田の言葉を、ミーティング開始のチャイムが遮った。
「あ、ほら、ミーティング始まっちまう。行こう」
「草薙さ……」
 まだ何か言いたげな飯田をその場に放置して、俺は逃げるように部屋に戻った。

☆☆☆

 飯田の言いたいことは分かる。
 確かに俺は、少々おかしくなっているのかもしれない。
 幾分マシになったとはいえ頭痛も悪心も残っていて、身体的影響があることがはっきり分かっていながら、俺は神無との生活を捨てられずにいる。
 
 開店準備を進める商店街を抜けて駅へ向かいながら、規則的に踏み出される爪先を見つめつつ、周囲の人に気づかれないように片頬引き上げて苦笑してみる。
 あの後、飯田はそれでもまだ何か言いたげに俺の方を見ていたのだが、拒否オーラ全開でそれを遮断しつつ、出張をこれ幸いと逃げるように部屋を出てきたのだ。
 バスターミナルを抜け、パスモをかざして改札を通り、俯いたままホームへ向かう。
 
 一体何故、自分がこれ程までに神無に惹かれるのか、よく分からない。
 趣味は至って正常で、これまで幼児を性愛の対象として見たことはないし、だからといって一番最初に見せた神無の裸体に惹かれているのかと言われれば、それも違う。

 何故だか、癒されるのだ。一緒にいると。

 ホームに佇み、入線してくる列車の風に伸びきった前髪を吹き散らされながら、俺は眼を細めて白っぽい空を見上げた。

☆☆☆

 この路線は、日中でも幾分空いた通勤電車並みに混み合っている。
 多少良くなった頭痛と悪心が復活してきて、つり革にぶら下がるように凭れていると、ラッキーなことに次の駅で目の前の若者が降りてくれた。これ幸いと、座席に座り一息つく。健康な時は立っていることが全く苦にならないが、体調が悪いとこんなにも座席の存在が有り難いのだ。
 ほっとして目を閉じた時、耳をつんざく泣き声が車内一杯に響き渡って、俺は驚いて目を開け、音の原因を探るべく周囲を見回した。
 原因はすぐに判明した。入口近くに立っていた三才くらいの幼児が、あまりの混雑と熱気に不快になったのだろう、機嫌を損ねて泣きわめいているのだ。側に佇む母親はおろおろしながら彼女に声をかけ続けているが、幼児は母親の言葉など耳に届いていない様子で狂ったように泣き叫び続ける。周囲の冷たい視線を気にするように、母親は左手に大きな手提げを持ったまま、右手で幼児を抱き上げた。幼児はようやく黙り、周囲も安心したように視線を自分の手元や雑誌に戻し始める。でも、俺は何となく気になったので、そのまま母親と幼児を見ていた。
 電車がカーブにさしかかりガタリと左右に揺れる度、母親はバランスを崩してよろけた。背の低い彼女には、吊革を掴むことは難しいのだろう。よろける度、周りに立っている人とぶつかって、すまなそうにペコペコ頭を下げ続けている。子どもの方はそんな苦労など知る由もなく、無邪気に母親の髪の毛をいじって遊んでいる。
 その顔が、ふと神無の笑顔と重なった。
「あの……」
 気がつくと俺は、半分腰を浮かしてその母親に声をかけていた。
「よかったらここ、座りませんか」
 母親は恐縮しきった様子で礼を言い、何度も頭を下げてから俺の譲った席に子どもを座らせた。
 頭痛を堪えつつ人の間をすり抜けてその場を離れ、戸口脇の手すりを掴んで立ってから、俺はもう一度母親と子どもに目を向けた。
 子どもは座席の上に膝をついて窓の外を興味深そうに眺めている。母親は小さな足の先にある赤い靴を脱がせてやりながら、ほっとしたような表情を浮かべていた。
 そんな二人を見ながら、俺は何故だか、葉月の母親であるあの人のことを思い出していた。
 俺の家は比較的駅に近いところにあるので、移動は大抵電車を利用していた。故に、俺の家では車というもののお世話になったことがない。エコと言えばエコなのだが、葉月の母親が俺に不満を持った大きな原因の一つがこれだった。
『電車、辛いのよね』
 結婚後、初めてうちに遊びに来た時、あの人は疲れたような笑顔でそう言った。
 若い時スキーをして壊した膝が、年を取って痛みを増し、普段歩く際も杖が手放せないという。電車の揺れに耐えて立っていることが辛いので、田舎では殆ど車を利用している。
 うちにも車で来たかったらしいが、何せ都心に近い繁華街のため、駐車料金が異常に高い。故に電車を利用するしかないのだが、あの人にとってそれはかなりの苦痛を伴うらしかった。
 俺はその言葉を聞いた時、単純に腹が立った。車がないのを承知で葉月は結婚したんだし、そんなこと言われたって電車に乗りたくないのはあんたの都合だろう、そんな風に思っていた。
 首を巡らせて、混んだ車内を見回してみる。
 一つ向こうの戸口寄りに、白髪頭で背中が湾曲し、体勢を維持するのもやっとという感じの老人が、手すりに掴まって立っている。
 その前に座る若者は、ヘッドホンステレオで音楽を聴きながら、手元の携帯をじっと見つめたまま視線を動かさない。多分、老人の存在にすら気づいていないのだろう。親指が、凄まじい速度で携帯のボタンを押し続けている。
 俺の目に映るその老人の姿が一瞬、膝の痛みを堪えながら手すりに縋り付いているあの人の姿と重なった。