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其の七．ふざけんじゃねえよ。

「へええ、そうだったんだ」
　巨大なエビ天にかじりつきながら、飯田は落ちくぼんだ目を精一杯見開いた。
「そうなんだ。どうしたらいいかと思ってさ」
　ざるそばの海苔を割り箸の先で弄びながら、俺は肩を落として深いため息をついた。
　翌日の昼休み。俺は約束通り、近所の定食屋に飯田を連れて行った。窓際の席に陣取って、飯田は迷うことなく千五百円のスペシャルランチを、俺も迷うことなくざるそばを注文した。昨日は出張だったから出がけに昼食代千円渡して済ませたので、今日もそれと同様にすることもできたのだが、どうしても昨夜のことを歩くオカルト人間飯田に相談したかったのだ。
　だが、このオカルト人間は呼吸して歩くだけでなく、食う。それも、結構な量を。
「やっぱり着物じゃないと嫌なのかなあ」
　上品な色合いに炊き合わせられた根菜を惜しげもなく口に放り込みながら、飯田は首をひねって天井を仰いだ。
「でも、着物って採寸しないと作れないって言われたし」
「うーん……」
　飯田は右手に箸を持ったまま腕を組んだ。
「それに、問題は何で子どもの姿で現れたかってことだよね」
　眉根を寄せて考え込む姿はそれ自体ホラー映画のワンシーンのようなのだが、今の俺にとってはそんな姿すら何だか頼もしく感じられてしまう。
「ああいう存在が姿を見せるのは、やっぱり何かしら訴えたいことがあって、少しでもそれを分かって欲しくて何らかのサインを出してる筈で……ということは、幼児の姿に座敷童子の言いたいことが込められていたってことになる、のかな」
　幾分自信なさそうにそう言って、飯田はこけた頬に困ったような笑みを浮かべた。
「ごめん、僕も妖怪系ははじめてだから……的外れかもしれないけど」
「いや、全然構わない。聞いてもらうだけでも安定するよ。」
　寝不足でガンガンする頭の痛みを堪えつつ、俺も何とか口角を引き上げて笑顔めいた表情を作ってみる。
「取り敢えず飯田の予測が当たってるとすると、幼児の姿にはどんな意味があるんだろう」
「もしかしたら、一昨日の姿は僕たちを惑わせるための遊びで、昨日の姿が本当の姿なんじゃないかな」
「……遊び？」
「そ。エッチな裸体晒して、僕たちが驚く様子を見て遊んだってわけ。でも、基本的な姿は幼児だから、大人サイズの服は着られない」
「……」
　そばを挟んだ箸を中空で止め、口を半分開けて、俺は首を曲げ曲げ語る飯田の落ちくぼんだ眼窩を見つめた。
「寒くて服が欲しいのが本音だから、本当の姿を知ってもらう必要がある。だから昨日、本来の幼児の姿で現れた」
　飯田の言葉を聞きながら、右手に持っていた箸を無言のままそばの器に戻して俯く。
「なんてね。まるっきり何の根拠もない想像だから、全然違うかも知れないけど」
「……冗談じゃねえ」
「え？」
　震える声を絞り出した俺を、飯田はドキッとしたように見た。
「散々怖がらせて、変な姿見せて、寒いとかぬかしやがって、それでわざわざ服を用意すれば実は子どもでした、遊んでました、だと？　ふざけんじゃねえよ……」
　感情の高まりを何とか抑えようと、テーブル上で拳を堅く握りしめ、奥歯を音がするほどきつく擦り合わせる。
　寝不足でイライラしていたせいか、ここ数日続いてきた緊張と不安が、ここに来て一気に反転したような感じだった。無い金をかき集め、気まずい思いをしながら買ったワンピースが宙に浮いたこともあったし、ただもう無性に腹が立ってしかたがなかった。
「誰が洋服なんか買うか」
「え？」
「一体何で俺があんなもんにへいこらしなきゃなんねえんだよ。俺んちに居候してんだから、へいこらすんのはあいつだろ。俺が知ったことかよ」
　唐突に豹変した俺の様子に、飯田はおろおろと視線を彷徨わせて狼狽えている。
「そ、そんな、草薙さん……これは僕の勝手な想像だよ。それに、座敷童子は丁重に祀れば、幸運が……」
「幸運？」
　思わず口の端が右側だけ引きつり上がる。
「俺にこの先どんな幸運が来るってんだ？　親は孝行する前にぽっくり逝っちまって、株の損失で貯金はゼロ、女房にも愛想尽かされて離婚は秒読み。俺の人生に、明るい材料なんてどこを捜したってありゃしねえ。ある訳もねえ幸運を祈って得体の知れない妖怪にへいこら尽くしてる暇なんて、悪いけど俺にはねえんだよ！」
　言い終わるやいなや握り拳でドン！　とテーブルを叩く。転がっていた箸がピョンと跳び上がり、飯田がビクッと身を縮め、通路を歩いていたウエイトレズが目を丸くして俺を見た。
　食べかけのざる蕎麦もそのままに伝票を引っ掴んで立ち上がると、目線を足下に向けたまま早口で言い捨てる。
「悪いけど、俺、先に会計済ませて出るわ。飯田はゆっくり食ってて」
「え、でも、まだ残ってるし……」
「頭痛くて食欲ねえんだ。じゃな」
　何かもの言いたげな飯田との会話を強制的に打ち切って、俺は早足でレジに向かった。

☆☆☆

　勢いで、いろんなことを暴露してしまった。
　寝不足でただでさえ低い思考力がマイナスレベルにまで低下していたせいなのだろうが、それにしたってやり過ぎた。
　株価下落で俺の唯一の蓄財が動かせない状態になり、事実上自転車操業で生活していることも、皆薄々感づいているとはいえ、女房との関係が完全なる破綻を来していることも、血縁者以外の人間にあそこまではっきり公言したことはなかった。ていうか、株のことを知っているのは女房(あいつ)だけだ。
　デスクに肘をつき、両手で顔を覆ってため息をついてみる。
　指の隙間からちらりと隣に目をやると、飯田がビクビクしながら俺の様子を窺っているのが分かる。
　飯田がどの位口が軽い人間かは知らないが、少なくとも一人二人にはこのことを漏らすに相違ない。その一人二人が、更に一人二人に話し、その人間が更に一人二人に話し……俺の状況が庁内の多くの人間に知れ渡るのも、そう遠いことではないだろう。
　石臼でも詰め込まれたかのような胸の重苦しさを少しでも緩和すべく、もう一度閉鎖された室内の埃っぽい空気を胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

――最悪だ。

　ただでさえろくでもない目にあい続けて精神的にきっついってのに、その上職場にまで私事のごたごたを持ち込まなきゃならねえなんて、最悪すぎる。
　それもこれも、あの妖怪野郎がいけねえんだ。どこが幸運をもたらす座敷童子だ。ふざけんじゃねえ。誰があんなのに、服なんか買い与えてやるもんか。あの家の過酷さを身を以て体感して、別の家にさっさと移っちまえばいいんだ。裸のまんま雪でも降って、室内で氷点下までさがるあの家で凍え死んじまえばいいんだ。

――徹底的に戦ってやる。

　鼻息荒く顔を覆っていた手を外すと、怖々と俺を見つめる飯田の目線を左頬に感じつつ、俺はやけ気味にキーボードを叩き始めた。