小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

かくれもの

INDEX|5ページ/8ページ|

次のページ前のページ
 

 そこは、部屋というには狭く、塔の空間というには広い奇妙な部屋であった。中には古ぼけた小さな木の机と椅子があるだけで、他の空間には、大きな歯車や滑車のようなものや何か、恐らくあの大きな鐘だろう、を吊り上げているらしい太い鎖があった。目の前が真っ白に感じるほどの眩しさを感じたのは、部屋の半分以上を占める大きな窓が開け放たれており、そこからいっぱいの陽の光が部屋に注がれていたせいであった。そのまま何となしに頭上を見上げてみると、そこには、あの古く大きな鐘が、まるでこの城を見守り続けてきた威厳を持っているかのように、堂々と吊り上げられていた。
 つい先刻見上げた、遠く高く思えたあの場所に、今自分はいるのか、と感慨にも似た気持ちで満たされる。
 木製の窓枠の上下に手をかけ、身体を突きだして外を眺める。すぐ下に広がる、紅の点在する庭、その先には濃い緑色の森が続き、不意にその緑が途切れたところには丸い湖のようなものがきらりと光り、更に向こうには初めに訪れた色鮮やかな花畑が広がっていた。何にも邪魔されることなく自由に空を舞う風が、無造作に伸ばしてほったらかしの長い前髪を躍らせて過ぎ去っていく。目の前いっぱいに広がる風景の終わりを見ようと、更に身を乗り出す。花畑は終わりがなく何処までも広がっているようで、最後には柔らかい蒼のグラデーションと交わっていた。俺は、初めて地平線というものを目にした。
 魂を抜かれたように、その圧倒的な、世界というものを感じさせる光景に釘付けになっていたことに気が付いたのは、暫く経ってからだった。どれくらい無心に眺めていたかは判らないけれど、脳裏に、瞼に、心にその一枚絵を焼き付けた。そして心の中で小さく礼を告げ、俺はこの、世界と繋がる小さな部屋に後にした。
 再び、あの長い螺旋階段を下りていく。下り切ったところで、ふうと息を吐き、次は何処へ向かえば良いのかと辺りをぐるりと見渡す。しかし彼女達の姿を捉えることはできず、今度ばかりは半開きの扉も見当たらない。遂に見失ってしまったかと、さっきのとは別の種類の息を吐く。冷たい石壁に凭れ掛かりどうしたものかと、何もなくただ蝋燭の炎が揺らめくだけの廊下を見遣る。
 相変わらず城内は静粛なままで、聞こえてくるのは自分の小さな呼吸の音と、ジジ、と蝋燭の燃える微かな音のみである。
「ん……?」
 その静寂が支配している筈の空間に、何処からかカツン、カシャンと物音が響いてきた。何かが忙しなく動いてぶつかっているような、不穏にすら感じるその音は、螺旋階段の右奥から伝わってきているようだった。階段に気を取られてそれまで気付いていなかったけれど、奥を覗いてみるとそこには両開きの扉があった。もしかすると、という期待を込めて、壁に任せていた身を起こし、足音をさせぬよう、物音に集中しながら今までの扉よりも、大きな銀色の扉へと手を伸ばした。
 金属の扉できっちりと閉め切られていたそこは、部屋ではなかった。扉と同じような銀色の金属でできた作業台が壁伝いに続き、中央にも同じものが置かれているここは、厨房だった。入口から一番遠い角には鉄扉があり、その隣には巨大な冷蔵庫らしき長方形の箱があった。その反対側には、幾つものコンロがあり、その規模の大きさはさすが城としか言えなかった。しかし何処を見ても少女の姿はなく、もしかして、あの鉄扉の向こうだろうかと一歩その部屋へ足を踏み入れた途端、ぐんっと、急に強い重力をかけられたかと思うくらいに、思い切り強く何かに身体を引かれた。
 一瞬失神でもしていたのか、はっと気が付くと、厨房にいた筈の俺は、あの書斎の本棚のような、高い壁に囲まれた場所にいた。今度の壁は、よく見てみると本棚ではなく、鏡のように自分の姿がぼんやりと映るものだった。何処だろうかと高い壁を見上げてみると、不意に何かが目の前を横切り、ふわりと身体を掬われる。それを何かと確かめる前に、壁の上の地面へ乗せられる。そこは、先程見ていた作業台だった。振り返って自分をここへと拾い上げたものを確認してみると、何とそれはお玉だった。ふわりふわりと揺れ動くそれは、まるで会釈でもするかのように軽く前後に揺れる。
 目の前のものが信じられなくて、勢いよく視線を上げてみると、あちこちの作業台で巨大な調理器具がかちゃかちゃと音を立てながら、優雅にダンスでも踊るかのように動いているではないか。そこで俺は漸く気が付いた。
 俺は、調理器具と同じくらいの大きさに縮んでいた。
 驚きのあまり言葉を失っていると、目の前を泡立て器がくるくると回りながら通り過ぎていき、ゴムベラが一礼のような動きをしてそれを追いかけていく。呆然と立ち尽くしていると、背中にとんと何かが触れる。働かない頭のままに振り返ると、それはフライ返しで、俺を何処かへ連れて行こうとしているのか、まるでエスコートでもするかのように腰の辺りを軽く押して誘導していく。
 立派な成人男子が、性別があるかすら判らない調理器具にエスコートされるというのは、ひどく釈然としないどころか不満さえも覚えたが、連れてこられたところの前方を見て、俺の頭からそんなことは綺麗に消え去る。
 足元の銀色は少し先で途切れており、その代わりに地面は黒いコンロへと変わっている。このサイズで見るコンロは、黒く太い金属が何本も張り出しているアスレチックのようにしか見えなかった。そんな遊具のようなそれが、どうしてコンロだと理解できたのか。答えは単純である。そこにフライパンが鎮座していたからだ。すぐ傍には、フライパンをじっと見上げるあのブロンドの髪に空色のドレスの少女がおり、つられるようにそちらに視線をやって俺は目を丸くした。
「!」
 コンロにフライパンが乗っていることは、何ら不自然なことではない。俺が驚いたのは、その中にあの黒髪に淡い黄色のワンピースの少女が入っていたことである。そしてそのフライパンが、ホットケーキをひっくり返すような動きをして、彼女を高く飛ばしたのである。何なんだと呟こうとするよりも先に、俺は更に目を見開かされた。少女は寸分の狂いもない綺麗な弧の軌道を描くと、ぱっと消えてしまったのである。
「私の友達は行ったわ。貴方は? 行かなくて良いの?」
 唖然と彼女が姿を消した空を見つめている俺に、すぐ隣から、大人びた口調のあどけない声が掛けられる。びくっと肩を揺らして横に目をやると、あのブロンドの少女が口調同様に年相応とは思えない大人びた笑みを浮かべて俺を見上げ、どうするの?と瞳でも問い掛けていた。
 その少女が、一瞬俺から視線を外したと思った瞬間、俺はまたしても何かに掬い上げられていた。
「う、わっ……」
 驚いて思わず身じろぐと、そんな俺の姿を見て少女はくすりと小さく笑い声を零す。
「いってらっしゃい」
 年相応だと感じる彼女の笑顔を見たと思ったら、俺を掬うフライ返しがそのままフライパンへと俺を放り込んだ。フライパンが再びあの動きをして、今度は俺を天井高くまでぽんと飛ばしたのを感じたのと同時に、目の前が、電気が消えたかのように真っ暗な闇に支配された。

 はっと身を起こすと、放置したままだった色鉛筆が腕に刺さり、俺はここが自分のベッドの上だと知った。
作品名:かくれもの 作家名:@望