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かくれもの

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 空耳のような声に背中を押されるようにして、少女を追って辿り着いた先には、ノイシュバンシュタイン城のような、童話やお伽噺での舞台で定番の、大きく美しい城が聳え立っていた。資料として、ヨーロッパの様々な城の写真はよく見ていたが、実際のものを目の当たりにしたのは初めてで、思わずその全貌を、喉を反らして見上げる。城壁の所々に何かの蔦が張っているのが、何とも味があって良い。城の上部や奥の方の塔からゆっくりと視線を下部や手前の方へ下ろしていくと、すぐそこにある荘厳な門に遅まきながら気が付く。そして、その大きな門の前に、小さな淡い黄色を見つけて、俺はここまでやって来た理由を思い出す。
 外部の者を拒絶でもしているような頑丈で、年月を思わせる門を前に、少女は少しの間じっとしていたが、意を決したように、雄大な門に、小さな手を当てた。決して子ども一人の力では開くようには思えない門は、最初の時の扉のように、彼女を中へと促そうとでもしているのか、重たく軋む音を低く響かせながら、ゆっくりと開いていく。全部が開ききっても躊躇しているのか、少女はその場に佇んだまま動こうとしない。城、というのは子どもにとっては、それこそ見ため通り大きく、自分が物語の世界に入り込んでしまうのでは、と思ってしまうくらいに特別なものではないだろうかと俺は考えている。子どもの無邪気で純粋な感覚は、俺にはもう味わうことはできないけれど、壮大で、そこだけが切り取られ、時間が停止しているかのような非現実なその空間に胸を高鳴らせるのは、きっと俺も彼らも同じものだろう。
 そんな思いで少女を眺めていると、心を決めたらしい彼女はゆっくりと門をくぐり、中へと進んで行った。そんな彼女の後を、逸る気持ちと騒ぐ心を苦笑したい気分で宥めつつ、それでもやっぱり随分軽い足取りで、追いかけるために門を跨いだ。
 門の中には、ここよりも広いものが世界に幾つあるだろうかと思わせるほどに広大な庭が拡がっていた。きちんと剪定されている深紅の薔薇が、その優雅さを披露している。先程の花畑は、可愛らしい花達の無垢さが感じられたが、同じ美しい花でも、ここのものは高貴さと雅やかさが感じられる。恐らく、この庭の中には様々な種類はあれど、紅い薔薇しかないせいだろう。
 その庭の奥、噴水が見える方へ歩いて行く少女の姿を見つける。彼女の方へと足を向けながらも、視線は、紅い薔薇の咲き誇る庭や、古めかしく、動くのかさえ判らないような大きな鐘の見える空を貫く塔など、あちらこちらへ忙しなく動かされるため、自然とその足取りはひどくゆっくりとしたものとなる。これだけ大きく広い城にも関わらず、辺りは静かなもので、微かな風の音に紛れて、まだ少し距離のある筈である、少女の声が耳に届いてくる。相変わらず視線は、初めて目にする城へと注がれていたが、やや離れたところから噴水の涼やかな水音と共に聞こえてくる少女の声によく耳を傾けてみると、その声が一つではないことに気付く。鳥が歌うかのような少女の声ともう一つ、華が笑うかのような同じく少女の声に、俺は漸く落ち着きを取り戻した目を噴水の方へ向けると、そこには俺の追ってきた少女の姿と、その隣には彼女と対照的な、きらきらと陽の光を反射させるブロンドの髪を持つ同じくらいの年の少女が笑っていた。あどけなさを残しつつも、大人びた笑顔を見せるそのブロンドの少女は、ふわりと靡かせているドレスも上等のもののようであることから、この城の主の親族であるだろうことは容易に想像がついた。その身のこなし一つ一つも、きちんとした品を感じさせるものだった。
 そんな彼女は、俺が二人に追いつくよりも先に、俺の追っている少女の手を取り、すっと立ち上がる。城に入られ、見失ってしまっては、もう追うことはできなくなる。俺は笑い合いながら城へと向かい始めた二人を追うために、足を速めようとしたところで、辺り一面に広がっている薔薇の蔓に足を取られる。静かな庭に、がさっという不穏な音を響かせ大きくつんのめってしまう。視界がぶれる直前に、柔らかい黒髪を翻して、こちらを振り返った少女を見たような気がした。
 急いで体勢を立て直し、城へと駆ける。庭の外にあった門ほどではないけれど、重たく鎮座する扉が閉まる直前に何とか身を滑り込ませた俺は、ぱたぱたと軽い足音を、石で造られた壁に反射させながら何処かへと向かう二人の少女の姿を目で探す。
 入った瞬間、石造りのせいかひんやりとした空気が肌を撫でた。城内は、外から見た通りに広いらしく、入ってすぐの広いロビーや、深紅の質の良さそうな絨毯の敷かれた幅のある階段を上った左右には、まるで迷路への入口のように、数えきれないくらいたくさんの扉が、やや薄暗い空間で鈍くドアノブを光らせていた。頭上には、高い吹き抜けの天井があり、その周辺に取りつけられたはめ殺しの明かり取りの窓から、僅かに柔らかな陽の光が入ってきているのが判る。しかしやはりそれだけでは光源と成り得ないのか、ロビーの左右の壁に、アンティーク調の燭台が等間隔で付けられており、大きめの蝋燭がゆらゆらとオレンジ色の炎を灯し、広いロビーを薄明るく照らしている。ロビーとは対照的に、階段を上がった辺り一帯は、城を訪れた者を歓迎するかのように豪奢に煌めくシャンデリアの控えめな明かりが、足元に広がる絨毯までを、より品の良いものに見せていた。
 お伽噺に出てくる城とは異なり、思っていた豪華絢爛さなどはなく、ずっと落ち着いた上品さに溢れていたことに驚き、俺は暫しぼんやりと辺りを見渡していた。好奇心を擽るかのようにあちこちに存在している扉を、片っ端から開けてその先に何があるのか、知識にあるように、侵入者があった時のために態と複雑に入り組んだ通路になっているのか、その通路もまた侵入者が一列でしか行動できないよう敢えて細くしてあるのかなどを調べてみたい気持ちに駆られるけれど、実際にそうであったら確実に迷ってしまうため、俺は城への感興を抑えて、何処かの扉から少女達が姿を現さないかと視覚と聴覚を鋭くする。城の住人であるあのブロンドの少女と共にいる彼女を追っていれば、迷うことはないだろうし、幾つかの扉の中を見ることもできるだろう。
 彼女達が階段を上っていったのは辛うじて判ったものの、上がった先で右に行ったのか左に行ったのかが判らず、階段の下でどうしようかと、横断歩道を渡る子どものように右へ左へと視線を動かしていると、石造りの壁に、離れたところで扉を開く、微かに軋んだ音が伝わってくる。そのまま耳を澄ませて待っていると、ぱたぱたと弾むような二つの足音がこちらに向かってくるのが判った。その足音は左側からやって来ているもので、段々と階段に近付いてくるのが判ると、俺は何故か彼女達に見られてはいけない気がして、階段の影に身を隠した。ここにいれば、彼女達が階段の右側に行ったとしても、下りてきたとしても見つかることはない。音のよく反響するここでは、足音一つでも自分の存在を大きく知らせてしまう。俺は、じっと息まで潜めて、二つの足音と、話し声が向かう方向を見届ける。
作品名:かくれもの 作家名:@望