王立図書館蔵書
「やっと会えたね」
読み終わった手紙から目線を正面へと据えて、来たときと同じ言葉を紡ぐ。
たった一人の友人が殺されたなんてまだ信じられなくて、けれど何度も読み返したはずの手紙をもう一度読み返したら、少しだけさっきより実感がわいてきた。
「ごめんね、さみしかった?」
勇者の処刑の日からもう三日が経った。本当はもっと早く来たかったのだが、なかなか城を抜け出すチャンスがなかったのだ。
「ここね、東のはずれの墓地なのよ。本当は処刑された人は城の裏に埋められるんだけど、お願いして特別に移してもらったの。こういう静かなところのほうが好きでしょう?」
どんなに語りかけたところで目の前の墓標は何も答えてくれない。それは当然のことなのだが、なんだかとてもおかしな気がした。だって勇者はどんな時でもどんなつまらないことだって、話しかければちゃんと答えてくれたから。
「毎日はちょっと無理だけど、時々はちゃんと遊びに来るから。約束よ」
手を伸ばし、墓標につづられた文字をなぞってみる。玉蘭はその名前でほとんど呼んだことがなかった。
「やっぱり、名前長いわよ。しかも発音しづらいし」
それでも、?勇者?じゃなくて名前で呼んだら勇者は喜んだだろうか。それとも、無理しなくていいよと言って笑っただろうか。
そう思ったらまた悲しくて涙が出てきて、ごしごしと手の甲で乱暴にそれを拭った。涙の滲んだ目に夕日が眩しかった。
「きれいだね。いつか、楓と勇者とわたしと、三人でこんな夕日見たわよね。覚えてる?」
たしかあの時は城の中庭で見た気がする。上ばかり見て歩いていて、転んだ楓は泣いていた。勇者は楓を抱き起こして西の森に住んでいる光の妖精の話をしてくれた。その後どうしてもその妖精が見たくて、楓と一緒に城を抜け出して両親に叱られた。たしか玉蘭はあのときから勇者の旅についていこうとするようになったのだ。
「ねえ、勇者。わたしね、誰も恨まないことにしたよ」
思い出すのは楽しかったことばかりで、でもそれはもう二度と帰ることはなくて、楽しい思い出のはずなのにとても切なかった。
「だって、みんな大好きだもの。勇者も、楓も、お父様もお母様も、もちろん浅葱もよ。浅葱は会ったことないけど、楓の大切な人だから」
ぽつり、ぽつりと、玉蘭は話し続けた。そうしないと話すのをやめた途端に大泣きしてしまいそうだった。ここで泣けばきっと勇者は自分のことを心配するに違いない。だからここに来たら絶対言おうと思っていた言葉たちを、答えてくれない勇者に向かって、玉蘭は語り続ける。
「楓ね、やっぱりわたしを見てくれないの。城の偉いお医者さんも首を捻っていたわ」
「勇者は楓や浅葱と会えた? 二人は幸せそうにしてるかな。もし会ったら、わたしは元気にしてるわよって伝えておいてね」
「それとね、お父様に勇者も浅葱も悪くないわって言ったんだけど、両方とももういないのにまだ怒っているのよ。でも、お母様は王は誰が継ぐのかしらってそればっかり言ってるの。これってなんだかおかしいよね? それに、お母様はあれから一度も楓に会いに行っていないのよ。まるで楓はもう死んだことになっちゃったみたい」
遠くで鐘の音が聞こえた。もうすぐ夜になる合図だ。町の子供たちはみんな、これを聞いたら自分の家へ帰って行く。子供たちの父親は仕事から帰り、母親は夕食の仕上げにかかる。
でも玉蘭は帰らなかった。黙って抜け出してきたのだから、早く帰ろうが遅く帰ろうが怒られるのにかわりはない。それならばもうしばらく勇者の傍にいたかった。
「あのね、わたしやりたいこと見つけたよ。なんだと思う?」
鐘の音を聞きながら笑みを浮かべて玉蘭は語りかける。
「世界征服」
何を言い出すのかと変な顔をしている勇者の顔が頭に浮かんだ。
「わたしは王なんかより、ずっとすごいものになるの。それでこの国だけじゃなくて、世界全部変えてやるわ」
女は王になれないのなら、いっそ王よりもっとすごいものになればいい。それがこの三日間で玉蘭の出した答えだった。いつだって姫として適当にやっていた玉蘭が、初めて自分で選んだ道だ。
「誰よりもえらくなって、魔王をなくすの。ううん、もちろん魔王を倒すってことじゃないわ。魔王も魔法が使えるただの?人間?なんだって、魔法の使えない人たちに教えてあげるの。それでね、いつか魔王たちにもう普通の人間として生きていいんだよって言えるような、そんな世界をわたしがつくるの!」
墓標に向かって玉蘭は微笑んだ。新しいいたずらを思いついた子供のように目を輝かせて。
「まだ子供だし急に世界全部は無理かもしれないから、まずこの国から征服することにするわ。こういうのを?くーでたー?って言うのよね?」
昔の人は王が国を悪くすると王を殺して新しい王を立てたのだと、教育係が言っていた。そうやって国は何度も生まれ変わり、歴史は紡がれていくのだそうだ。
「大丈夫、心配しないで。わたしは昔の人と同じまねをするほど芸のない女じゃないわ。誰も痛い思いをしなくていい、清く正しい世界征服をするんだから!」
勇者もきっと、もう浅葱と楓のような悲しいことが起こらない世界を望んだはずだ。しかし玉蘭が父親を殺めるようなことをすれば、たとえどんな理由であろうと絶対に悲しむだろう。だから玉蘭はそんな血生臭いことの一切ない世界征服をするつもりだった。それに何より玉蘭だって父親を殺したくも、ましてや死んでほしいなどとも思っていない。
「やり方はこれから考えるつもりなんだけど、でもきっと大丈夫よね。勇者が守ろうとした国なんだから、話せばみんなわかってくれるはずだもの」
そこまで話して、玉蘭は沈黙した。
ずっと一人で話し続けていたけれど、勇者はちゃんと聞いてくれていただろうか。不意にそんな不安に襲われる。気がつけば空は薄闇に覆われていて、一つ二つと星が輝きはじめていた。その中のどれかがきっと勇者で、楓で、浅葱なのだ。
みんな空にいってしまって、なんだか一人だけ大地に取り残された気がした。
それでももう玉蘭は泣かなかった。
「ねぇ、心配しなくても大丈夫よ。わたしはちゃんと自分の夢を見つけたから、がんばれるから」
夜が来て、朝が来て、また夜が来る。星がある限り、玉蘭は一人じゃないのだ。それにこれから世界征服の夢を実現させるために、たくさん仲間をつくるのだから。
「もう行かなくちゃ。また来るわ。約束よ」
玉蘭は立ち上がり、もう一度墓標にそっと触れてから背中を向けた。
しばらくそのまま立ち尽くして、やがて大きく一歩踏み出しかける。そういえば。ふと、玉蘭の頭を疑問がよぎった。踏み出しかけた片足を空中で静止する。
そういえば、どうやって楓は浅葱と出会ったのだろう。
楓の日記によると、気がつけばそこにいたのだと書いてあった。では浅葱が何かしたのだろうと納得しかけて、すぐに違うことに気づく。
玉蘭はあわてて勇者の手紙を再び開いた。楓の日記の最初のところを探す。