Gothic Clover #05
11
ボクは落下する。
落ちる。
墜ちる。
『死んじゃ駄目っ!』
人飼の言葉がボクの中で響く。
そんなことを言われたのは、どのくらい前だろうか。
いや、そもそもそんなことを言われたことがあるだろうか。
『死んじゃ駄目っ!』
オイオイ、ふざけるなよ。
そんなのボクの勝手だろ?
『死んじゃ駄目っ!』
だいたいキミにどうにかできるような状況だったか?
『死んじゃ駄目っ!』
しょうがないだろ。
今更そんなこと言うなよ。
『死んじゃ駄目っ!』
本当に、何を今更……
何を今更……
何を今更、ボクはもがいているんだ?
気付いたらボクは壁に向かって手を伸ばしていた。
『死んじゃ駄目っ!』
何を今更、ボクはもがいているのだろうか? 諦めたんじゃなかったのか?
堕ちる。
墮ちる───わけにはいかない。
窓の段差にボクの手が届いた。両肩に衝撃が走るがなんとか堪えた。ボクはまた新しくナイフを抜くと、窓ガラスに思いっきり突き刺した。轟音をあげてガラスが割れる。
「っアア!」
ボクは割れた窓から教室に入った。ガラスの破片が身体の数ヵ所に刺さったが気にしない。
「……ハッ」
生きている。
死んでない。
『死んじゃ駄目っ!』
初めてそんな言葉を言われた。
生まれてこのかた、そんな言葉を言われたことなんてなかった。
嫌いな言葉だった。「生きるか死ぬかなんて自分の勝手だろ? 他人の生き様に軽口挟むなよ」なんて思っていた。
でも、
死んで欲しくないと思われることも、悪くない。今ならそう思える。
ボクは教室を出て階段に向かう。
人飼を、救わなくては。
ボクには、人飼を救う義務がある。せめて、命だけでも助けなきゃいけない。
人飼は、ボクの命を救ったんだ。こんなボロボロの世界だけど、人飼はまだ失うことに諦めてない。
だからボクは、掻太を殺す。
今気付いた。彼はきっと、ボクにしか殺せない。友人であるボクにしか殺せない。
他でもない、このボクが殺さなきゃいけない。
まったく、さっきまでのボクは何をやっていたんだろう? ボクは大莫迦者だ。
ボクはまた屋上の扉を開ける。
掻太は、屋上の真ん中でたたずんでいた。ま、ガラス割っちゃったし、ボクがまだ生きてることくらい気付いているか。
人飼は奥からボクを見つめる。待ってろ。
ボクはナイフを構える。
「決着をつけヨウ、掻太」
「……ちッちッちッちッちッちぃぃぃいいいッ! 諦め悪ぃなぁ。まだ理解しねーのか? てめぇ、馬鹿なのか!?」
掻太はぐぐっと上半身をかがめる。
「決着ゥ? んなモンもう決まってんだろ。俺が殺して、てめぇは死ぬんだよっ!!」
掻太は爆ぜた。
さて、考えようか。
掻太のことだ。もう様子を見るのはさっきで既に終わっている。だから今はもうボクの弱点を集中攻撃して、ボクを速攻で殺しにかかるに違いない。
ボクの弱点……潰れた左目。
ボクは左にナイフを構えた。
やはりそこに掻太はいた。しかしナイフに届く前に、掻太の足はピタリと静止する。ナイフに気付いたのだ。でも、それぐらいこっちだって予想している。ボクはそのまま掻太に突っ込んだ。
「うオおおオおオオ!」
次に掻太が仕掛けるのは回し蹴りだ。掻太は大抵、蹴りをガードされると、そのまま反対側に足を回しこんで、相手のガードしていない部分を狙うのだ。見ていれば、反応出来ない程の速さで足を回しているが、それを以前から知っているとなれば別だ。
そんなもの、ボクなら見なくてもわかる。
ボクなら、見る前に知っている。
まだ回し蹴りの勢いがつく前に、ボクは掻太の軸足を掴む。
「! てめぇ!」
「おラァ!」
ボクは掻太をそのまま押し投げた。掻太は空中で姿勢を直して着地する。ボクは素早く距離をとった。
「……へぇ、面白ぇじゃねぇか」
「そりゃドウモ」
「……ひゃはっ」
掻太はまたボクに飛び掛かる。恐らく、次の掻太は何回かフェイクを入れてくるだろう。急によけられるようになったボクを警戒しているはずだ。
掻太は空中で回転しながら拳を振るう。しかし、それはよける必要はない。案の定、掻太の左拳はボクの顔の目の前で止まる。
ふん、どうせ足だろ?
ボクは飛び上がる。その下を掻太の足が凪いだ。いや、これもまたフェイクだ。本当の目的は、空中でよけられないボクを確実に仕留めること。だから最初に利き腕ではない左でフェイクをかけたのだ。ボクは殴られる前にナイフを投げる。ナイフは掻太の右腕に深々と刺さる。
「ぐっ!?」
掻太の動きが一瞬止まる。
一瞬でいい。充分だ。
ボクは掻太の右腕に刺さったナイフを掴むと、一気に腕から手まで引き下ろした。
「がぁぁああぁあぁああああああぁぁぁああ!!」
掻太は絶叫をあげた。ボクはナイフを引き抜く。
オイオイ、それぐらい我慢しろよ。ボクだって左目が潰れているんだ。お互い様だろ。
「ぐぅぅぅぅぅぅっ、てめぇ……」
「ま、少しはやり返せたカナ?」
「………なぜだ? なぜ……」
「もしかして、自分がやられた理由のことカ? わからないのカイ? ボクはキミの友達なんだヨ?」
「………?」
やれやれ、まだわからないらしい。友達として悲しくなってくる。
友達だから、今まで一緒だったから。
だからこそボクは、掻太の動きを読むことができる。
きっとこれは、今までずっと友達だったボクにしか出来ないことだろう。
「サテ、もう一度言うヨ。決着をつけよう、掻太」
ボクは最後のナイフをホルダーから引き抜く。
「キミが死んデ、ボクは生きる!」
「ふぅぅざぁぁけぇぇるぅぅなぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
掻太はボクに左腕だけで殴りかかる。しかし、そのパターンは全て明確にわかる。
みぞおち。脇腹。鼻。下腹部。顎。肝臓。こめかみ。喉。肺。
狙う箇所、タイミング、軌道、全てがわかる拳をボクは全てさばく。もし相手が両手なら、予知していてもスピードがついていけなかっただろうが、今や掻太の右腕は封じた。ならば簡単だ。
掻太の拳をさばきながらボクはふと考えた。
もしかしたらボクは、掻太を殺すために掻太と友達になったのかもしれない。
そう思った。
もちろん、ふざけていると思う。そんなの、後からとってつけた言い訳だ。ボクが友人を殺すことに変わりない。
さぁ、殺そう。終わらせよう。
こんな下らない茶番は、こんな笑えない人形劇はもう終幕だ。
ボクは掻太の左腕を切断した。
「がっ!」
うん、よく斬れる。さすが、罪久のナイフだ。もってきておいてよかった。
「終いダ!」
ボクは後退する掻太に突っ込む。
「うらぁぁぁぁああああっ!!」
掻太はボクの腹めがけて足を振るう。膝がボクの肋骨をかすめる。それだけで激痛が走る。構わない。もうすぐ終わる。ボクは掻太のふところに潜り込んだ。そこでふと、思いだす。
「……アア、掻太。キミにも言い忘れていタ」
ボクは掻太の腹に罪久のナイフを根元まで刺して、最後の言葉を言った。
「ありがとう」
「………………」
作品名:Gothic Clover #05 作家名:きせる