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涙唄

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そんなある晩のこと。その日も心配した王が、彼の前で新しい歌姫に歌わせようとしました。しかし彼は空っぽで音の並びでしかないものを聴くのも見るのも、もうたくさんでした。王から逃げるようにして、いつもよりもずっと早く床に就いた王子は、夢で託宣を享けました。
夢の中でも尚気分が晴れず塞ぎ込む王子に、神は告げます。
《お前は決してうたが聴こえなくなったのではない》
《お前はうたからそのものの本質を識ることができる》
《真実に美しいお前の望むうたならば聴く事ができる》
《それは聴くのではなく心に入ってくるものだ》
 ハッと目を覚ますと、外にはもう太陽が高く昇り明るく照らしていました。王子はたった今告げられた言葉から考えました。彼が望む歌はやはり在るのだと、それを探すべきだと神は示したのだと。
 王子は国中に御触れを出しました。身分は問わぬ、殊な歌を歌える歌姫は城を訪ねて欲しい、と。彼の望む歌ならば、側室と同等の地位と待遇を与えるとも言いました。しかし、城にはなかなか歌姫達は訪ねませんでした。報酬はとても素晴らしいものではありましたが、彼女たちは、楽しむものであり歌うことで周りや自分を愉楽させてきた自分の歌が否定され、歌を楽しむことができなくなることを避けたのです。歌が好きだからこその判断でした。
 これ以外にも各々諸々の理由から、名乗りを上げる者がおらず、王子はどうしたものかと頭を抱え始めた頃、城に三人の女がやってきました。彼女たちは、誰もが目も眩む程美しい容貌をしていました。一人は高貴で矜持が高そうに見えるが、どこか温かな優しさが垣間見える様子であり、一人は、非常に理知的で冷たくすら見えるのに、何処か儚げな様子を思わせる姿で、また一人は、如何にも女性らしく愛くるしい顔立ちの中に、何とも言えない嬌艶さを匂わせていました。
 彼女たちは、その美貌と違わぬ煌びやかな声でそれぞれに言いました。
「私はこの国の安寧と発展を称え、永続する歌を」
「私は王子の利発さを称え、更なる賢明さが授かる歌を」
「私は愛を称え、誰からも本当の愛が与えられる歌を」
そう王子に述べた声はどれも素晴らしい楽器の音色のように雅やかであったのに、いざ彼女たちが殊であるという歌を奏で始めると、王子の耳には何も届きませんでした。彼女たちが歌い始めると、王宮の中には不思議な音と空気でいっぱいになりました。彼女たちの歌は確かに、殊な力が秘められていたのです。しかしそれは王子が望むものとは違っていたので、彼には聴こえませんでした。
彼女たちは、不満や落胆や不服を表情に露にしながら、城を後にしていきました。彼女たちの姿を見送ってから、門番が大きな城の門を閉じようとした時、入口に一人の薄汚れた男が佇んでいるのに気が付きました。男は旅でもしているのか、あちこち汚れた衣服で、脇に布で包まれた何かを抱えていました。門番が不審そうに声を掛けます。
「何だお前は」
「王子が歌姫をお探しになっていると伺いまして」
「お前が歌うとでも言うのか」
警戒しながら訊ねたると、真意の読めない表情で答えた男に、門番はからかうように言いました。けれど男は気に留める様子もなく、その場に膝を折り深々と頭を下げました。
「それ故にどうか王子のもとへお通し願えませんか」
頭を下げたままじっと動かない男に、門番は冗談や酔狂ではないことを悟り、警戒はしたまま男を王子のもとへと連れて行きました。
 王子は先程三人の歌姫が歌を披露した部屋にいました。男はその部屋に通され、左右を王子の護衛兵士に固められ、王子は男から少し離れたところに更に別の護衛兵士を傍らに置いていました。
「旅の者よ、私に如何なる御用だ」
「王子が歌姫をお探しと耳に致しました」
「私が探すはただの歌姫ではない」
「殊なる歌を歌う、と存じております」
「お前が知っているとでも言うのか」
「此の世で、そして王子にとっても最高の歌姫を存じております」
男のはっきりとした言葉に、王子は驚いたように目を丸くしました。
「その歌姫というのは何処にいる」
「此処に来ることはできませぬ故、お連れさせて頂きたく、かくように伺った次第です」
「すぐにそこへ案内してもらえるか」
「はい。いえ、一つだけ、僭越ながら条件をお出しさせて頂く訳には参りませんか」
「言ってみろ」
「はい。かの歌姫も彼女の歌も殊に特別なものであります。故に王子には歌をただ純粋に お聴き願いたいのです」
何だそれはと王子は言いたくなりましたが、男の目があまりにも真剣だったので、彼の言っていることに嘘や出鱈目はないだろうと王子は感じました。
「良いだろう。その歌姫が如何様なものであろうと歌を傾聴することを約束しよう」
「真にありがたきお言葉」
男は門番にした時より、より一層深く頭を下げた後、立ち上がり早速王子を歌姫のもとへと案内しました。王子は、以前歌を楽しんでいた時と同じように、邪魔となってしまいそうな護衛の者を連れて行くことはしませんでした。彼はただ一人、旅人の背中を追って歩きました。
 男が漸く足を止めたのは、この国の中でも一等綺麗に海を見渡すことのできる岩場でした。其処から眺める朝日も夕日も海面も、いつだって美しく、そして様々な表情を見せてくれました。今日の海は何だかそわそわしているように、小刻みに波が揺れて見えます。
王子が岩場の先端まで行ったのを確認すると、男はそれまでずっと脇に抱えていた包みを開きました。分厚い布の中から現れたのは、細かく繊細な模様の施された清美な小さなハープでした。そのハープを海に向けて、男は瞼を伏せて何かに操られるかのように滑らかに弾きました。紡がれた旋律は、全く連なりのない音のように聴こえたけれど、音がバラバラにならないギリギリのバランスでひとつの流れを織り成す、絶妙なものでした。
男が一節弾き終えてから暫くして、王子は驚きに身を凍らせました。
「歌だ、歌がきこえる」
もう幾月も歌声を受け入れることのなかった王子の身体に、確かな歌声が響いたのです。その歌声は、男のハープの音に返事をするかのように、遥か海の方から響いてきます。
「お聴き頂けましたでしょうか、王子」
「あぁ、聴こえる。濁りのない清廉な歌だ」
溜息を洩らすように答えた王子に、男は目尻を下げ、海へとまっすぐに向き直りました。
「久しぶりだな、海の住人よ。お前の願いを叶えに来た」
海に向かって無造作に放たれた男の言葉に反応するかのように、海面の一部がゆらりと不自然な波紋を描きます。
「旅人よ、この歌姫は何処にいるのだ」
「王子、この歌姫は、皆が海の魔物と称す者です」
男の静かな声に王子は一瞬言葉を失くしたように息を飲みます。その目にはかつての強い輝きが宿っていました。
「このような美しい歌を歌う者が魔物であるものか」
王子はきっぱりと言いました。その間にも、風の流れる音のような誰かを呼び求めるかのような海の歌姫の唄は謡われ続けます。
「私は彼女のもとへと行きたい」
「彼女は海の住人故、一度行かれますと二度と戻れなくなるかと存じますが、」
「構わん」
作品名:涙唄 作家名:@望