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涙唄

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王子は男の言葉を遮って、言い切ります。彼の目には、それまであの歌姫の哀しみの唄に魅入られ命を落とした者たちの惑わされたようなものとはまるで異なり、強い意志がありました。男は王子の心を識り、ただ頷き、手にしていたハープを渡しました。
「弾く技量など要りません。きっと彼女のもとへと導いてくれるでしょう」
王子は男からハープをしっかりと受け取ると、王宮への幾つかの言伝と彼への感謝と礼を述べ、岩場を思いきり蹴りました。
 残された男はひとり、歌います。残して逝った者、残された者、残して往く者、残される者を想い、ただ純朴な旋律で歌いました。
 海へと潜った王子は、手元にしっかりと握った男から託されたハープが、最初に彼の弾いた音色を奏で続けていることに気が付きました。そしてその音に流されるかのように、奥へ奥へと向かって行きます。初めは風の音のようだった唄声は、雫のようになり、泡のようになり、遂には彼を包み込む海の水そのものとなったように段々とはっきりしていきました。王子は、その清廉な唄が耳ではなく心に直接響いていることに気が付きました。あの託宣のうたとはまさに彼女のものなのだと、確信しました。
 どのくらい水底に近づいたのか判らなくなってきた頃、王子は彼女の唄声に包み込まれていました。そして唄の中心に辿り着いたその時、王子は歌姫の姿を目にしました。
(貴女が、この唄の、)
水の中で声など出る筈がないのに、王子は確かに言葉を口にしました。
(わたしは、うたしかうたえない。それでもとてもうたが好き)
(貴女の唄は、私のいちばん聴きたかったものだ。ただただ純粋で美しい、唄)
(わたしは、ただわたしのうたを楽しそうに嬉しそうにずっとずっと聴いてくれる人が欲 しかった)
(私に君の唄を聴かせてくれないか。こんなにも君の唄で幸せなんだ)
(ずっとずっと、聴かせていて欲しいんだ)
歌姫の、唄の音色に変化が生じました。ずっと永い間、哀しみを叫び、痛みを嘆き、何かを呼び続けているようだった彼女の唄が、柔らかく、優美で、涙のようにあたたかい唄へと変わりました。すると突然、ぶわりと細かく激しい泡が何処からか現れ、二人を包み込みます。一瞬の間に、二人は泡に覆われて見えなくなりました。その泡はまるで、唄を愛した二人の涙のようでした。

 王子が海の歌姫と共になってから、三日と止むことのなかった嵐が、国や近くの海を訪れることが殆どなくなり、王国には晴れ渡った空を仰ぐ日が増えました。人々は王子がいなくなったことを哀しみましたが、広大な蒼い絨毯のような快晴の空に抱かれているうちに次第に笑顔が戻ってきました。
蒼い空を見上げながら海へと出た者は、時折何処からともなく幸せな唄が聴こえてくるのを耳にしました。まるで、その唄声がこの蒼穹を広がらせているのかとさえ思える程でした。いつしかそれは、海で歌姫と出逢った王子が、彼女と謡う姿だと言われるようになりました。
 しかし、彼らにも幸せばかりがあるわけではありません。永く苦しい思いをした果てに、あの突き抜けるような幸福を彼らは手にしたのです。空は、まるで人々にその哀しみを忘れてはいけないと言うように、年に一度、一か月の間、晴天を忘れます。王子が彼女と出逢う前のように、愛する者のために命を落とした青年に哀傷したように、友のために立ち上がった男に嘆いたように、風を雨を雷を呼ぶのです。
 二人が哀しみの暮れる月、六月は、二人の唄が涙となって世界に降り注ぐのです。
作品名:涙唄 作家名:@望