そらのまんなか
「しかし、本校からのお達しでね。君を放校処分に処することになった」
「何故ですか?」
要が問うと、しばらく沈黙があった。校長は机の上に合わせた両手にため息を落とす。
「理由は言われていない」
「おおっぴらに出来ない、やましい理由、と言うことか」
半ばひとりごちるように、そう言うと、諦めたように校長が応じた。よく見ると、灰色の頭には白髪の割合が増えたように思えた。
「アルファ卒業後の垂直採用には枠があるだろう。卒業生はそのエリア内での就職が原則だ」
「ああ……」
得心がいって、要は頷く。つまり、自分の採用に横やりが入ったということだ。その横やりに、たまたま校則違反が利用された。もし要が品行方正だったら、こんな事態は起こらなかったに違いない。
「異例だが、君にはヨーロッパエリアへ行ってもらうことになる。半年の再履修だそうだ」
「旧フランス本校ですか」
「そうだ」
校長の声はどこまでも重く、そして苦々しかった。そこでふと、重要な事実に思い当たって、要は問いかけた。
「でも、俺はもう二十歳になりますよ」
エコール・アルファでは、原則、入学の上限は二十五歳だった。しかし二十歳以上の人間は選考基準が厳しくなり、実質十九歳までと言っても過言ではないだろう。
要自身はハイスクール高校を卒業してすぐに入学し、その能力と才能を認められ、スキップに次ぐスキップでもうすぐ卒業までの最短記録を塗り替えるところだった。平均は約四年。今までの最短記録は二年半。ノーマルなカリキュラムなら、ペースはユニバーシティと変わりはない。
「だから今、放校処分になるんだろう。あと丸三ヶ月は君は十九歳だ」
要の誕生日は三月の終わりだった。今手続きをしてしまえば問題なく通る。そして半年の再履修が終わった頃には、六月の卒業生と同じ扱いになる。確かに、タイミングが良すぎた。
要は固めてあった前髪が落ちかかってくるのを片手で押さえ、上を見た。白い天井は、十分すぎるほどに年季が入っており、所々がすでに黄ばんでいる。何処を見るでもなくそれを眺めている内にため息をつきそうになって、逆にわざと息を吐き出した。視線を戻すと、校長と目があう。
「お世話になりました」
言って、要は軽く頭を下げた。入学して以来、教官にも上級生にも一度も頭を下げたことがなかった。これからの機会も、これでなくなった。
少し驚いている校長の顔と、目を見開いている副長、教官を横目に、彼はその部屋を出た。
この時点で、それまでの人生が反転したように感じた。
たとえて言うなら、フルマラソンをしている最中、ゴール付近で逆走を余儀なくされたような気分だった。その先の見えなさと途方のなさに青年はうんざりしたが、人生をそこで投げるわけにもいかず、渋々また走り出したのだ。
Ⅲ
一週間の間、ブラッド=エヴァンスの仕事は要=在原の監視だった。彼がきちんと授業へ出ているか、カリキュラムをこなしているか、トレーニングをしているかを見きわめ、報告する義務が、彼には与えられていた。
特に方法を指示されなかったので、ブラッドは大胆にそれを遂行した。
初日、彼は朝は要が出るはずの授業に先回りして教室の後ろに立ち、移動中は二、三メートル後ろを付いて歩き、トレーニング・ルームでは入り口付近に陣取り、宿舎に帰るまでをついて回ったのだ。
彼はいつも通りきっちりと制服を着込み、ついでに、黒いサングラスをかけていた。ゴーグルタイプで少し湾曲している幅広いレンズ。それが紫外線から目を守り、また他人の視線もあらゆる角度から跳ね返す。色素の薄いブラッドにとって、これは自衛の手段でもあったが、しかしこれには要も閉口し、突然の卒業生の出現と異常な行動に他の生徒も驚いて注目の的になった。ただでさえ、濃緑の制服は目立つのだ。
放課後、宿舎の入り口まで大人しく黙って歩いていた要は、そこで唐突に振り返り、自分の後に付いてきているブラッドに対峙した。
「ちょっと目立ちすぎじゃないか、それは」
「そうか?」
自分の姿をちらりと見下ろし、ブラッドは首を傾げた。元々、時季外れの新入生とその特別待遇だけで要は注目を浴びるに十分だったし、ブラッド自身は史上最年少の卒業生として目立つことに慣れていたという背景もあったが、それを勿論要は知らない。彼がファッションではなく、色素の薄さによって弱い目を守るためにサングラスをかけていたことも、旧日本人種である要には想像が付かなかった。
「明日も俺の後を付いて回るなら、もうちょっと考えろよ」
「……わかった」
この会話の交わされた次の日、ブラッドは濃紺の制服を来て現れ、見事に在校生に紛れて要を大笑いさせた。
それから、意外にもつつがなく一週間が終わり、ブラッドは面倒な仕事からあっさりと解放された。要は口ではぶつぶつと文句をこぼしながらも指定された授業にはほとんど出席し、まめにトレーニング・ルームへ通い、予定のカリキュラムを消化しきった。
用意した報告書と共に上司の下へ出向き、口頭でもいくつか質問を受け、それで完全に終了だった。声に出しはしなかったが、これで通常の任務に戻れる、と肩の荷が下りる。
副長室を辞してその外の長い廊下を通過し、階段を下りる。トレーニングを兼ねるため、施設の階段はどこも一段一段の高さが通常より高い。ブーツ型の革靴の底が、縁と擦れて硬い音を立てた。十段の階段を下り終え、左右に広がる廊下を左に曲がる。正面の扉から校舎を出ると、視界の十一時方向にある平屋に向かった。
そこは、エコール・アルファからそのまま就職組となった卒業生のオフィスになっていた。現在その人数は総勢二十人ほどだが、ほとんどは仕事か外へ出かけていて、滅多にここにはいない。
安っぽい入り口をくぐる。そこは、応接室のような装いの待機室だった。向かって正面に扉。手前に二つのソファとテーブルのセット。壁にスクリーンがあるが、大がかりな任務の時にルートや地図を映し出す他は、専ら彼らが映画鑑賞に使っていた。この奥に、大して広くはないが専用のトレーニング・ルームや図書室、仮眠室等がある。
「お帰り」
待機室に入ってすぐ、予想外の声に彼は一瞬足を止めた。顔を巡らすが、視界に人影はない。黙って待っていると、目の前のソファの背もたれから片手が生えた。ひらひら、と海草のように動く。次いで、茶色との境界が中途半端な金髪の頭。髪は短い。
「フランシス」
ブラッドが名前を呼ぶと、フランシス=ユーザックは起きあがってソファの上に座り直した。
この母国由来の名を持つ青年はブラッドと同期だが、彼より三つ年上の二十歳だった。夏生まれなので、旧日本式の年度なら生まれは要と同じ年度になる。旧フランスの出身で、良家らしいが、どちらかと言えば下町に近い家の出だった。しかし本人は、あまり旧フランス一般のイメージとはそぐわない。腕は良く性格も言動も明快で仕事上では文句のない相手だが、他においてはその明け透けさと事あるごとに自分を子供扱いする言動がブラッドは多少苦手だった。
「どうなんだ?」