そらのまんなか
Premier chapitre : moitié-moitié
Ⅰ
目覚めは、あまりよくなかった。
カーテンがついていないため、窓からは直接光が差し込んでおり、目をきつく焼く。都合の悪いことに、部屋は東向きだった。直射日光にまぶしそうな顔をしてから青年は体を起こし、ベッドサイドのパネルの大きなデジタル時計を数秒睨んだ。
黒い髪に黒い目。前髪がやや長く、目にかからない程度まで伸びている。それを手で押し上げて顔の前に庇を作った。数ヶ月切らずに放置していた髪は全体的に伸びていて、彼を元より三割増しで野性的に見せる。
時刻は、午前六時四十三分。起床予定よりはだいぶ早かった。
観念してベッドから足を降ろし、部屋の入り口近くにある簡易洗面所で顔を洗う。部屋においてあったタオルで顔を拭きながら戻る。
昨晩入った時にはよく見なかったが、向かって左側、窓と対面にパイプの簡易ベッド。窓の側には申し訳程度の小さな机がおいてある。パイプのイス。そして、ベッドの手前の壁にはクローゼット。全部で六畳ほどの部屋だ。昨日自分で持ち込んだ手荷物と、事前に送られていた日用品の段ボールがあるため、体感としては四畳半程度だった。
クローゼットを開けて、段ボールをそれごとその中へ放り込む。手で抱えられる程度の大きさだったため、丁度二つが横並びで入った。彼が今まで持っていたものの内、この中に入らないものは少しだったが、ここにくる前にすべて格安で友人に譲ってしまった。幼い頃から、あまり物に執着はない。
段ボールを適当に開け、形状記憶のシャツを取り出す。これだけは丁寧にしまったはずだったが、皺が各所にできていた。少し顔をしかめたが、あまり気にしないことにしてベッドの上に放り出す。次いで、支給されたばかりの制服。ビニールのかかったそれをクローゼットからだし、やはりベッドの上へ。そして手早く身につけた。
制服は濃紺のジャケットとスラックスだった。ジャケットは襟がスタンド・カラーで、裾が腰のあたりまであり少し長い。ネクタイは紺と緑を基調としたストライプだ。制服だけ見れば、何処にでもあるハイスクールと変わりはなかった。違いは、脱ぎやすいようにジッパーになっていることくらいだろう。
鏡の前に立ち、ぎこちない手つきでネクタイを結ぶ。寝癖のついた髪を、水道の水を出して直した。わずかに伸びた髭を剃って、もう一度鏡を確認し、ジャケットを羽織る。時計を見た。午前七時ジャスト。
窓を開けて、ベッドの上に腰を下ろす。昨日渡されたまま狭い机の上に放置されていた書類を手に取り、ざっと目を通した。
一枚目に契約書。時差ボケの頭で、書かされたサインがある。二枚目に規則。項目は少ない。ほぼ常識的な内容に安堵し、彼はページを繰る。三枚目は契約内容だった。条件は今までより格段にいい。それだけを確認してまた一枚めくる。施設の地図と近辺の略図と飛行ルートの示された地図が二枚にわたって示されていた。睨むように数秒間見つめて、大体の地形を頭に入れる。書類は、そこで、終わりだった。
最初のページへ戻る。半分に折って、スラックスの後ろポケットへ押し込んだ。
午前七時半、彼は一つの部屋の前にいた。息を吸い込み、拳でノックをする。しばらくして、女の声で返答があった。
「入りなさい」
その声に促されて、彼は扉を開ける。中は、彼のいた部屋とは比べものにならない広さだった。毛の短い絨毯が敷かれている。正面に木の机があり、一人の女がその奥に座っていた。年齢は二十代後半、ライト・ブラウンの髪が肩のあたりで揺れる。それまで見ていた書類から顔をあげて細い縁のメガネを外すと、彼女は立ち上がった。短い赤いスカートから白い足がのぞいていた。
「貴方が要=在原?」
要は返事の代わりに頷いて、扉を閉める。数歩近づいてから立ち止まったが、特に姿勢も正さず、敬礼もしない。その彼の態度にむしろ微笑んで、彼女は机の奥からゆっくりと出てきた。
「旧フランス本校にようこそ。私はコンスタンス=ブリューノ。ここの副長よ。半年後には貴方の上司になるわ」
「どうも」
「百聞は一見に如かずね。貴方が『ミスター・スカイ』?」
要の顔から表情が消えた。無言で質問に答える。それがすなわち、答えだった。沈黙を縫うように、視線が応酬される。それに、先に折れたのは要だった。顔を横に向けて、目線をそらす。
「……確かに、そう呼んでいる奴はいた」
余裕の笑みは崩さず、コンスタンスは机の手前に腰を降ろした。つま先の方で足を組む。
「いいわ。もうすぐここに貴方のパートナが来るから、彼にここのことは教えてもらって。一応上級生になるから、言うことは聞く方がいいわね。彼は旧空軍からの引き抜きだから、特に規律には厳しいし」
「『一応』?」
その質問には答えず、にっこり、と彼女は笑った。時と場所と立場が違えば、ヨウは騙されていたかもしれない、妙な引力をもった笑みだった。自然、言葉が体の奥へ引っ込む。ヨウが机に戻る後ろ姿を目で追っていると、その場にノックが聞こえ、ヨウの時と同じように彼女は答えた。
「失礼します」
ヨウが想像していたよりずっと、高い声だった。扉が開く先の、目線も低い。端正な顔を縁取る淡い色の髪は長く、首筋を覆うほどだが、今は後ろで一つに結ばれている。濃緑の制服を着ていた。
目が合うとすぐに少年は整った顔をしかめた。しかし何も言わず、彼女に対し直立不動の体勢をとった。
「お呼びですか、ミス・ブリューノ」
「ええ。彼が今日から貴方のパートナになるヨウ・アリハラよ、エヴァンズ」
言われてようやく、エヴァンズと呼ばれた少年はヨウに向き直る。ヨウを上から下まで眺め、眉間に皺を寄せると一度彼女の方に顔をやった。
「失礼しても?」
その問いに、彼女はくすり、と笑い、返した。
「かまわないわ」
許しを得た瞬間彼は一瞬で息を吸い込んで、そしてその動作を無駄にせずに、間髪いれず要のフルネームを呼んだ。
「ヨウ=アリハラ」
呼ばれたヨウはわずかに眉をひそめ、そして訝しげに答える。
「何だ?」
「最初に言っておくが、俺はお前より年下だが目上だ。口の利き方を覚えろ」
低く、一気に言って、息を吐き出した。視線は鋭く要を射貫いたが、特に感銘は受けずに無表情で彼は受け流した。彼自身に自覚もあったが、万人を黙らせるには貫禄が足りなかい。しかし気にせずに、続ける。
「服装と態度もなっていないな。ジャケットの前は閉めろ。シャツの皺はとれ。ネクタイは緩めるな。靴は磨いておけ。ポケットの手を出せ」
最後の一つだけ言うことを聞いて、彼は渋々ポケットにいれていた手を出し、軽く宙に向けて開いた。
「他に何か?」
一ミリグラムも態度を変えないヨウに、こちらも厳しい表情を変えず、少年はなおも口を開いた。
「髪形がだらしない。今後俺の下でやっていくつもりなら午後にでも切って来るんだな」
少年は、ブラッド=エヴァンズと名乗った。年齢は十七歳。線が細く、薄い茶色の髪は肩に届く程度に長く、ブルーグリーンの瞳が印象的な、典型的な西欧系の顔立ちだった。
彼について行くように命じられコンスタンスのいた部屋から出ると、ヨウは空き部屋らしき部屋に連れて行かれた。