ふるさと
うなだれ目を閉じると風の囁きだけが聞こえてきた。
―― おかえり
まぶたの裏に浮かぶ映像。それは懐かしい淡い恋心という名の絵画。
遠くから見た少女は、ひざまでを金色の稲穂に埋め、風に抱かれて歩いていた。その美しさに息を飲み、私は少女に恋をした。
手も握れなかった幼い恋。
成人式で再会したときの『今、何をされてるんですか?』という冷たい敬語が、懐かしい恋心を見事に打ち砕き、思い出から派生する可愛らしくも淫らな妄想から、私を現実に引き戻した。
とはいっても、敬語以外で話し掛けられた記憶もないことに後で気が付いた。
いつだったか、犬の散歩の時間が重なったときもそうだった。
『最近会わないですよね? もうここに住んでいないのですか?』
あのとき、敬語が耳に痛いということを初めて経験した。
弟と遊ぶ姉としての姿も、母と夕飯の買いだしをする娘としての姿も知っている。しかし、女としての姿を知ることはなかった。
私の中で、たった一つだけの決着がついていない恋。
かつての恋心は、私自身も気が付かないほど心の奥底で、今もまだ静かに眠っているのだろう。
この道を歩くようになったのは、恋心に逢いたかったのかもしれない、と今更ながらに思う。
毎年秋の刈入れの時期には、必ず何かが決着を迎えていた。それは恋だったり、友人だったり、目標だったりした。
そして、月と星と風と稲穂と、私を見守ってくれているすべてに支えてもらいながら、それらを乗り越えてきた。
誰かが言った。
何かが始まることは嬉しい事だ。
たとえそれが終了のカウントダウンに過ぎないとしても。
何かが終わってしまうのは悲しい事だ。
たとえそれが次の始まりの準備だとしても。
誰かが言った。
終わりは必ずしも始まりを連れてはこない。
終わっているように見えて、実は終わっていないのだ。
永久回廊のように、ただただ繰り返すだけ。
私は何も終わらせることなど出来ずに、知らぬうちに始まっていた現在に流されている。
私は私の始まりを探しに来たが、始まりそのものなど見つけられようはずがない。
だが、私の起源は確かにここにあった。
まぶたに映るこの金色の草原こそが、私の故郷だった。
故郷とはいうものの、私の色はどこにも残っていない。
それでもここは、また金色の草原になるのだろう。