ふるさと
Act 1 小学校
故郷とはいうものの、ここには父も母もいない。それどころか、姉も、兄も、飼っていた犬さえも、ここにはいないのだ。
自分が育った家に、全く別の家庭が生活してるのを目の当たりにして、なんだかタイムスリップしたような不思議な感覚に包まれた。
キャッチボールをする親子。昔はいくらでも見れた光景だったのに、今ではそうそう御目にかかることはなくなった。
父親の方と目が合ったとき、私は失礼にならないように、また、不自然にならないように会釈をした。
その父親は、すぐに自分の息子に視線を戻した。
私は今、この場所において来訪者であり余所者なのだ。
二十メートル程歩いて路地を右に曲がると、さらに住宅地が続く。その道を三十メートル程進むと、一つだけ青い屋根瓦の家がある。それは、幼馴染みで初恋の相手の住んでいた家だ。
二年程前に、市内のどこかの分譲マンションを購入して引っ越したらしい。
そこにもやはり全く別の家庭が生活していた。
当時飼っていた犬が、必ず玄関前の電柱で大きい方と小さい方を済ますので、たまに、トイレットペーパーを貸してください。と身勝手な訪問をしていた事を思い出した。
その歩道の真ん中には、小さな女の子用の三輪車があった。
その昔、三輪車の二人載りなんかをやってお互いの母親にこっぴどく怒られた事を思い出した。
「僕がムリヤリしたんだ、だから僕だけが悪いんだ。トモコちゃんを怒らないで」
なんて幼いながらもカッコつけてた事は、今でも赤面の思い出だ。
私は通行の邪魔にならぬよう、三輪車を電柱の傍に寄せておいた。
それからほんの十メートルも進まないうちに、小学校の正面玄関に着く。
当時、しっかり覚えていたはずの玄関に飾ってある胸像の人物の名前は、もう記憶の彼方に行ってしまったようで、どうやっても思い浮かばなかった。
胸像の前で首を捻っていると、校舎内から呼ばれる声がした。
「もしかして、ヒロクンじゃない!?」
声の主は四十半ばの女性だった。
校舎の一階、正面玄関の隣は職員室で、空気の入れ替えの為に窓を開けた際に、偶然にも私を発見したらしい。
少し掠れたその女性の声を忘れるはずはない。
小学校一年から四年までずっと担任だった、大友先生だ。
私が、そうですよ、という意味の会釈を返すと、にっと笑って、頭を引っ込めた。