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午前0時の桜吹雪

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 無意識の内に息を飲んだ。そして無意識の内に息を飲んだ自分を意識できた。刹那と呼ぶのが相応しいくらいの僅かな時間ではあったが、その瞬間、世界はありとあらゆるしがらみから解き放たれて、止まっていたように感じた。
 目の前の光景はあまりにも綺麗だった。花びら達が爽やかに吹きぬけた春風に乗り、視界を埋めつくさんばかりに再び咲き誇っている。いつの間にか雲が晴れたのか、柔らかく差し込む月の光が夜の闇に暖かなピンクを浮かび上がらせた。
 一度は散った花びら達が魅せる一瞬の桜吹雪。
 日付も変わろうかという、見る人もない時間。夜桜といっても、しっかりとしたライトアップの設備があるわけでもないし、強い風が舞った後のほんの数秒間限りの出来事だ。しかし、いやだからこそなのかもしれない。その絶景は、太陽のもとで咲き乱れる満開の桜と比べても決して見劣りすることはないだろう。
 そんな光景に、一度は止まった涙が再びこぼれた。
 程なくして風が止み、夜に見事な桜吹雪となって舞い上がった花びら達は大地へと還っていき、そして、再び路傍のゴミとなった。
俺は、本を拾うことも忘れて立ち尽くしていた。
どのくらい呆然としていたか。蒼い煌めきを投げ下ろしていた月は雲の裏側へと姿を隠し、肌寒さの残る変哲のない春の夜が再び顔を覗かせる。
腰を屈め、本を拾うと表紙に付いた土埃を簡単に払いながら、ベンチへと戻る。ベンチに腰を下ろすと、書店のブックカバーを一度は捨てた本にかけて鞄にしまった。
 相変わらず頭はズキズキと痛み、鳩尾の下辺りに残る不快感も振り払えたわけではなかったが、目を瞑り、一度大きく息を吸い込み、そして深く長く吐いた。肺に残った酸素を全て出し切り、数秒間呼吸を止める。そして目を開け、立ち上がった。右手にはテカテカと光沢を放っている、真新しさの恥ずかしい鞄。依然、手にずしりと重みは感じたが、それでも少し、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
 ベンチを後にし、出口の柵付近まで歩みを進める。ふと振り返ってもう一度桜の樹を仰ぎ見た。来年は満開の桜を見に来よう。少しだけテカらなくなった鞄を持って。要らなくなるほど読みこんだ本を捨てに来よう。
 3度目の風が吹いた。微かな強さだったのでもう花びらを巻き上げることはなかったが、その風は追い風だった。
作品名:午前0時の桜吹雪 作家名:武倉悠樹