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花束を持つ手にはナイフを

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 高部の持つ携帯の画面には、はじめは娘が打ったらしいひらがなだらけの「パパ、がんばってね」という言葉と、そのあとには「あなた、ご苦労様。無理しないでね」の妻の打ったらしい文が並ぶ。可愛らしい絵文字いっぱいの画面は文字こそ短いが、優しさに溢れていた。ここでマーリアと過ちなんて犯そうものならば、自分は大切な二人を裏切ることになるのだ。それでなくとも実は元殺し屋で今もその手伝いをしていて、今は昔のような仕事を少ししているのだ。これ以上愛しい人たちには嘘は重ねなくない。もし、つかなくてはいけないのであればそれは最低限のものだけにしたい。
「そうなの」
 マーリアはため息をついて口元に悲しげな笑みを浮かべた。
「あなたは愛しているのね、家族を」
「もちろん。見てくれ。二人からのメールだ」
 思わず高部は妻と娘のメールをマーリアに見せていた。マーリアはメールを見て、ぽつりと
「可愛いメール……けど、あなたって雰囲気読めないわね。迫った女に家族のことをのろけてメールを見せるなんて」
「あ、いや、その、あの」
「ジョークよ」
 慌てる高部にマーリアはにやりと口元に笑みを浮かべた。
「私の家族は、私を売ったのよ」
「マーリア」
「私が、十一のときだった。まだ、初潮もきていなかったときよ。男が家に来て、こいつはもう女の体かというの。そうして母がいいえ、違うわ。だから、子供できないから安心してなんていうの。私、意味がわからなかった。その数分後に、その会話の意味をいやというほどに知らされたけどね」
 マーリアの言葉に高部は目を細めた。
「私の母は、日本ならお金があると思って来た馬鹿な異国の女なの。密入国したのはいいけども、日本にもあまり仕事はなかった。体を売っても全然稼ぎにはならないし、そのうちビザが切れてしまいそうになってる。だから、母は日本人の男と結婚しようと思ったの。密入国した女がよく使う手よ。……子供を作ったの。それで情が湧いて結婚してくれると思ったのね。母は賭けをして、そして負けた。男は逃げたわ。どこの誰の子とも知らない子供の父親なんかになりたくないって」
 そんな話はきっと夜の街ではどこにでも転がっている。
 捨てられて、認知されず、この世には国籍のいない、存在しない子供が夜の街にはいるのだ。
「母は、運よくこの街で生きてきた。私は、十一で客をとらされ、そのあと、今の組織に売られた。はした金でね」
「マーリア」
「家族なんてどごがいいの? 血の繋がりなんて、そんなにも大切なのかしら。あなたの奥さんだって、とっさのときにはアナタのことを売るかもしれない」
「そうかもしれない」
 高部は否定はしなかった。したくても、自分はこの仕事についてから多くのものを見てきた。信頼していた仲間に裏切られたことも過去にはある。そして自分も自分のことを信頼してくれた者を裏切り殺したこともある。
 その世界にいきて高部の心は凍てつき、何も感じなくなってきていた。このままでは自分が可笑しくなるということを感じながらも、人を殺し続けてきた。それ以外の方法で生きることを高部は知らなかった。そんな自分に光を与えてくれたのが今の妻だ。そして光はやがてもう一つの光を与えてくれた。それが子どもだ。そんな二人のためにも高部は殺しの仕事をやめた。真っ当とはいいがたくても、出来る限り危険の少ない、家族を護るために生きようと決めたのだ。
「けれど、信頼しても、それで裏切られても構わないと今は思っている」
「どうして」
「裏切るよりも、裏切られたほうがとてもいいからだ。そのときは自分のばかさ加減を笑えるが、裏切るときは自分の汚さに嫌気がさす」
 高部は昔、信頼させた相手を裏切ったことがある。その相手は高部の裏切りに殺した。元々は殺すべき相手だったのだから、裏切っても気にすることはないはずだった。しかし心はちくちくと痛み、何年たっても、それは消えない痛みとなって高部の心を支配した。
「青臭いこというのね」
 高部は苦笑いして肩をすくめた。マーリアは乱暴に髪の毛をかきあげた。
「けど、あなたのそういうところ、嫌いではないわ……ごめんなさい。試すようなことをして」
「いや、構わないよ」
「ごめんなさい。ありがとう」
 それだけ言うとマーリアは椅子から立ち上がり、ベッドへともぐりこんだあとに気がついたように顔だけをベッドから出した。
「あなたのベッドはないけど、一緒に寝る?」
 あきらかにからかわれていることに気がついて高部は笑った。
「馬鹿なこと言わず、さっさと寝ろよ」
 乱暴に言い返すとマーリアは布団をかぶって寝てしまった。
 高部はため息をついてふかふかのソファに腰を降ろした。ベッドとして使うには十分だった。

 ふかふかのソファの中で高部は何度も寝返りを打った。
 肉体も精神も疲れているはずであったが、眠気がやってこない。高部は、神経質で枕が替わるだけで寝れないタチなのだ。それが自分には合わない高級ホテルなんてものにとまっているせいだろう。ついでにマーリアに迫られたのも実はけっこうきつかった。久々に触れた女の体に心は昂ぶり、体も反応してしまっている。頭の中で九九の計算をし続けているが、それでも気が治まらないのでしかたなく眠れるようにと羊を数えはじめたはいいが、それもとうとう五百四十七匹に突入しようとしていた。
 五百四十八匹目が、高部の頭の中にあらわれたとき、部屋に変化があったのを高部は素早く感じ取った。
 感情が研ぎ澄まされていたせいか、そのささやかな変化は彼にとっては大きかった。慌ててソファから起き上がる。とたんに闖入者は驚いたように体を震わせた。
「誰だ」
 暗い電気のついていない部屋で高部は闖入者に向って吼えた。
 闖入者は手に持つナイフで高部に襲い掛かってきた。
 高部はソファから飛びのくと闇の中でも銀色の輝きを放つナイフが深々とソファに突き刺さる。相手は訓練されたプロらしい。すぐさまにソファからナイフを抜き取り高部へと向ける。
 向けられたナイフに高部は息を呑んだ。
 この男は人を殺したことがある、プロだ。そんなプロと素手でやれあえると思うほどに高部は馬鹿ではない。
 男がナイフを持って襲い掛かってきたのに高部は後ろへと下がった。二撃目もなんとか避けたが、高部の背には何かがあたった。
 横目で見ると、傷一つない嫌味たらしい白い壁があった。追い込まれたらしい。
 この危機的状況に思わず心の中で念仏の一つも唱えたくなった。脳裏に妻と愛しい娘の顔が浮かぶ。保険は入っているし、ローンがあるが一軒家、妻の敦子はしっかりしている。フウマは裏組織の中では属する者にたいしては甘い。ここで殺し屋に殺された高部のためにも家族のことは一生責任をもってくれるだろう。なんだ、俺がいなくったて大丈夫だ。
 自分がいなくなったそのあとはどうなるのか高部はちらりと考え、さして問題もないことにちょっとだけ寂しさを感じた。
 ナイフが向ってくるのに高部の頭の中では走馬灯のように人生が振り返っていく。その中で最後に思い出した。
 ――私、まことくんのお嫁さんになる
 高部は美しい思い出からそのとき現実へと蘇った。
「そんなことさせるかぁ!」
作品名:花束を持つ手にはナイフを 作家名:旋律