花束を持つ手にはナイフを
「……あなたは私のいた組織のことを知っているのでしょう?」
マーリアは小首をかしげて不思議そうに尋ねた。
高部は素直に首を横に振った。ここで下手に嘘をつくのはよくない。こういう場合は依頼者との信頼関係を作らなければ、仕事はうまくいかない。
もう十年ほど現場離れしていたが、「営業」の現役であったときに学んだことはまだ忘れてはいないようだ。
「いいや、知らない。正確には、この仕事についてもほとんど知らない」
高部の言葉にマーリアはしばし考えるようにして口を開いた。
「……私のいた組織は、子供を売り買いするところだった。だから、面倒でみんな同じようにつけられていたの名前は」
高部は驚きはしてはいなかった。
裏組織で人身売買は決して珍しいことではない。貧しい生活の上で親が子を売ることなど腐るほどによくある話だ。生きるためにはどうしようもないというのはよくあることだ。ただそうした組織があることは知っていたとしても、子を持つ親としては嫌悪の対象にしかならないことは確かだ。
「私は、たまたま運がよかった。殺し屋として育てられたの」
「殺しもしているのか」
「子供を逃がさないための処置よ。……この子の父親は、私たちのいた組織の情報を嗅ぎまわっていた刑事の娘なの。父親は捕まえて殺したけども、組織のことを調べたデータがなかったの。たぶん、娘に預けてる。だから、その娘が吐き出すようにと」
「捕まえたのか」
「ええ」
捕まえて吐かせるために彼等がこの小さな子になにをしようとしたのかと考えると高部は深いため息をつきたくなかった。
考えれば考えるだけ憂鬱となる話だ。
「君は、この子を連れ出して逃げたわけだ。組織を裏切って」
マーリアはこくんっと頷いた。
「それで、どうする」
「この子の持つ情報を売って、仲間たちを助ける……これ以上、もう犠牲を出したくないの、私たちのような……けど、一人では何も出来なくて、結局は他人に助けを求めた。フウマという組織があるのを知っていて、事前に接触できるようにしておいてよかった」
「君は……えらい」
高部はマーリアの言葉に素直に感動し、彼女の手を握り締めていた。マーリアが驚いたように目を見開いた。
「たった一人で、そんなことを考えて動き出す。それだけですごいことだ」
「……ありがとう」
マーリアはベッドで眠る少女に視線を向けた。
「だから、この子は希望なのよ」
高部はマーリアの言葉にひどく感動していた。根が純粋なせいか陳腐な恋人と死に別れたというべたべたの感動映画でも泣いてしまうタチなのだ。
マーリアの決断には素直に感動し、思わず眼鏡を拭くふりをしてこっそりと涙を拭ってしまった。
高部は改めてこのマーリアと少女を守ろうと決めた。
夕食はルームサービスを頼んで済ませたあとは、何かすることもないので高部は手持ちぶさを紛らわせるためにテレビをつけてニュースを見ていた。
可愛いアイドルの女の子が出来ちゃった結婚したというニュースを見て、いつか自分の娘もこうなるのだろうかと高部が不安がっているとニュースの話題はかわり小さなアイドル事務所が火事が起こったという放送がなされた。
「最近は物騒だなぁ」
高部は眉間を寄せて呟いた。全身が焼けて身元不明の死者も出ているというニュースを聞くとなんとも沈痛な思いがしてならない。しかしアイドル事務所というと見た目は可愛い女の子たちが多かったのだろう。それが死ぬときはどこの誰ともつかない有様となるとは、少しばかり切ないものもある。
「高部」
「ああ、マーリア……あっ」
振り返ってみるとマーリアはバスタオルだけを身につけて、ほとんど裸であった。風呂上りの彼女は全身の白い湯気をまとい、髪の毛からは水雫をしたたらせている。それがなんとも艶っぽい。高部は慌てて目を床へと向けた。
まるでうぶな中学生の男の子が場違いにも年上の女性の着替えをみてしまったかのような反応に高部自身戸惑った。これでも恋愛結婚した妻と娘を一人設けている。若い頃は女性を泣かせるようなこともしてきた。今更、一人の女性の裸でたじろぐこともないはずだが、いかんせん真面目な高部は結婚してから妻以外の女性の裸なんて見たことがない。それに最近は敦子とはご無沙汰であった。マーリアの今の姿はそんな高部には心臓が止まるほどに刺激が強すぎた。
「高部」
マーリアが高部を呼ぶ。
その声がしんみりと心を叩き、自分を誘うかのような響きがあるようで高部はまますす慌てた。
「あ、寝巻きがなかったのか。だったら。すぐにとって」
「違うの」
マーリアがいい、椅子から慌てて立ち上がろうとする高部の手をとった。手をとられて十代の乙女よろしく高部は体を跳ねさせて、思わずマーリアを見た。
高部は顔を真っ赤にしてマーリアをじっと見つめた。
マーリアは真っ直ぐな瞳で高部を見ると、身につけていたタオルを床に落とし裸のまま高部の身に擦り寄った。
「ま、ままま、まままま、ま、まりあ? ど、どうしたんだ」
口から心臓が出そうな勢いで高部は尋ねた。
「私を抱いて」
「だ、だだだた、だくぅ? な、なにいってるんだ。ま、まりあ」
マーリアの湿った髪の毛が鼻腔をくすぐり、スーツを濡らす。しっとりとしていて重い肉体の密着。
高部の頭はもう混乱の限界に達していた。
「私では魅力に欠ける?」
「いやいやい。それは、もう、ぼいんで、すらーとしていて、君みたいな人を抱けたら、もう、本当にいいよ」
高部はマーリアの顔を見つめて真剣に言い返して、自分がなんてアホなことを言っているのだと頭の中で自分につっこんだ。
「けど、けどだ。どうして、いきなり」
「寂しいのよ。私」
マーリアの瞳が真っ直ぐに、餌をねだる猫のように高部を見つめる。高部の心臓は大きく高鳴り、男として当たり前の生理的現象で下半身もちょっと痛くなった。いかん、このままではいかんだろう。高部は必死に頭の中で自分を自制し、気をそらすために頭の中では九九の計算を開始した。
「ま、まーりあ、けど、わたしは、お、おっさんだし」
「あなたは、セクシーよ。高部」
九九の計算どこまでいったけ。えーと、五×二はいくつだった。
「お願い。高部」
マーリアの手が肩を撫でる。
柔らかい手に高部の頭からは九九の計算は吹っ飛んだ。思わずマーリアの肩を掴んだとき、胸の中で携帯が震えた。それが高部をあと一歩で過ちに走ろうとする煩悩を引き止めてくれた。高部は慌てて携帯を取り出してみると目を見張った。
「高部?」
高部の顔色が変わったのをマーリアも察して、不安そうな声をあげた。
「だめだ。マーリア……私には妻と子がいるんだ。さぁ寝巻きを着て」
高部はやんわりとマーリアを自分の身から引き離して、椅子に座らせるといそいそと部屋に備え付けられている浴衣をクローゼットから取り出して、マーリアの身にそっとかけてあげた。マーリアは憤然とした表情で高部を見つめている。
「女に恥をかかせるのね」
「すまない」
高部は苦笑いを浮かべて携帯をもう一度見た。
「誰からなの」
「娘と妻からだ」
作品名:花束を持つ手にはナイフを 作家名:旋律