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花束を持つ手にはナイフを

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 高部は切れた携帯を握り締めた。思わず、めきっという音が立った。だが、すぐに携帯が壊れたときの問題点を考えて慌てて手から力を抜くが、腹の中には言い知れぬ怒りというか理不尽さが入り乱れていて、ずきずきと胃が痛み始めた。
 こんな命令は無視して帰ってしまえばいい。片桐がなんだ。自分のほうが年上なのだし。――ただし立場は彼のほうが上だ。
 ここで下手に逆らったら、あの腹黒い片桐のことだ。きっとあとでちくちくと苛められる。
 自分の立場を嘆きながら高部は地下まで降りた。
 地下駐車場の管理室がある。高部が窓から中を見ると制服を着た男が笑って窓を開けてくれた。
「ご苦労様です。話し聞いてますよ。どうぞ。車は、一番端のゼダンですから」
「わかりました」
 車のキィを受け取りつつ、そんな高級車に乗っているのかとまたしても恨みというか妬みというものが胃をじくじくとさせる。
 最近胃の調子が悪くなった。前の健康診査のとき、注意されたが、今度の診査はひっかかるかもしれない。
 腹に手を当てつついそいそと高部は車に近づき、その車の横に白く大きな物体を見た。
 冷たいアスファルトの上に横たわっている、それはどうみても人間だ。それも年齢でいえば十二から十五くらいの痩せた女の子だ。しかも全裸。
「はい?」
 あまりのことに間の抜けた声しか出てこない。
 なんで女の子がここに。
 その上、全裸。
 それも倒れているし。
 なぜ?
 疑問がぐるぐると頭の中に渦巻いて思考停止しそうになるが、このままほっておくというのは女性を守る日本男児の立場として許されないだろう。ましてや裸なのだから。高部はいそいそと上着を脱ぐと、女の子にそっとかけてあげた。別にロリコンではないし、女性の裸を見るのがはじめてというわけではないが、それでもやはり気にしてしまう。不可抗力とはいえつい見てしまったことを心の中で妻に詫びた。
「とにかく、人を」
「その子に触らないでっ」
 鞭を打つようにしなやかな凛とした声。
 ほぼ同時に高部の頭部目掛けてかかと落としが振り下ろされる。
 高部は咄嗟に女の子を両手に抱えて、後ろへと退いた。
 黒革の衣服に身を包んだセクシーな女性が立っていた。金髪に赤い唇。青い瞳は敵意をむき出しで高部を睨みつける。
「その子を返しなさい」
「いや、待ってくれ。どうしてここに? ここに入れたんだ」
 高部は思わず問い返していた。女はそんな高部の問いに答えることもなく殺気をたたえて向かってくる。これはまずい。
「えー、あー、もう」
 今日も家に早く帰って愛する妻と娘に会って家族団らんを囲む予定だったのに。ついでにケーキなんて買って帰って娘の機嫌をとって今日こそは久々に一緒にお風呂にはいってもらう予定だったのに。
 全部片桐のせいだ。
 高部は、ケチがついたのを全て電話してきた片桐になすりつけた。
「あっ、危ないっ」
 高部が危ないといっても向かってくる女がわかるはずもなかった。
 高部に向かってきていたセクシー女性が倒れる。
 その原因は、彼女の背後にいる黒一色の革服に身を包んだ男だ。男の手には鞭があった。それで女を打ったらしい。男は鞭で女の背を再び打ち、踏みつけた。女の口から痛みの声が漏れる。
「おい、あんた、あんまりじゃないのか、それは」
 高部は思わず男に文句を言っていた。すると男はまるではじめてそこに高部がいたかのように顔を向け、懐から銃を取り出した。
慌てて高部が身を隠すと銃声が轟く。高部は身を低くして車の下から男の位置を確認した。すぐに腕の中にいる女の子を降ろす。
 深いため息をもう一度吐くと高部は眼鏡をのけた。ここで壊されるわけにはいかないからだ。
 高部は飛び、車のボンネットの上に乗ると、そのまま男の顔に電光石火のとび蹴りを喰らわせる。反撃など予想していなかったのだろう、男が慌てて身を翻して間一髪で避ける。高部は地面に着地すると、すぐに男の懐へと入った。男が咄嗟に銃を持つ手を高部に向けたが怯まず、銃を持つ腕に手を絡めると、そのまま力を持って引き寄せ、捻った。
「とりあえず、確保をして」
 さて、誰に連絡したものかと思っていると床にねじ伏せていた男が無理な体勢から体を捻り、蹴りを放つ。おっと驚いて高部は男の拘束を解き、後ろへと逃げた。男はすぐさまに立ち上がり、構える。空手の構えだということはすぐにピンときた。
 男が向かってきたのに高部は息を吐いた。男の拳が打ち込まれるのに片手で防いだ。防ぐと同時に腕をとって男を背負い投げた。
 冷たいアスファルトに投げられて男が小さく呻くのに高部は男の胸に膝を打ちつけた。アバラ骨くらいは簡単に折れている一撃に、男は白目を向けて気絶した。
「はぁー、まったく、皺になったらどうするんだ」
 高部はスーツを叩きながら文句を口にした。
「あなた」
 女の声に高部は視線を向けた。
「あの、あなたは」
「総務課の高部です」
「そうむかの、たかべ?」
 高部は思わずいつもの癖で懐から財布を取り出して名刺を差し出した。
 女は名刺を受け取ってまじまじと見た。
「あなたは、フウマの人?」
「……どうしてフウマのことを」
「フウマ、助けてくれるって」
 女がたどたどしくも言う言葉に高部は眉を顰めた。
 この女は客らしい。

 フウマとは、日本では最古の非合法犯罪組織の一つだ。
 組織の誕生は古くは戦国まで遡る。己の名をあげようという野心家どもが殺し合いをしていた尤も不安定な時代。
フウマとは北条家に仕えていた忍集団の名前。主をなくし、賊まで身を落としながら戦国の終わりでは生き残った者がほそぼそと存在していたが、転機が訪れた。第二次世界大戦のときにフウマは国を股にかけて荒稼ぎをし、戦後の日本の荒波にも見事に乗り切り、組織を急成長させることに成功した。
 今では裏世界では知らない者はいないほどの巨大組織となった。
 だが、それでも所詮は客がいてなんぼのものである。
 オフィスの隅っこで高部は唸り声をあげ、本日何度目かの難題にたたされていた。
 右手にあるのは京都名産の一袋五万円の高級茶葉。左手にあるのは百円ショップで購入した茶葉。
 さて、どっちを出したものか。
 いくら裏社会では恐れられる巨大組織であるが、お客様がいなければ稼ぎには繋がらない。最近は不景気であるともいうので、客によってさまざまな対応もある。
 この客は上等であれば、右手なのだが、もしカスだったら、左手を出すべきだ。
 こういうとき女の子たちは何をどういう基準にして相手に出す茶と菓子を選んでいるのだろうか。客が来ると瞬時にその客に合わせて茶と菓子を用意する女の子たちの洞察力には本当に感心してしまう。
「あの」
「わ、は、はい!」
 高部は驚いて振り返った。さりげなく両手にある茶葉を隠すことも忘れない。
 客人である女はひどく困った顔をして笑った。
「お気遣いは、いりません」
「いえ、そのようなわけにもいきません。まっててください。お茶、いれますから」
 右手にもっていた高級茶葉を使用することにした。
 早速沸かしたポットの湯をいれて、差し出す。女は頭を下げて受け取った。
作品名:花束を持つ手にはナイフを 作家名:旋律