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花束を持つ手にはナイフを

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麗かな日差しの差し込む公園のベンチに腰掛けている高部は、まるでこの世の終わりかのような深いため息を吐き出した。
 ビル街の中にまるで取り残されたようにぽっつんとある公園は、ごみごみとした会社の憩い場の一つで、昼休みになると息抜きとして出てくるのだ。高部の座るベンチからは他社のOLやサラリーマンが職場のビルの入り口から出て来て思い思いの場所へと散っていくのを伺い見ることの出来る。
 人々が歩いて行くのを横目に、高部はまたしても、はぁああと魂が抜けるようなため息を吐いた。
 今、高部は悩みあぐねいていた。それもただの悩みではない。人生で最も重要かつ最悪なことであった。敦子との結婚を決意してプロポーズするときよりも深刻な悩みかもしれない。
 高部は、二十代の後半で結婚してから「営業」に退き、総務課に配属されてはや七年。三百六十五日を努力という二文字を掲げてギャンブルも酒も煙草もせず、働くことと家族のことばかりを思ってコツコツと生きてきた。
三十六歳にて部長になったのは、まずまず悪くない。
 私生活では仕事先で知り合った敦子と恋愛結婚し、可愛い一人娘にだって恵まれ、十年ローンを組んで現在は男の夢ともいえる一戸建てを手に、日々仕事に奮闘する毎日である。
 そう絵に描いたような幸せだ。
 一つのことを除いたら――そう娘が。
「あああ」
 高部は情けない声をあげて頭を抱えた。
 三十六歳にしては険しいといわれる贅肉のない凛々しい眼鏡をかけた顔立ちは、今や情けのなく歪んでいた。
「七つにもなればボーイフレンドなんてフツーですよ」
 高部の右に腰掛けている平井がつっこむ。
「むしろよ、今までいなかったってことのほうが不自然だろう。かわいいもんなぁ、お前の娘、おめぇに似ずに」
 高部の左に腰掛けている篠崎が追い討ちをかけた。
「二人とも、そんな風に言わなくても」
「さっきから十三回くらいため息ついちゃって、知ってます? ため息つくたびに幸せって逃げ行くんですよ。くふふふ、もう不幸まっしぐら?」
 平井が細い目をますます細めて笑う。黒のスーツに、黒髪はまるで葬式かのような姿だ。ほっそりとしているといえばまだいい、むしろ、ひょりとした骨と皮ばかりのような男で、顔色も青白く、あまりよくない。会社では幽霊と噂されるほどに影の薄い男だ。
 それはあながち間違っていない。平井は人事課の部長で、彼の会社内で知らないことはないといわれ、陰口でも叩こうものならば大変なところにとばれてしまうという恐ろしい噂があるのだ。実際彼によってエリートコースを外された男は数知れず。
「そーそ、ため息ばっかりくんじゃねぇよ」
 篠崎がかかっと笑う。柔らかなカールした栗色の髪に、柔らかな栗色の女の子顔負けのぱっちりとした瞳。背も日本人にしては高身長の分類にはいる高部の胸ほどしかなく、肉付きのよい丸顔で、グレーのスーツをきた篠崎は、一見テレビで見る可愛い系のアイドルの男子のようだが、口はかなり悪く、年齢はこの三人の中でダントツの年上である。
 趣味の発明によって不老不死になったというのが専らの噂だ。私利私欲に走った発明課の課長である。――この発明課とは、会社の製品を作るための特殊な部でセンスと実力が必要とするそうだ。本人曰く天才の才能を生かすためのところらしいが、高部から見ればただの怪しい集団にしか見えない。
三人とも見た目も、性格もまったく違うが、しかし、どうにも三人とも付かず離れずの状態を続けている。
 会社に入社した時期が同じで、三人は自然と一緒にすることが多かった。妙にウマがあったのだ。
 だが、それも高部の結婚と共に自然と昔ほどの頻繁さで会うことはなくなった。ただ今は三人そろって「営業」を外れて、日長一日を会社でのんびりと過ごしているので、昔のように昼休みを一緒に過ごしているのだ。
「てか、七つになるまで風呂はいってくれたことに感謝しろよ」
「そーですよ、そーですよ。ふつーは四つまでですよ」
「うっ。お前らは、家庭ももったことないし、娘だって居ないから、そんなことがいえるんだ」
「家庭なんざ、しばられたくねぇなぁ」
「私、人嫌いなので」
「そんなお前らに俺のこの悩みをあれこれといわれたくない。わ、わかりもしないで」
「だからよぅ、冷静なつっこみができるんじゃねぇ」
「そうですよ」
 二人の言葉に高部は言い返す言葉が思い浮かばずに絶句するしなかった。
 高部のため息の原因。
 それは、目にいれたって全然痛くない愛娘の小夜のことだ。
 今までお風呂にはいっていたのに、いきなりパパとお風呂はいるのはいやだと言い出したのだ。それもあろうことか同級生のボーイフレンドまで作っている。家に帰ったら今まで高部にべったりだった娘は、女の顔をして「まことくん」――高部はそのボーイフレンドに会ったことがないが、その男の話を毎晩、毎晩聞かされ、見知らぬ七歳児の男の子にやきもきさせられている毎日だ。
「だからって、まだ恋人は早いと思うんだ」
 一緒にお風呂にはいることは妥協できても、ここだけは父親としては譲れない。
「そうか? テレビなんかじゃ幼稚園児同士が恋人いってちゅーしてるじゃねぇかよ」
「そうですよ、そうですよ」
「そ、そんな尻軽な子供とうちの小夜を一緒にしないでくれ」
 高部は必死の形相で叫んだ。
「そういうのを親の贔屓目っていうんだよ」 
「そうですよ、そうですよ」
 二人の言葉に高部はまたしても言葉に詰まった。
「これ、いただき」
「じゃあ、自分は、これを」
 ごもっている高部の弁当箱から篠崎はからあげ。平井は卵焼きをさっと奪った。
「あー、お前らっ!」
「おお、敦子さんの料理、うめぇ」
「さすが敦子さん」
 二人が昼休みに一緒に食事するのは、絶対に敦子の弁当のおかずが目当てだ。二人とも独身で家族の味に飢えているのだ。今日も二人ともコンビニで買った弁当だ。唯一人の手によって作られている弁当を持っているのは高部だけだ。
家庭の味に飢えているのはわかるが、愛妻の手製をむざむざと奪われる高部ではない。
 片手で守るようにして、急いで箸を動かす。一旦は目下最大の悩みは置いておき食べることに集中した。

 定時になると高部はそそくさと帰り支度をはじめる。この会社では「営業」と仕事は一部の専門的な仕事をしている者以外はほとんどが定時には帰ることが出来る。
 高部はいそいそと部下たちに別れを告げて課を出ると、廊下を歩いた。最近は体力の低下を考えてエレベーターではなく階段で降りるようにしている。不意に携帯が鳴った。
「はい?」
『あー、たかさん?』
 この遠慮のない明るい声は片桐だ。会社の中で「営業」でトップの成績を持つ男だ。
「なんですか」
『悪いんだけど、俺、車にものを忘れてきたんだ。とってきてくれない? まだ会社の中だろう』
「なんで私が」
『上司命令。俺の荷物よろしくな。鍵は管理室の警備員に渡してるから』
 いいとも、いやだとも言う前に携帯は切られた。
作品名:花束を持つ手にはナイフを 作家名:旋律