灰色の世界
まず一つ目はおとなしく部屋に入ったことです。若いのにとても紳士的な対応だと思いました。
コータくんより年上のひとたちでも、怪獣に噛みつこうとしたり、大きな声を張り上げたり、腰が抜けて歩けなくなったりする情けないひとだっているのですから。
部屋に入ると、身体と同じ真っ黒でピンと立った耳を色んな角度に動かしながら、僕たちの世界を早速観察していました。
しばらく、僕も彼のことを観察して楽しんでいました。向かいの部屋に新しい住人が来る度に、僕は観察する習慣がいつのまにかついていたのです。彼だから見ていたわけではありません。決して。
二つ目の理由は、僕に初めて声を掛けてくれたひとだからです。
向かい側の部屋に住むひとびとは、僕がどんなに話しかけても、言葉を返してはくれなかったのです。
例えば、窓から来た蝶というお客様の話をしてあげても、彼らは寝っ転がりながら無視をするか、爪が割れてしまうほど夢中で地面を掘っていて気づかないかのどっちかなのです。
初めての会話は質問だったと思います。たしか、ここはどんなところか、と尋ねられたのです。
そのときの僕は、この世界のことをよく分かっていませんでした。だから、ご飯はまずいけど自由なところ、だと答えました。彼はその回答が気に入ったようで、僕に鼻先を寄せてくれました。当然僕も彼に鼻先を寄せて答えました。
僕たちの部屋と彼の部屋は、ドアの隙間から手を出しても、半分にも届かないほど距離があります。なので僕もコータくんも、ドアの隙間から目一杯顔を突っ込んで、できるだけ近づこうと努力しました。
数秒ほど僕たちの目は合っていました。眉間と眉間が棒で繋がれたように動けませんでした。吸い込まれるかと思いました。
その間、檻が僕の両頬を心地よく冷やしていました。
この日、僕にはじめて友人が出来たのです。正確に言えば、亡友と言うべきかもしれません。
とはいっても、実は彼との会話はそれほど多くはありません。
一日目は色んな事を話しました。彼は外のことをよく知っていました。そして怪獣のことも。
僕はコータくんと話をするまで、名前が大切なものだということを知りませんでした。なっちゃんのときのようにあだ名だったら付けたことがあるのですが、コータくんの言う名前とは、それよりも重要なのだそうです。