灰色の世界
なっちゃんがぼくたちの世界にやってきてから、朝が騒々しいものになりました。なっちゃんのお母さんを呼ぶ声が、早朝から響き渡るのです。
なっちゃんの大きな声が、廊下を突き抜けて僕たちの部屋、ひとつひとつに贈り届けられると、大合唱が始まります。
地面と爪がぶつかり合う音、ドアを噛む音などの楽器の音に合わせて「わん」、「うぉふっ」、「キャンキャン」という色んな種類の声が聞こえてきます。
歌というのは心の叫びを声にしたものだそうです。だからみんなは歌をうたっていたのでしょう。
向かい側にいる、茶色くて鼻がつぶれているしわしわのおじちゃんは、いつも低い声で歌いながら、自身の尻尾と戯れていました。
僕はというと、いてもたってもいられずその合唱に参加していました。ドアに前の足を乗せて、立ち上がり大きな声で歌います。若いひとはほとんどいません。だから僕は、満足に歌えない、おじいさんやおばあさん、そしてお母さんの代わりに歌います。
そんななっちゃんも、僕たちの世界にやって来て三日目には、お母さんを呼ぶことをやめました。その日僕は、三回目の太陽が顔を出す前の真っ暗な部屋のなかで、なっちゃんが起きるのを楽しみに待っていたのに――それからなっちゃんの声を聞くことはありませんでした。
変わったのはなっちゃんだけではありません。その日あらゆるものが変わりました。騒がしかった廊下は静まりかえり、時折聞こえる声や爪の音は今まで三日前のものとはまるで違います。
もしかして、耳に何か詰まっているのかと思い、後ろの足でかいたり、身体をブルブルを振るわせてごみを飛ばそうとしましたが、結局何もかわりありませんでした。
時折なっちゃんのことを思い出します。なっちゃんは何であんなにもお母さんに会いたかったのでしょうか。
お母さんが死んでしまった――というわけではないのでしょう。
今になって思えば、なっちゃんの呼ぶ「お母さん」と、僕を生んでくれたお母さんは少し違うように思います。
なっちゃんは大人でした。声で分かります。なのになっちゃんは、とっても甘えた声でお母さんを呼ぶのです。なっちゃんくらいの歳になればお母さんに甘えることはできないし、お母さんもそんなこと許さないはずです。
僕には分かります。