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ファンタジスタは闇を抱く

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過去の手術で鉄板が入ったままのその両腕に力を込める。鋼鉄の鎧をまとうバッファローの脳裏には、身体ごとタックルを仕掛けてフクの身体のどこでもいいから掴んで離さずにいるイメージだけが思い描かれている。

…… フク、お前がどういうつもりなのかは分からない。理由は、試合が終わった後ゆっくり聴かせてもらうこととしよう。そのとき、どんな馬鹿げた理由を聴かされたとしてもお前を責めたりしないことも約束しよう。どうせ今からぶっ飛ばすんだからな

「フクさん!」

そのとき、フクを追い越して右斜め前方を走るエメが叫んだ。

…… どうしてかは分からなかった。フクはこの敵しか存在しない戦場の中、エメとの瞬間的なアイコンタクトだけで、彼だけは完全に信頼することができていた。

「ぼくを信じて」

エメの目が、それだけを叫んでいた。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



大会が始まる1か月前、エメは支部長に呼び出されていた。

「…… それは、簡単に言うと、八百長しろってことですか?」

「言葉を慎しんでくれ。今すぐ理解しろとは言わない。だが、これが真実だ。世界の理。フットボールの歴史と共に歩んできた、絶対的な不文律なのだよ」
カツラのように丁寧にまとまった白髪のオールバック、口髭をいじりながら、まったく悪びれることない支部長のその態度が、20代前半のエメをさらに威圧した。
「この世界大会においては、きみたちはアスリートではない。役者なんだ」

「…… なぜ、ぼくだけ呼び出されたんですか? うちのチームで代表として呼び出されるとしたら、キャプテンやフクさんが適任だと思うんですけど」

「まぁ、そうだな …… きみには話してもよかろう。まず第一に、この話は世界大会に参加する全選手に通達されるものではないということだ。全員が役者として演じようとすれば、観る者が観ればそんな茶番劇はすぐに見破られてしまうからな。だから、一部の“キーマン”と呼ばれるプレイヤーにだけ通達する。それで充分なんだよ」

「キーマン、ですか …… まぁ、そういうことなら、ぼくが適任なんでしょうけど」

「勘違いしてほしくはないんだが、我々はきみに“演じろ”と言っている。その意味をよく考えてほしい」

何をどう言われようが、エメ自身、自分の実力はよく分かっている。今回代表入りできたのも、ほかの何人かの候補者の故障が相次いだためだ。
だが、経緯はともかく、自分が代表入りしたことは厳然たる事実。この大会で燃え尽きる覚悟もできていた。自分のサッカー人生がここで終わってもいいとさえ思っていた。ゴール前でボールを奪われたら、相手の耳を食いちぎってでも止めてやろうと考えていた。

そんな矢先のことだった。今、支部長に言い渡されたのは“今大会の優勝は我が国ということで決定している。きみは適度にミスして、このチームのピンチを演出してほしい”ということだった。

どうせ先のないサッカー人生だ。“世界一のメンバー”になれることと、この茶番を引き受けることで協会から支払われる莫大な報酬に目がくらんだとして、一体誰がぼくを責められるというんだ …… エメは自分を正当化するためだけの言葉を、必死に自分に言い聞かせていた。



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相撲のぶつかり稽古のごとく突進してくるケータに対して、フクは立ち止まった。

低姿勢で向かってくるケータの右肩越しに、フクはボールをふわっと浮かせた。

想定外の行為に、ケータの視線は一瞬だけボールの軌道を追った ━━━ ほんの一瞬だけだ。何がどうあれフクの身体さえ抑え込んでしまえばそれでいいんだ、冷静な判断が彼の視線をすぐさま正面に戻す。

だが、すでに遅かった。正面にフクはいない。

フクはそのとき、ケータの左側を駆け抜けていた。

ケータの右側へ浮かされたボールは、エメが壁となって跳ね返す。ボールはコルク製の壁にぶつけられたかのように高反発でまっすぐな軌道を描き、走り込んで来たフクの軌道と重なり合う。空気を引き裂いて描かれた二等辺三角形、その頂点、ボールは寸分の狂いもなくフクの足もとへ再び装填された。

…… フィールド上の20人のプレイヤーがフクを見送った。

ゴールキーパーと一対一になる。

フクの目にはもはや、キーパーさえ映っていない。背後のゴールネット、最終到達点、その右上辺り。踏み込んだ右足が完璧な発射制御を確信させ、振り上げた左足が完璧な精度を約束した。

そのとき、左足の付け根辺りが悲鳴を上げた。

「…… だったら、足ごとくれてやるよ」



振り抜いた足に、容赦なく激痛が走った。



ボールは、ゴールネットの右上に突き刺さった。



ホイッスルが鳴り、突然、フクの眼前にレフェリーが飛び込んできた



レフェリーはフクとエメを交互に見ながら、右腕を挙げて、左手で何度か叩いた。



ハンドの判定を下した彼の名はアドリアーノ。世界最高と呼ばれるレフェリー。
この開催国出身のレフェリーだった。



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大会が始まる1か月前、アドリアーノは支部長に呼び出されていた。

「…… それは、簡単に言うと、八百長しろということですか?」

「言葉を慎しんでくれ。今すぐ理解しろとは言わない。だが、これが真実だ。世界の理。フットボールの歴史と共に歩んできた、絶対的な不文律なのだよ」
カツラのように丁寧にまとまった白髪のオールバック、口髭をいじりながら、まったく悪びれることない支部長のその態度は、同年代のアドリアーノさえ威圧する。
「この世界大会においては、きみたちはアンパイヤではない。役者なんだ」

アドリアーノは、相手を挑発するように鼻で笑ってみせた。
「自ら申すことではないのかもしれませんが、わたしは“世界最高のレフェリー”と呼ばれる男です」

「それは知らなかったな。すまないが、わたしはサッカーをあまり観ないのだ」
支部長は笑みを浮かべたまま答えた。

「…… 断ったら?」

支部長の顔から余裕が消えることはなかった。こんな応対は慣れっこなのだろう。
「この話はもちろん極秘中の極秘事項だ。この世界にいくつかある、いわゆる“誰も知らない真実”のひとつだと思ってくれていい。そのような話を、なんの保険も掛けずに初対面のきみに話すと思うのかね? …… 頼むから、これ以上は言わせないでくれ」

「…… 妻を人質にとったのですか?」

「何を馬鹿なことを。人質などとれる訳なかろう …… きみの奥さんは今、パリに留学中だそうじゃないか。資料によれば、たしかフラワーアレンジメントを学んでいるそうで、帰国は来年になるのだろう? 何もできやしないさ」
言葉とは裏腹に、支部長の目は一切の濁りもなく澄み切っていた。

「…… 分かりました、引き受けましょう」





決勝戦開催日の早朝、アドリアーノは独り、ピッチ上に立っていた。