ファンタジスタは闇を抱く
得意げだった顔からどんどん精彩が失せていくのを気付かせまいとするかのように、ハジメは美味そうにパスタを口に運んだ。
「なあ、いつまでこんなこと続けるつもりだよ。セカイにクサビを打ち込むんじゃなかったのかよ」
フクは苛立ちを覚えながら吐き捨てた。
セカイにクサビを打ち込む …… フクの好きな言葉だ。昔、TVかなにかで聞いたその言葉は、彼の心にずっと居座り続けている。彼はそれを“この世界に、オレの爪痕を残してやるんだ”と捉えた。それ以来、ゴールを決めるたびに“クサビを打ち込んでやった”と思うようになった。
壁に書かれた『正』の文字は、フクがセカイに打ち込んだクサビの数そのものだ。
「もう少し待ってよ。もう少しだと思うんだよ。もう少しで100%納得できる作品ができると思うんだ。だから今はまだ修行中で ━━━」
ハジメの言葉を遮るように、フクは立ちあがった。
「はっきり言うよ。今のお前はさ、自分の信者だけ周りにはべらせていい気分になってるお山の大将にしか見えないよ。なんだよ“スリムシェルの新境地”って。お前はまだ、小説界のはしくれでさえないだろうが」
フクはそう言いながら、言い過ぎたと実感していた。だが止まらない。
「そんな狭っ苦しい世界の中で、ぬるま湯に浸かった中で、どれだけ名作を書き続けたって、セカイにクサビを打ち込んでるなんて言えないだろうが」
ハジメの顔からは表情が消えていた。
「兄貴にそんなこと言われたくないよ。兄貴だって …… そりゃぼくとは違って華やかな世界だけど、サポーターという名の信者を集めていい気になってるだけじゃないの? プロになってから、あれを書くのだって止めちゃったじゃないか」
ハジメはそう言って、壁を埋め尽くす『正』の字を指差す。
「兄貴だって今はもう、“セカイにクサビを打ち込む”なんて意識は無くなっちゃったんだろ?」
図星を突かれ、フクは言葉を詰まらせた。彼はプロ選手になってから、『正』を壁に書くことをやめていた。もちろん試合ではゴールを量産し続けていた。今季の国内リーグの得点王もMVPも間違いなく自分だろうと思っていた。
だがプロになってからのこの一年間、たしかに自分自身“セカイにクサビを打ち込む”という意識が完全に消え去っていることも実感していた。モチベーションの低下を懸念した彼はある分析医に相談した。そして、“あなたにとって敵だったセカイが、もはや敵ではなくなったからだ”と言われた。フクにはその言葉を理解できなかったが、分析医の指示通り、上手に折り合うよう努めていた。
「兄貴の気持ちは分かるよ。だから今回の世界大会出場を、心の底から望んでいたんだよね。また、セカイにクサビを打ち込んでやるんだって思ってたんだよね。でも結局、それは叶わなかった。世界大会は全部八百長なんだから。でもそんなこと、世間にとっては大して重要な話じゃないんだ。そりゃ誰だって八百長試合なんか見たくないよ。真剣勝負だけを望んでる。“この国がセカイにクサビを打ち込めるか否か”を見届けたがってる。だからこそ世界は、今までずっと騙され続けてきたんだと思わないか? 感動的なドラマさえ見せてくれれば、それだけで世界中のフットボール・ファンは満足するんだ。それが八百長かガチかなんて、さして重要なことじゃない」
「そんなことを言いたいんじゃない。オレは ━━━」
「自分の作品やプレイで他人を魅了することができる。だから自分はそういうファンたちのためだけに書き/プレイし続ける。それの何がいけないっていうんだ? 自分の想いとか立ち位置がどうとか、そんなのどうでもいいんだよ」
「オレの話なんかどうでもいいんだ。オレは、お前の話をしてるんだ」
「何よりも ━━━」
ハジメは、フクの言葉などまったく意に介さずに言葉を続ける。
「兄貴は最近、左足がおかしいんだろ? よかったじゃないか。どうせ優勝が約束されてるんだから、左足に負担かけるような無理なプレイをする必要はないんだ。最高だよ」
この話題を出すといつもこうやって口論になってしまう …… フクはそのことにうんざりしながら“いつもの”締めの言葉を口にする。
「だからオレはさ、…… お前がそんな小さい幸せで満足して欲しくないんだよ」
「もういいよ。やめよう、この話は」
弟はそれ以降、一切口を開こうとはしなかった。
世界大会開催日を一週間前に控え、フクたち代表チームは現地入りした。
フクの心中は複雑だった。
旅立ちの空港に、弟は結局見送りにも来なかった。
試合当日はスタジアムまで応援に来れるのか、それとも自宅でテレビ観戦しているのか、あるいは、結果の分かり切った試合など目もくれずに小説を書き続けているのか …… 今のうちに目いっぱい悩んでおくことで、試合中は一切考えないようにしようと彼は思っていた。
フクは気持ちを切り替えるため、辺りを適当に見渡した。
フクたち代表チームは現地入りしてホテルへチェックインした後、この練習場に直行してきていた。
すでに他の代表メンバーたちは現地の感触を確かめるべく、いくつかのグループに分かれて練習を開始していた。その周りでは、マスコミがカメラを持って集まっていた。
暑くもなく寒くもなく、乾いてもなく湿ってもいない。とても過ごしやすい国だ。時差ぼけもすぐに治った。フクの気分も少しだけ晴れてきた。
「マスコミの奴ら、いつも以上にウザいな。これも全て、監督責任だよな」
フクは振り返ることなく、話しかけてきたのが『ケータ』であると分かった。巨漢の彼が近づいてくると、自分の周りに影が射すからだ。彼のポジションはセンターバック。このチームの守りの要でもあり、キャプテンでもある。
「…… まったく大風呂敷広げてくれましたよね。監督も」
フクは慎重に言葉を選んで返した。
出国直前の記者会見で監督が放った言葉はなんと、“今大会、我が代表チームは優勝を狙っています。世界中を驚かすつもりです”だった。
監督は“あのこと”を知っているのだろうか …… 協会からは他言厳禁とされているため、フクはそれを確認できずにいた。もちろん、弟以外には誰にも話していない。弟は絶対に誰にも喋らない、とフクには分かっていた。弟は勘がいい。他言が発覚したときの協会からの報復措置の対象は、まぎれもなく自分自身なのだと分かっている筈だ。
「ぶっちゃけ、ベスト4は間違いないと思ってるけどな。このメンバーなら」
身長190センチ、体重100キロのケータは、ニッコリ笑う。
ケータは“あのこと”を知っているのだろうか …… フクはそれを彼の表情や仕草から見極めようと思ったが、そんなノウハウを持っていないフクに分かる訳がない。
「この一ヶ月間で、世界は、フクさんを知ることになるんでしょうね」
そう声を掛けてきたのは、『エメ』だった。
彼のポジションは守備的ミッドフィールダー。フクとエメはこれまで、ほとんど親交がない。二部リーグの弱小チームに属するエメ。一部リーグで常に優勝戦線に絡む名門クラブに所属するフク …… それは仕方のないことだった。
作品名:ファンタジスタは闇を抱く 作家名:しもん