ファンタジスタは闇を抱く
「それが、きみたちファンタジスタと呼ばれる者たちの“使命”だからだ。きみたちがきみたちの人生において、どれだけ人類を惹きつけようが惑わせようが魅了しようが、それは一向に構わない。だが、世界中のプレーヤーが集まり世界中が注目するこの大会に参加するというのであれば、そのまま放置しておく訳にはいかない。この世界には“魔法使い”は必要ないのだよ。きみたちのような人種は、我々のようなノーマルで退屈な人間に制御されているべきなのだ。それが、“世界の均衡を保つ”ということなのだよ」
心の奥底に、たった今生まれた“きっともう抗えないんだろうな”という微かな予感。それをなんとか振り切って、フクは言った。
「…… そんなこと言われて、はいそうですかと納得すると思ってるんですか? オレがこの会話を録音してたらどうするんですか? それを世間に公表しないとでも?」
支部長の顔から余裕が消えることはなかった。こんな応対は慣れっこなのだろう。
「この話はもちろん極秘中の極秘事項だ。この世界にいくつかある、いわゆる“誰も知らない真実”のひとつだと思ってくれていい。そのような話を、なんの保険も掛けずに初対面のきみに話すと思うのかね? …… 頼むから、これ以上は言わせないでくれ」
不穏な言葉とは裏腹に、支部長の目は一切の濁りもなく澄み切っていた。
フクに驚いた様子はなかった。結局はこの話が覆らないことは、最初から予感していた。ただ、自分自身を納得させるだけの理由を求めていただけだった。
「おかえり、ファンタジスタ」
いつもように、玄関先で弟が出迎えてくれた。
「ただいま、巨匠」
フクもいつも通り返す。
二歳下の弟、『ハジメ』とは、フクが三歳のときから二人で生きてきた。
彼らの両親は、金髪で鼻にチェーンをぶら下げた若い酔っぱらいに、生家と共に焼き殺された。真冬の風物詩のような放火事件。消防士に奇跡的に助けられた二人は、孤児院に預けられた。
フクはそこでサッカーを始めた。ハジメは小説家を目指し始めた。
四百字詰めの原稿用紙にシャーペンで小説を書いていたハジメはやがて、時代の潮流の中、キーボードで物語を打ち込むようになり、インターネットを介して世界に向けて配信するようになった。弟の才能はそれなりのものだったらしく、彼のブログに寄せられるコメントを見て、兄である自分以外の人にも感動を与えられるということを知ったとき、フクは弟を本当に誇らしく思った。
フクは、プロサッカー選手になるまでの人生で、1000ゴールを決めた。
初ゴールは小学生リーグ。四年生のフクが初出場したその試合、後半残り10分で3点を決めた。レギュラーになってからは毎試合、5得点をマークしていた。
中学校、高校と名門校に進学し、特待生として学費は一切免除された。初めて出場した全国大会で全試合ハットトリックを決めた頃から、スーツの襟にTVで見慣れたチームマスコットのバッジを付けた大人たちが、フクの周りにむらがり始めた。
そして去年、フクは一番条件の良かったクラブと契約した。その年の国際試合で即代表入りしたフクは、初めての国際試合で5ゴールを決めた。
それは、国内では“フク・フィーバー”というちょっとした社会現象にまで発展した。ちょうど世界大会の時期とも重なったことで、連日テレビでは、世界中の有名選手が“あのチームのキーマンはあいつだ”とフクの名を挙げるにまで至った。その頃から、ひとりで街を歩けば、オフサイドも知らないような女たちまで群がってくるようになっていった。
「八百長することになったよ」
何かを言いかけたハジメを遮り、フクはなんの前置きもせずに言った。
こういう話は後回しにすれば、どんどん話しづらくなると考えていたからだ。。
「八百長って …… 来月の世界大会の話?」
想定外であろう言葉をまだ処理しきれていないハジメに対して、フクは黙って頷き、さらに詳しく説明した。
説明を受けながら、ハジメはテーブルを指差す。そこには夕食の準備が整っていた。大きさの違う2枚の皿に盛られたカルボナーラ。小説執筆用のノートPCが隅に追いやられている。二人は向かい合わせで席に着き、フクの説明に一区切りつくまで、夕飯には手を付けなかった。
「…… いや、正直ものすごく驚いた。それは身内のぼくにさえ話しちゃいけない内容だと思うけどね。でも、うん …… いいんじゃないか? 仕方ないと思う。ぼくたちが今まで見てきた名選手たちも皆、同じようにやってきたってことなんだよね。“神”も、“皇帝”も、“キング”も」
「ずいぶん簡単に言ってくれるな。オレにしてみれば、今までの人生観が全てひっくり返されたようなもんなんだからな。オレたちが夢見て憧れ続けてきたステージは、全部インチキだったんだ」
フクはその言葉を“いただきます”の挨拶に見立てたかのように、パスタを口に運び始めた。
「そうだよね。でも、もし兄貴がそこらの二流プレイヤーだったとしたら、ずっと騙され続けてたんだろうね。全てインチキだなんて夢にも思わないで世界大会に命を燃やしていたんだ。でも、兄貴は生まれついてのファンタジスタだった。兄貴は誰もが憧れる天才なんだよ。その代償として、ぼくら凡人は当然のように抱えているそういった“闇”の部分も引き受けていかなくちゃいけない、ということなんじゃないかな」
フクは黙って食べ続けた。それ以上なにを言っても仕方ない。第一この話自体、すでに彼自身が承諾済みなのだ。今こうして弟にぶつけている言葉は、彼が自分自身と折り合いをつけるためだけに放たれている。
「たしかに、兄貴とぼくが抱いてきた夢や憧れみたいなものは完全崩壊したよ。それでも世界中の大半の人たちの夢や憧れには何の影響もない。世界大会がインチキなんて、毛先ほども思っていない。そういった人たちを“守っていく”ことも、これからの兄貴の役目になるんだろうね」
「小説のほうはどうなんだよ?」
フクはパスタを頬張りながら話題を変えた。
「ああ、それが今日、いいアイディアが浮かんでね」
ハジメはそう言って、隅に追いやっていたノートPCを開き、フクのほうへ向けた。
「貧乏な家庭に育った男がF1レーサーになるためにいろいろな手を使って金を貯めるっていうストーリー …… “スリムシェル”の新境地といったところかな」
“スリムシェル”というのは、ハジメのWeb上のペンネームだ。フクは液晶画面に打ち込まれた文章を目でなぞった。まだ途中であり、技術的なこともよく分からないが、今回もいつも通りよく書けているとは思う。
一通り小説に目を通した後、フクは食卓の脇の壁に目をやった。壁一面にびっしりと書かれた『正』の文字。 …… こうやって、改めて見るのは久しぶりだった。マジックで殴り書かれたその文字たちは、書かれた当初はカウント記録用、機能性重視の代物だった。今はもう壁の模様と同化していて、インテリアの一部と化している。
「それで、いよいよ勝負かけるのか? いわゆる、アクタガー賞とかそういうやつ」
「いや、まだそこまでは考えてないけど」
作品名:ファンタジスタは闇を抱く 作家名:しもん