一滴の海は辛く
ルーレは、人間の霊なんか居ない。
前代未聞で、俺がルーレに来ることになった。
そのことについて、かなり話し合ったらしい。だが、死に神長という一番偉い死に神の一言で、俺が来ることは許された。
神にしろ、という意見もあったらしい。
だけど、神だと転生が出来なくなるらしいから、そこは俺の死に神が止めたらしい。
ルーレはすむ場所が、偉いか偉くないかで違うらしい。
お偉いさんは、ランに。有名な星の守り神はラセルに。そのほかは、クラッセルという地域に住んでるらしい。
らしい、ばかりなのは、俺がまだこの目で生で見ては居ないからだ。
今は、ラセルに居る。ラセルに俺の死に神が用事があるらしい。
暫く、庭園にそったような廊下を、俺の死に神と歩いていると、花壇で何かをしてる男が見えた。
花を毟っていた。
小さくて可憐な花から、大きい大輪の花まで。雑草の花まで、毟っている!
まるで、命を毛嫌いするように、恨み辛みを込めるように。
なんて酷いことをするんだ、と命を侮辱されたような憎しみに似た感情が先走り、俺はそいつのほうに、駆けていった。俺の死に神の、呼び止める声が聞こえる。
聞こえないふりをした。だって、許せないじゃないか。あんな小さな命でも、生きてるのに、それをもぎ取る資格が例え神であろうと、彼にあるのか? 違うだろう?
「おい、何やってるんだよ」
「……? 君は?」
「青玉」
「……ああ、地球の、アースの子か」
青玉と名乗ると、彼は大きな瞳を細める。愛らしい少年の容貌を残したものが、男としての目になる。
明るい茶色の髪の毛は太陽に照らされ、金色の幼い目は俺を胡散臭く映す。
背丈は俺より高い。百九十いってるんじゃないだろうか? 手足が細長く、筋肉のない人形。上は紅白のストライプのフードつきのトレーナー。下は黒いハーフパンツにサスペンダー。靴下までストライプ。何処かとぼけた、子供と大人をいったりきたりしているような印象だった。
彼は俺を見るなり、視線をそらす。何も言葉は発さない。眼はあの胡散臭いままだ。
冷たい態度だな、と思ったが、もうどうでもいいので、言葉を続ける。
「何してるんだよ」
「花を毟ってただけ」
彼の手は泥だらけ。彼の足下は、花びらだらけ。無惨にも無理矢理散らされた花びらが。様々な花の香りが混ざって、今にもその匂いが漂ってきそうだった。
笑いもしないし、満足げでもない。それが当たり前で何でもないことのように言う彼に、俺は少しむっとした。
「なんでそんなことをするんだ!」
「……君は、さ。地球の子、君はさ、知らないで蟻を踏んだことはない?」
「…何を」
「それと同じだよ。どうせ無くなる命なんだから、今死んだって同じだろ?」
少しだけ寒気がする声色だった。花にではなく、花を思い出す何かに特別な思い入れがあるような……。
俺は少し黙って、また問い直そうとしたとき、俺の死に神の声が響いた。
「じゃあ、お前の大事なアースも今死ぬべきか?」
「エピオラ……」
気づけば俺の死に神が後ろにいた。
彼は俺の死に神を見るなり、睨み付ける。なんだかこいつ、睨み付けてばかりだなぁ。他人という他人を毛嫌いしているみたいだ。
それでも、平然とする俺の死に神。さっすがー。
「アースは違う、死なない。消えない!
あいつらがサファイアだなんて作らなければ、アースは生きられるんだ!」
「クレイモア、アースは寿命なんだよ。受け止めろ、いい加減」
「違う。違う! アースは死なない……だって、約束した! 地球と共に、自分はいるって…」
「二人にしか判らない会話は、ここらへんでやめといてくれよ?」
何が何だか判らないので、とりあえず俺は待ったをかけた。
アースという単語、否、神だけに対しては彼は嫌悪を持っていないということしか分からない。
俺の死に神はくすくすと笑い、対するクレイモアとかいう男は、俺と俺の死に神を交互に睨む。
そこで、漸く俺の死に神は、紹介してくれた。
「こちらは、クレイモア。月の守り神。
彼は他の星の守り神も嫌いだから、お前も嫌われること確定だね。ましてや、アースの後継者」
「守り神って何だ?」
「お前と同じ、育成者みたいなものかな。ただ、それが神様というだけで」
「じゃあ、アースってのは?」
「とても可愛い子」
「……お前の、先輩だよ」
…ということは、サファイアの育成者? と聞くと違うと言われた。じゃあ、地球育成のほうか? と聞くと返事はイエス。
睨み付けるどころか、アースという人物を心に思い描いているのか、少し柔らかな顔をしているクレイモアをそっちのけで、俺は少しわくわくした。
――先輩がいるなんて。先輩になら、いろいろ育て方とか聞けるかもしれない。
「アースって人に、会ってみたいな」
「……――?」
俺が呟くと、クレイモアが現世に戻ってきて――否、浮き世? なんて言えば良いんだ?――、瞳を瞬かせて、子供の顔で俺を見やる。その顔がおかしいから、理由を教えてやる。
「だって、色々聞けるもの。それに、後輩なら挨拶しとかなきゃ」
「……青玉、お前ね、結構勉強家なんだな」
俺の死に神が、苦笑を浮かべる。
それからクレイモアを見やる。クレイモアは少し言葉をなくして、口を真一文字にし、目をきょとんとさせて俺を見返す。
その目には、戸惑いが映されていた。後で何でそんな目したのって聞いたら、あんなこと言う人初めてだったからと言われた。
「で、どうする? クレイモア」
「……アースを、刺激しちゃいけない……」
「何で?」
「……アースは、体調が悪いんだ」
「見舞い人が来たら、よくなるかもしれない」
「……そ、そうなの? よくなる?!」
飛びつかんばかりの勢いで俺を見つめて、手を取り、問いかけるクレイモア。あまりの変貌っぷりに驚いたが、俺は、頷き、にこりと頬笑んだ。
「俺の妹がさ、体が弱いんだけど、病室に遊びに行くとさ、喜んで、その日一日体調よくなってたんだよね」
「へぇ。じゃあ、それなら、案内する! 行こう、青玉!」
それまで睨んでいた顔が、柔らかくなり、頬笑んで俺の手を引っ張る。ちょっと、あんた、凄い馬鹿力!!
俺の死に神に、ちょっと行ってくると言って、彼女が止めようとする前に、駆けだしていた。
――クレイモア、あんたがそんなに気にかけるアースってどんな人だろう。
あんたは何だって、花を毟っていた? ただの暇つぶしには見えなかった。
それが判るのは、今日中だった。
*
アースが住んでいるのは、ラセルだった。
当然といえば、当然?
白い宮殿に着いた。白い宮殿には、門番以外誰もいなくて…。
こ、こんな大きなお屋敷なのに、使用人とかいないのだろうか。外から見てるんだが、誰一人として通らない、宮中を。
不思議に思って聞いてみると、沈黙を続けた後、少し険しい顔をするクレイモア。その目には他人嫌いの色が濃くなっていて。
「……あいつら、アースはもうじき死ぬから、使用人は要らないって、酷いんだ。
介護もしてくれない」