一滴の海は辛く
壁をすり抜けてすり抜けて、全速力で捜す。壁をすり抜ける時独特の、気持ち悪さが体に伝わるけど構ってられない。
卑怯だよ、だって、あんた。
こんなお別れの仕方、ないじゃないか。
あんな出会いの仕方も、酷いっちゃ酷かったけど、あれはあれで、もういい。もう、あれが俺らなりの出会いなんだと納得している。
だけど、この別れの仕方は、一生納得しないぞ。
なんだって、手紙だけですませる?
なんだって、あんたが転生なんかする?
愛しているのなら、愛しているのなら、残される俺の身になってくれ。
アースに死なれて、残されたクレイモアの気持ちが、少し判ったような気分。
何故、俺一人を残す? あんた、生きたいって言ってなかったか?
あれ全部、嘘だったのか?
――残された側の気持ちになれよ!
一番大きな広間へと入った。
高い高い天井にいる俺に、誰も気づかない。
青玉と、お偉いさんがいて、青玉が真剣な顔でサファイアのことを報告していた。
「海が作れます」
「海は全ての生命の、源……。サファイアに海が出来るのだな。その海になりたいのだな。
本当に、海でいいのだな? 他の生き物ならば、別の転生も出来ように…」
「どうせなら、うれし涙になりたいから」
「訳のわからないことを…」
力の限り、どういうことだ、と声を荒げた。
数人がびくっとして、此方を見上げる。その数人の中に、青玉は入っては居ない。
青玉は、見上げると、意地の悪い笑い方をして、よぅと挨拶を。
「随分と早起きだな」
「どういうことなんだ、青玉! 何で、あんたが転生を…」
「紅玉殿、どうやって、入ってき…」
「うるせぇ!」
きっと。
きっと、今の俺の目には、鬼が住んでいる。苛立ちの鬼が。
俺に声をかけたお偉いさんは、その鬼を見て、身をすくめさせている。それから、口をぱくぱくと開いたり閉じたりする。
――そんなことどうだっていい。どういうことなんだよ。
「青玉は、生命が作れたら、転生しなければならない」
「……?」
「そう誓約を、前にサーファイトに書かせたんだ。お前が青玉だった頃に。
青玉は、もう、お前じゃない。アタシだ。だから、転生だ。生命を作れる、海が出来るんだから。
それならば、アタシは、海から生まれるのじゃなく、海自身になりたい。だから、海に転生するんだ」
こんな形で。こんな形で、自分の望んだものが返ってくるなんて。
サファイアは、育ってしまったのか?
どうして? どうやって育てた?
そう尋ねると、お前が叩いて目覚めた、と答えた青玉。
――あれか…!
あんなこと、あんなこと、しなければよかった。
そうすれば、お前は、まだ居られたんだろう?
後悔の字の意味をまたしても思い知らされるなんて、この年で。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!」
「紅玉」
「クレイドーラ、お前だろう、お前が、そんな誓約を見つけたんだろ!? 青玉を殺せないから、転生を…」
「転生の誓約書を見つけたのは、私だが、海になりたいと言ったのは、彼女だ」
「海になると、どうなる? どれくらいで、戻ってこれるんだ?」
「戻って来られない」
青玉が何てことでもない顔で、そう口に出す。
お前、今の状況、判ってるのか!?
そんなに俺と離れるのが苦じゃないのか?!
「なんで、戻ってこられないんだよ、何で戻ってこられないのを選ぶんだよ?」
「星に存在していたものは、ルーレには来られないからね。お前は特別。普通は転生を繰り返すか、消えるだけだ。
それなら、どうせ戻って来られないのなら、海が良いじゃないか。全ての生命の、母になれるんだぜ?」
「サファイア育成は!? サファイア育成はどうするんだよ!?」
「引退。お前にタッチ。これは、サファイアにも言ってあるから」
そういって、降りてきた俺の首に、何かをかける。
……サファイアの指輪を通した、黒い糸を輪っかにしただけの簡単ネックレス。
何かを、何かを言わなきゃならない。
それでも、言葉には出なくて。そして、こんなことが、前にもあったような気がして。
そんな俺に、彼女は一回頬にキスをする。それからクレイドーラに、さぁ、と声をかけた。
「さぁ、どうすればいい? どうやったら、海に転生できますか?」
「そこの、扉を超えろ。あとは、我々が操作する」
「あそこの扉だね」
彼女が、壮大な扉へ向かう。
やだ。
嫌だよ。
やめてくれよ。
もう、もう大事な人を失いたくないんだよ。
サファイア、言っただろう?俺の大事な人を、取らないでって。
「俺の死に神!」
そう叫ぶと、彼女が振り返る。
それから、母性を感じさせる笑みを浮かべて、じゃあな、と手をひらひらと振る。
それ以降、二度と、なんと呼んでも、此方を見ることはなく。
――エピオラ。
彼女の嫌いな名前を呼んでも振り返ることなく。
――青玉。
彼女の望んだ名前を呼んでも振り返ることなく。
――俺の死に神。
彼女の大好きな名前を呼んでも、振り返ることはなく。
「俺の、俺の死に神ぃ!」
彼女は、何回呼んでも振り返ることなく、扉を開けて、消えていった。気のせいだろうか。その時、彼女の肩が、体が震えているように見えたのは。俺の錯覚?
なぁ。
なぁ、こんな失恋の仕方って、あるかよ?
確かに初恋は実りがたいっていうけれどさ。
こんな形の、別れってあるのかよ?
お前、生きるって言ってたじゃないか。嘘つきだね、やっぱりお前。
首には、彼女の持っていた、指輪。
指輪を手にして見つめる。
よく見ると、指輪のサファイアの中に、サファイアという星が見えて、その星に海が生まれたのが見えた。
でも、俺の視界は、涙でにじんでて。
その瞬間が、はっきり見えなかったのが、残念かな。
彼女に、愛してると言えたら良かった。なんて、去った後に思ってしまって。
最後の瞬間まで、愛してると言えば良かったなんて、今更遅い後悔。
さよならも言えずに、永遠の別れをしてしまった、彼女と俺。
二度と会えず。いや、会えるのか。皮肉にも、育成するときに。
指輪を嵌めてみると、ぴったりのそれは、拒否することはなく。でも、一瞬で、手から滑るように落ちて、首の糸で、引っかかって落下が止まる。
幽霊だもんな。そりゃ、指輪なんかはまるわけない。
俺は、紅玉から青玉に戻った。
“名前を捨てられるか?”
あの出会った日の、言葉の響きが、脳内を駆けめぐる。
――捨てられない。
お前との幸せだった日々を送った、名前を捨てられないよ、俺の死に神。
その場に、尻餅をついてしまって、俺はその扉を見て、泣いてしまった。
わんわんと、子供のように。俺もわんわんと泣く一人になってしまった。
子供に返れたら、いいのに。
子供に返って、お前の海で、遊べたらいいのに。お前の海から生まれればいいのに。
そうか、俺も、あそこをくぐればいいんだ。
俺は立ち上がり、あそこの扉へ向かおうとした。が、誰かが腕を引っ張って、止める感触。
誰だよ、邪魔しないでくれよ。
「駄目。駄目だよ」