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一滴の海は辛く

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 「糸で首を絞められなかったのか?」
「包丁じゃ。エピオラはどうした?! おぬし、いつも共にいるのだろう? 何処だ、何処か別の場所へ行け! わしを狙うな!」
「俺ぁ別に、エピオラと共犯じゃないよ」
「ほ、ほんとうか!? た、助けてくれ、助けてくれ青玉! わしゃぁもう怖くて怖くて……」
 …団栗眼は、涙と恐怖に濡れていた。
 サーファイトは俺の手を掴み、わなわなと震えた。子リスのようだ。

 この目に。手に。
 ――この目にエピオラは踊らされて、この手にエピオラは生死を握られたんだ。
 ――アースも生死を握られて、介護をなくされたんだ。
 そんな奴、助ける必要もないじゃんって、思ったりもした。
 そりゃ、思うさ。人間だもの、だなんてどっかの人みたいな言葉が思い浮かぶけれど、全てのわけは、それで理由がつく。
 ――嗚呼、何て不愉快な出来事なのだろう。
 俺はサーファイトを蹴り上げる。
 爺様だって、手加減はしない。アースみたいに、元気に動けるかもしれないんだしさ。
 病人であれだったんなら。案外神様って丈夫みたいだしさ。

 俺はサーファイトを睨み、その肩を掴む。
 「あんたがしてきた出来事の、精算だよ」
「げほっ……わしのしてきたこと…?」
「化身殺し」
「……あれは、仕方がなかったんだ」
「何故?」
「……え、偉いものは、何人もいては、下のものが居なくなり、ピラミッドが出来なくなる。だから『神損ない』のようなやつでさえ、守り神を束ねることも出来るようになってしまった」
 神損ない…なんだろう。ラージも言っていた。
 問いかけようとしたとき、エピオラがドアを蹴り破って現れた。
 「そいつは、死に神作りじゃ飽きたらず、天使を作ろうとしたんだ」
 エピオラの酷薄な異相に、ぞっとした。綺麗であれば綺麗であるほど鳥肌が立つ。
 幽霊が鳥肌たつなんて、おかしいけれど、その顔には、今まで見せてきた優しい面は一切無かった。
 「天使作り……?」
「サンの目を見ただろ。あれが、天使を作ろうとした結果の作品だ。そうだろ、サーファイト」
「ひぃいい」
 エピオラが一歩、また一歩と近づくと、後退するサーファイト。
 エピオラにどういうことか聞いてみた。
 すると彼女は、フと含み笑いして、答えてくれた。
 「天使を作って人間を操ろうとしたんだ、アタシら死に神が全員人間を操るのに反対したから。こいつ、個別だと強い癖に、団体には弱いんだ」
「……違う、人間を導こうと…」
「導く必要が無い奴をか? アタシはじゃあ、導かれたのか、この糞ったれ」
「ひぃい! 青玉、頼む、何とかしてくれ!」
 これが、前まで威張ってた奴の態度ですかねぇ?
 俺はエピオラをどうどう、と落ち着かせようとした。すると、エピオラは口をぎゅっと真一文字に、拗ねたような顔つきをしてから、鋭利な目を此方に向ける。
 「何だよ、お前、そいつの味方するのか?」
「俺はどっちの味方でもないけど、天使作りのこと聞いておきたくて。で、地球に天使らしき人がいないって事は、失敗したわけだ。
……また、処分したのか?」
「…そうさ、処分された。そして…唯一生き残ったのが、神損ないのサンだ」
「神損ない……何それ」
「神になりきれず、天使にもなれない守り神さ! 話はこれで、お終い! どけ、足我!」
「嫌だ」
「フン、何だ、やっぱりお前、そっちの味方なんじゃないか、嘘つき」
「違う。ただ、俺はサーファイトを守りたいんじゃなく、お前を守りたいんだ」
「……守られるだけは、もう、嫌さ。
……どけ、退くんだ。この手で、刺し殺すと決めていた。仲間を、同胞を刺し殺したあの日から。仲間を刺し殺した、この包丁で…」
「……やだっ」
「仕方ないなぁ…」
 もう、と髪をかき上げる彼女。諦めるように、口をとがらして。
 それに俺は安堵して油断した。諦めるのだと思ったのだが、彼女は演技の達人だということを忘れていた。
 ――俺は幽霊。
 物体を、すり抜ける。
 俺の後ろに隠れてるサーファイトめがけて、エピオラは、ああああああ!と声を上げて、俺ごと刺し殺した。
 俺は幽霊だから、当然死ななくて。
 心臓を刺されたサーファイトは、喀血して。
 エピオラは、あはは! と爆笑しながら、切り刻む。何とも言えない嫌な感触が透き通る。
 やめろと俺が声をかけても、止まらなくて、サーファイトが完全に呼吸をしなくなり、瞳孔が開いて倒れた時、止まった……それから、呆然とする。
 自分の、真っ赤な水に浸したような手を、見つめるエピオラ。
 絵の具かと、一瞬錯覚してしまうくらい、艶やかで、鮮明な色だ。血の色ってこんな色だっけ。
 エピオラは、ふるふると震えた後、俺を見つめる。その目は…ちっとも、満足そうではなく、かえって惨めそうで。何かを怯えているようで。
 「足我。足我、足我」
 赤子のように呼ぶ彼女に、俺は、…俺は……。
 「足我、アタシぁね、ずっと、心に空洞があるような感覚があったんだ」
「……」
「……それは、サーファイトを殺せば消えると思っていた。でも、こんなもんなのか? こんなもんなのか、こんな陳腐な気持ちしか残らないのか? 達成感なんか、ありゃしない!」
「……達成感なんて、感じちゃ駄目なんだよ」
「……」
「やっぱり、さ。どんな理由があるにせよ、人殺しは拙い。お前のしてきたことも、拙いよ、やっぱり」
「……じゃ、じゃあ、どうしろっていうんだ、どうしろっていうんだよ!? アタシは、アタシは、何をすれば…!」
「仲間を殺し、サーファイトも殺して生き延びたその魂、何よりも強く気高い。そして、同時に罪深く、弱く儚い存在。
……サーファイトのような奴がでないようにさ、見張って、生きていれば?
……なんだかんだいってさ、生きちゃってるんだから、生きてる奴は、殺した相手の寿命分生きればいいんだよ」
「足我…お前、まだアタシに、生きろと? 辛いだけだぜ、そんなの」
「……辛いから、生きるんじゃないか、馬鹿だな。楽しいことばかりじゃないってことは、死に神のお前と、自殺した俺がよーく知ってるでしょうが」
「……足我……」
「辛いから、生きる。うん、辛いのは、仕方がない。でも、きっと、ひなたぼっこは出来る。暖かい日は来る。朝日はどこかに閉じこめられない限り、誰にも来る。
夜に明かりの灯らない家はないさ」
 カラン、包丁が地に落ちた。エピオラが、エピオラが泣いている。
 締め泣き、俺に抱きついてきた。
 俺は、彼女を抱き留めて、背中に手を回した。この涙を止めてあげたくて。
 彼女、背が高いんだ。クレイモアよりは低いけれど、すっごい高い。俺百七十ぐらいはあるんだぜ? でもそれよりも上。俺のが背低いんだ。
 だから、こんな身長差になってしまう。彼女の首あたりに俺の顔。埋めるように。
 エピオラは、ぐすっと声を漏らす。
 「……アタシは、アタシは、まだ生きていいの? 死ななきゃいけないんじゃないの?」
「……死んだら、生きるために殺してきた化身はどうなるんだよ。顔向け出来ないだろう?」
 ぎゅ、俺の背と首の中間に手が回り、強く抱きしめられた。
作品名:一滴の海は辛く 作家名:かぎのえ