一滴の海は辛く
かつん。足音が聞こえた。こちらに向かってるようだ。顔をあげて、誰が来ているかを見遣る。それに気づかず、クレイモアは言葉を続ける。聞きたくなかった名前を、連ねる。
「エピオラめ…」
?!
エピオラ!?
「クレイモア!!」
気づけば、エピオラが、クレイモアの牢に近づいていた。
エピオラが、手をくいっと動かすと、クレイモアの喉に糸が巻き付いて、クレイモアを苦しめる。
「あ…あ……!」
「お喋り。だから、お喋りは嫌いなんだ。ラージにしろ、サーファイトにしろ、お前にしろ」
「エピオラ、離せ! クレイモアを離せ!」
「……もう、俺の死に神とは、言ってくれないんだね」
少しだけ寂しそうに片笑んで見えたのは、気のせいだろうか? 暗いからだろうか?
エピオラが手を下ろすと、クレイモアがぜぇぜぇっと息をついて、呼吸をしだす。
いきなり酸素を取り入れようとしている彼に、ゆっくりと呼吸するように言ってから、エピオラを睨む。
「今まで騙していたんだな」
「……騙していた、ね。うん、まぁそうなるな」
「この事件を解決しようとしてたんじゃないんだな」
「……――」
「…死に神として接していたのは、何故だ?」
「……」
「…死に神長として、振る舞えよ、ほら、やれよ。やれよ! ほら、騙しなよ、今、死に神長らしくしてみろよ!!」
「せいぎょ…」
「青玉だなんて、呼ぶな! 俺は青玉じゃない、俺は地球を、サファイアを壊す!」
「……足我……。ごめん……」
やめろ。そんな、そんな泣きそうな顔をするな。
気のせいだ、気のせいなんだこれは。錯覚だ、錯覚に違いない。暗いところだからさ!
でないと、でないと、お前を憎めそうにない。
自分で怒りが萎えてくるのが判るから、余計悔しい。
――お願い、憎ませて。
憎ませてくれよ。悪者なんだから。悪者なんだから、憎まなきゃならないんだ。
アースもサンも、何食わぬ顔で、こいつが殺したんだ。
クレイモアの涙も、こいつが流させた。
俺のこの憤りも、こいつが作った。
「お前らと過ごした、ここんとこ、楽しかったぜ……久しぶりに、童心に帰れた…。
アタシはね、地球にいた頃から、お前を見ていたんだ。ただ単なる気まぐれだったのにね……」
やめろ。
「お前は、猫を拾って隠れて世話していたな。お前は小さい頃は毎日病院に、妹の見舞いに行っていたな。他にも、知ってる…色々と。……退屈しのぎに、見ていただけだったのにな。アタシはね、いつしか、惹かれていた。他にも人間は見ていたはずだ。それなのに……何でだろうね。ただの普通の人間なのに。お前だけに惹かれて…。
いつか、この世界に来てくれないだろうかと、考える毎日を過ごした。
だから、だから、お前を殺した。青玉計画を思いついた。青玉としてなら、来られるから」
――やめてくれ。何も、何も言うな。
俺は頭をふって、否定する、エピオラの存在を。彼女は痛々しい笑みを浮かべる。
「お前を殺したのも、アタシなんだ」
彼女は痛々しい笑みで、凛々しい声で開き直った。態度は開き直りなのに、顔はひたすら謝罪を告げていた。
「やめろぉおお!」
「…足我…」
「あれは、あれは、俺の意志で、俺が考えてやったんだ! 俺が、死にたいと、馬鹿なこと考えてやったんだ!」
「……そうやって考えさせるのも、人間をそうやって操るのも、可能なんだよ、催眠で。死に神長ともなると」
「……エピオラ…ッ」
「アタシはね、その名前が大嫌いなんだ。サーファイトにつけられた、名前だから。
だから、『俺の死に神』と呼ぶ、お前の声が好きだった。どうしてくれる。ただでさえ惹きつけられていたのに、会って尚も締め付ける……」
「やめろ」
彼女は話すことをやめない。
「嬉しかった」
「やめろ、やめろよ、くそ女ぁ!!」
「…エピオラの名前よりか、くそ女のが、マシさね」
――彼女はエピオラであることをやめたい。
だからさぁ……、そんな顔を、そんな泣きそうな笑い顔で、喋らないでくれ。
さっき、来迦を見て胸が高鳴ったとき、お前の顔が浮かんだ理由が判ったよ、エピオラ。
いつからなんだろう。出会ってから、短い時間しか経ってないはずなのに、こんな気持ちを抱いてる。それも、お前が操ったのかい? それとも、たった今お前が奪ったのか?
なぁ。あのとき、空を見ていたときの、気持ちの名前の正体が判ったよ。
死んだときから、親切にしてくれてたお前が
「……エピオラと呼ばないで居てくれた、お前が」
"好きなんだ"
――神よ、どうか憎ませてください。この悲しい女を。
――嗚呼、どの神に祈ればいいのだろうか? 嗚呼、こいつも死に「神」だっけ?
*
エピオラに連れられて、屋敷の屋根の上。
手には糸が巻き付けられてる。手錠の変わりだね、こりゃ。
好きな人と二人きりなのに、緊張しないのは、何でだろうか。今更、だからだろうか。
そんなこと考える自分に、苦笑して、何も話を切り出そうとしないのにしびれを切らした俺は、名前を呼ぶ。
「……エピオラ」
「やだ」
「あ?」
「俺の死に神、って呼んでくれよ」
横目で見ると、彼女は強固な意志を持った奴の顔をしていて、その目に異常なまでの強さを見つける。ただの我が儘のくせに、このくそあま……!
そんな悪女を好く俺もどうかしてると思うよ。
「……エピオラ」
俺は彼女が、その名を心底嫌がってるのを知っているのに、呼んでみる。
すると、ぶすっとした顔で、それでも壮麗な顔は変わらないまま、ぽつりと応えた。
「……我が儘を言ってるのは、判るよ。そりゃ、あんなことしたアタシを、今更そんな親しみを込めて呼べるわけ無い」
「……」
「でもさ、それでも、必要なんだ。エピオラって呼ばない他の誰かが」
「……――」
「好きな、好きなお前に呼ばれないと、アタシぁ……ね…」
「呼ばないぞ。なんと言われたって、呼ばない。お前は俺の大好きな人たちを殺した」
そっぽ向いて、そう言うと、少し弱い声がかえってきた。
そうか……と。
……負けるな、俺。こいつが、こいつが、アースもサンも殺したんだぞ? こんな弱気な声を出されたくらいで、ぐらつくな俺。
「そりゃ、そりゃ、嫌いにもなるよね……利用したんだから。…判った、エピオラでいい」
「……エピオラ。何で、何で、アースを殺したんだ?」
「……」
「あんただって、アースは好きだっただろ? サンだって嫌いじゃなかっただろ? ラージを殺そうとするのは何故?」
「ラージは口止めだ。……全ては、復讐の為だよ、サーファイトへの」
「……復讐?」
そう言うと、彼女は暗い空を見上げて、息をつく。
今は夜。
時間の感覚はすでになかったけど、こうして、見上げると、星々があって、月があって。それだけで、今が夜だって実感出来る。
変な話、星を守る神が居るこの世界に、それを見守る星がいるなんて。
月は心配しているだろうか、姿の見えないクレイモアを。
綺麗な夜空。
黒い紙に、白や赤の絵の具をちょっとづつ零したような。
「……復讐?」
もう一度、口にする。何度口にしても物騒な言葉には変わりない。