一滴の海は辛く
「エピオラ殿の考えがどうした。それがお前に関係でもあるのか」
「ああ、命令に関することだからな! それに興味深い、エピオラが何を考えているのか……噂の生き残りだしな、悲劇の」
「……」
俺の死に神が、親指の爪をかむ。
「余計なことを…」
その目には、うっすらと憎しみが混じっている。
俺の死に神は、それから、一呼吸置いて、何かを喋ろうとしていた隻眼の男の首に、また糸を巻き付かせて、それを一気に締め付ける。
「ぐぁ……!」
「お喋り。だんまりむっつりのほうが、好みだぜ、アタシぁ」
ぷしゅっ。
男の首と、胴体が離れた。
血の雨が降る。血にぬれる彼女の姿は、恐ろしく。死に神そのもので。鎌を持っていても不自然ではない。
瞳に映っていた憎悪が消えて、ぼそりと呟いた。
「……ラージの奴め、お喋り」
……ラージ? なんだ、それは?
そう問おうとするまえに、クレイモアが文句を言ってきた。
「そいつは、アースの仇だから、僕が殺すのに! 何で、君が倒しちゃうのさ!」
「クレイモア殿、そういう問題じゃない。エピオラ殿、どうするんだ、折角の情報網を…」
二人で文句。
そりゃそうだろうね。重要参考人、殺しちゃったんだから。
ぎゃーぎゃー三人で騒いでいると…ゆらり。
――あれ、誰かまた居たのかな……って、え? ……おい、嘘だろ?
――何で何で何で何で何で!!
動く陰がクレイモアを狙う。
「危ない、クレイモア!」
俺とクレイモアには距離があった。駄目だ、突き飛ばせない! ああ、今日ほど厄日なのが辛いのは初めてだ!
「あーはっはっは!」
どこから声が?!
なんと、首のない隻眼の男の胴体が動き、クレイモアを狙ったのだ!
おそらく一番近いし、武器も何も持ってないからだろう。クレイモアは振り向いて、目を見開いた。それと同時に、剣が振り下ろされた。
それを庇うように、誰かが前へ出て、斬られた。
風船が破裂したように、出血する彼。
目隠しの布が、切れて、露わになる、何もない、瞳のない顔。まるで、目だけがないのっぺらぼう。
ひっと、声を思わずあげてしまった。
その異様さに。
そして、それと同時に、目を見開いて、彼の肩から腹にかけてまでの深い傷を見遣る。
「サン!」
クレイモアが、慌てて彼を支える。
そして、瞳のない顔を見て、眼を見開いた。
「君…サン――…君は……」
「見るな…見るな、見るな、見るな……!! 頼む、見ないでくれ…」
傷よりも、そちらのほうが気になるようで、必死に両手で顔を隠して震える。
刀が、からんと音を立て、落ちたとき、首なし暗殺者が、次は俺を狙う。
それを、糸を絡ませて、動きを封じる、俺の死に神。流石、頼りになる。
――でも、その腕を持ってたら、さっき、サンを助けられたんじゃないだろうか?
「こいつのことは、あとだ! サン、サン、しっかりしろ!」
「布、布は…何でもいい、何か、布を…」
そう言うと、クレイモアが、あのクレイモアが、ハンカチを取り出して、渡した。
その顔に浮かぶのは哀れみでもなく、戸惑いでもなく、無表情。反応が分からないのだろうか。
「クレイモア……殿」
「…何で、何で僕なんか庇ったのさ。僕の腕を知っているだろ?」
「でも、危ないところだった」
「五月蠅い。……僕は、君が大嫌いだ。それを君も知ってるだろ? なのに、なんで、嫌ってる奴を庇うんだ?」
ハンカチを渡されると、それで顔の上部を覆い、サンは苦笑する。
「……我は、貴様が嫌いではない。アース殿の代わりに、貴様を守りたかった」
「それがなぜだかを、聞きたいんだ!馬鹿だ…君は、馬鹿だ…馬鹿、馬鹿、馬鹿!」
ぽろぽろと涙が、クレイモアの瞳から溢れて止まらない。…俺だって、泣きそうなんだ。
だって、折角、いい人を見つけたのに、連日でそのいい人達は殺されている。
俺は、災難を呼んでしまうのだろうか、と混乱してしまうくらい。
「……すまない。……アース殿の代わりに、躾けようと思っていたのだがな…これでは、無理だな……。……さよなら、だ。泣くな、……神嫌いの、貴様が何故…泣く…我が、神じゃないからか? …化け物、だからか……?」
厳しさの中に少し怒りが交じった声が響くが、クレイモアは突然の問いかけに、はぁ?! と声をあげて、ばっかじゃないのと怒鳴る。
「涙じゃないよ、汗だよ! え? 何言ってるの、君は神だろ、紛れもなく神だろう?」
「……神と、呼べるのか? 我は――我は、…」
「……神以外の何さ、人だと言うのか? 人なんかになりたいの?」
理解できないとでも言いたいような口ぶりに、クレイモアはクレイモアだと俺と俺の死に神は苦笑して、サンは、震えながらも嬉しさを口にする。
それを眺める俺の死に神の眼差しが……酷く、沈痛だった。
「……いや、神がいい。……はは…神に、我は、なれるのか……心残りは、ない。
有難う、月の守り神……月の子…」
目はない筈なのに、涙が確かに押さえているところから零れていて…彼の震えていた体が、止まる。その止まった様子に怯えたように、声を張り上げたクレイモア。
「…やだ、嫌だ、死なないで。大嫌いな君が大好きなアースのとこに行くなんて、狡いぞ。
やだ、死なないで、やだ、嘘だ、嫌いじゃないんだ、僕は本当は見ないふりしてたんだ! 冷たくしても、君は友好的にしてくれたのに、それに気づかないふりをしていたんだ。…アースがいれば、十分だったから。でも、アースはもう居ない。どうすればいい? 青玉しかいない。どうすればいい? ねぇ、本当のこと言ったよ、だから死なないでよ!」
「……」
何も喋らない。
何も反応しない。
空気が彼を無視してる。世界が彼を拒んだ。
死者になったから。
生命の息吹がとぎれた。
手から力が抜け、それでも、顔を隠す形だけは変わらずに。
また、一つ、命が散った。
背中で涙を見せるクレイモア。
哀愁漂ってるのは、気のせいじゃない。
大嫌いだと言われ続けていたサン。
彼は、今、クレイモアのなかで、大好きになれただろうか? クレイモアの心に浮かんでいるサンはどんな顔をしているのだろうか?
……ほら、言っただろう? 俺とクレイモアが仲良くできて、あんたとクレイモアが仲良くできない理由がないってさ――サン。
*
明日もきっと、葬式。
葬式が連日続くなんて。
本来なら、そう言う日は、地球の中では珍しくはないんだろう。誰かが死に、誰かが生まれる世界だから。
でも、神の住む世界で、こんなことって、本当に信じられない。
――何で?
何で、彼が死ななければならなかった? 何故、アースも死ななければならなかった?
俺の死に神と、クレイモアはサンを家の中に運んでいる。せめて、家の中で葬式の日まで休ませてあげたいから。
俺は、縛られてるこの憎い仇を見張ってるわけ。
憎いので、一蹴りしてみた。
「何でお前生きられるんだよ、首なしでも」
「ウウウ」
「何が、ウウウだ。お前の所為で、俺の大好きな人たちが死んだんだ」
「おおお俺の所為じゃない、じゃない、じゃない。俺は、命じられた。命じられた。