『花摘人』
そして、翌日。
その日も花を折り終えた天使は、迷いながらも、青年の、奏也の元へと行きました。
奏也は、その日もまた、街角で歌声を響かせていました。
いつもと同じ、天使の大好きな歌声でした。
天使は、結局、やはりいつもと同じように、少し離れた場所に立ちました。
前日のことが、まだどこか信じられずに居たのです。
けれど、そんな天使の戸惑いに気づくこともなく、歌い終えた奏也は、天使に手を振ると、笑って見せました。
そして今日も、天使を自分のところに呼ぶと、
「食った?」
そんな風に聞きました。
奏也の問いかけに天使が首をかしげると、奏也は、ポケットから昨日のキャンディの包みを取り出して、振って見せました。
天使は、慌てて頷きました。
「美味かっただろ?」
もう一度、天使は頷きました。
すると奏也は、笑ってその飴をまた一つ、天使の手の中に落としてくれました。
天使は、酷く戸惑っていました。
本当なら、奏也には自分の姿は見えないはずです。
自分の声は聞こえないはずです。
それなのに、奏也は自分に向かって笑いかけ、話をしているのです。
「なあ、良かったら名前を教えてくれないか。いつまでもにーさん、てのも味気ない。」
けれど、そう言った奏也を見て、天使がわかったことが一つだけありました。
それは、今自分が、ずっと見続けてきた、大好きな歌声の持ち主と、言葉を交わすことが出来ているのだ、ということでした。
「……ラズワルド。」
「ラズワルド?」
「ラズでいい。」
「へえ。変わった名前なんだな。」
「……なんつーか……まあ、その、色々と……。」
まさか、自分が天使だ、などと、そんな説明ができるはずもありません。
だから、天使は、言葉を見つけられませんでした。
素直に名乗ったことを、後悔すらしました。
「ラズ、ね、わかった、ラズ。覚えた。」
けれど奏也は、ただそう言って笑いました。
それは、奏也の優しさでした。
その日から、天使と奏也は言葉を交わすようになりました。
いつも離れた場所で奏也の歌を聞いていた天使は、奏也のすぐ傍で、奏也の歌を聞くようになりました。
そして奏也も、天使のために歌を歌うことが増えました。
日に日に、二人は、親しくなっていったのです。
「奏也は、歌手になりたいわけ?」
「は?歌手?」
「そ。歌手。」
「あー、いや。考えたことがない。俺はただ歌が好きなだけだからな。こうやってここで歌ってられればそれで十分。」
「……っつか生活できねーじゃんそれだけじゃ。」
「そりゃそうだ。だからバイトもしてるし、家に帰れば家事だってやる。」
「だったら、そんだけ好きなこと仕事にしたいとか思わないもん?こんなやって、毎日歌ってられるくらい、好きなんしょ?歌。」
「ああ、好きだよ。でも、考えたことがないもんは考えたことがないんだから仕方ないだろうが。」
「売れるかもしんねーのに、歌手んなったら。俺、奏也の歌好き。」
「有難う。……ん、でもやっぱり、俺は歌手になりたいとは思わないな。こうやって、好きに歌っていたい。こうやって、空の下、無駄に広い街ん中で、一人で歌ってるだろ?そういうときに、ああ、俺は自由なんだな、って、すごく実感する。だから、これからもずっとこうやって歌ってたいんだよ。」
「……本当に、何かと変人だよな、奏也。」
「こら、人捕まえて変人とか言うな。」
奏也と一緒に居る間、天使は沢山笑いました。
奏也は歌を歌うことが何よりも好きな人間でした。
だから、二人でいるときでも、話していることなどほんの少しで、奏也は歌い、天使はその歌声を聞いていました。
それでも天使は確かに幸せでした。
大好きな歌声を間近で聞けること。
それを奏也が喜んでくれること。
歌うことが幸せだ、と、そう語る奏也と、その歌を聞くのが好きな天使。
二人は確かに、その街角で、幸せに過していたのです。
……その日が、来るまでは。