限り無く夢幻に近く
「やっと、決心が出来たんだね」
彼は運転席を模した空間に座っていた。ただ静かに、俺がここに辿り着くことを待っていたのだ。
「ああ。優柔不断でごめんな」
本当だよ、と彼が笑う。私服姿の俺に対して、彼は制服に身を包んでいた。それはおそらく象徴だ。時の動きの異なる二人の差異。
顔、声、瞳。全て同じとは言えなくとも、俺とどこかしら類似点のある容姿。違うのは、今の俺よりもずっと自信に満ちた表情。髪の色も、好き勝手に染めた俺とは違って天然の色。
何も変わらない。何も間違ってはいない彼そのもの。そして、俺そのもの。けれど、完全に俺とは違う個体。
「僕は誰かって、君は言ったよね」
はっきりと思い出した、俺の名前。眩ますように彼に押し付けた名前。まるで呪文のように唱えた。取り替えられればいいと無意識に思っていたのかもしれない。
どうして気付かなかったのか。俺達はまるで、鏡に映したようによく似ていた。
「僕はツカサだよ、アキト」
アキトは――『彼』は穏やかに笑った。何も裏の無い、答え合わせの表情だ。
「アキトは君だ。そして、僕がツカサ。――ううん、本当はそれさえ嘘かもしれない」
「嘘じゃない」
俺は咄嗟に否定する。驚いたように、彼が言葉をつかえさせる。
「お前の存在は嘘じゃないよ。俺はちゃんと覚えてたから。その手のあたたかさも、ちょっと悪戯っぽい、それでもしっかりした性格も」
また彼は、ふわりと微笑んだ。消えそうな笑みだ。僅かに顔が伏せられる。
それから再び俺を見上げて。
「この列車の主は君だ。走らせるのも滞らせるのも君自身にかかっていた。でもね、本当は君にはちゃんと進むべき道を選んで欲しかったんだ。君が選択する君だけの道順をね」
うん、うん、と。飲み込むように肯く。するすると沁み込む声。言葉。そうしてさらさらと解けていく。
枕木を規則的に踏む音が木霊する。それは秒針の音に似ていた。終刻が迫ってくる。遠くで白波が力強くうねる。
不用意な沈黙が流れる。俺は言葉を捜していて、何を言えば良いのか分からなかったのだ。言いたいことは沢山あった。決定的に時間が足りない。
警笛が、長く響く。ツカサが水平線の果てを眺めた。
「さぁ、もう時間だ。最後だから聞くよ。君は、どうする?」
『彼』は、俺を見て尋ねた。君はどうすべきなのか、どう生きるべきなのかと。
「俺は……」
言う事はとっくに決まっていた。
それが本当の、最初からの目的だったから。
「列車を止めるよ。此処から降りる。あとは、自分の足で歩く」
その言葉だけが、車内に響き渡った。
彼は微笑んだ、安堵したように。