限り無く夢幻に近く
何も無い車両がもう十は続いた。十一番目のドアを目指して俺たちは前へ前へと進む。
言葉にするのも今更だけれど、この列車は普通のものではない。もう何時間歩いても果てに着くこともなく、無人の空間の中に時折季節に突出した飾りつけが並んだり、窓の外の景色が変化したり。挙句は、都合よく準備された休息時間。空腹を感じることがあったら夕飯が並ぶ車両も出てくるかもしれない。
ふう、と小さく溜息をついた。それは充足か、怠惰か。いずれにせよ心地よいぬくもりが全身を包み込む。
まるで午後のまどろみ。夢とも現実とも判断できないあの心地良さ。この列車の迷宮はまさに午睡だ。
「――さ」
「え?」
慌てて顔をあげる。歩きながら視線だけを背後に返す、アキトの目とかち合う。抑揚の無い白い頬が見える。
一瞬の沈黙の後に微笑。小さく首が振られる。
「ごめん、なんでもないよ」
「俺こそ悪い。ちょっと考え事してた」
そう、とアキトは生返事を寄越した。どことなく彼らしくない気配がする。
「アキト?」
「――うん?」
立ち止まって改めて返される笑みは、柔らかく優しい。何が妙だと思ったのか、今では振り返ることも出来ない。
「早く降りれるといいね」
「そうだな」
今度は俺のほうが生返事になってしまう。
窓外に目を向ける。
季節の車両を出た後は、やはり永遠の黄昏の中を掻き分け進んでいる。西の空の裾に潰れた橙色。遠くの山は闇の陰影が強く縁取り、周囲を取り囲むのは黄金色の稲穂の波。
刹那、正面に壁が出てたたらを踏む。よく気をつければ単にアキトの背中が陰を作っただけだった。余所見をしていたせいで距離感を失っていた。
何気なく彼の手元を覗き込む。次の列車への接続扉を開けているところだった。右利きの多い世間に併せて右回しのドアは、左手では開き難いらしい。普通に右手を使えばいいのにと、考えた所で何かが急激に肥大していく。
疑問だ。小さな違和感。
それが急速に広がっていく。
思い出す。繋がっていく。珈琲カップを持つのはどっちの手だった?振り向く横顔はどちら側だった?それなら、幼い頃に繋いだ手は?
『お隣のアキちゃんは……』
「アキ――アキト」
名前を呼ばずには居られなかった。反応は返ってきた。少し怪訝そうな、温和な目元。
「なに?」
よく馴染んだ筈の。馴染んだのは誰だったろう。
幼馴染は、誰だっただろうか。
固唾を飲む。少年は黙ったまま、俺の次の言葉を待っている。
だから俺は尋ねるしかない。
「お前――お前、本当は、誰だ?」
彼はやさしく、笑う。
「何言ってるの」